桜花斉唱 16
サクラとフィオーレの試合当日、いつものようにラバ車に揺られ、御用猫一行は市街へと向かっていた。田ノ上道場のあるクロスロードの東側は農業の盛んな丘陵地帯で、その先はエルフの住まう大森林へと続いている。
国土の北は山岳地帯、西には草原が広がり、南は地中海と面するクロスロードは、様々な国に囲まれたその立地から「文化のるつぼ」「世界の雑踏」などと呼ばれているのだが、周囲には人間国家の他にも、北に山エルフ、東に森エルフと黒エルフ、西には草エルフ、そして南には海エルフと、それぞれの種族が独自の集団を形成し生活をしている、その為クロスロードは、あらゆる人種の参集する場でもあるのだ。
そういえば海エルフだけは見た事が無いな、と御用猫は思う。所謂、人魚と呼ばれる種族だけあって、陸上で出会う機会は滅多に無いだろう、そろそろ季節も良いことだし、面倒な案件が片付いたならば海へ行くのも悪くないか。
「先刻から、貴様、話を聞いてるのか? 」
街道沿いの森から現れた十人程の男達は、身なりこそ質素なものだが、清潔そうな衣服に上質な剣。先ほどから苛立った様子で話しかけてくる代表格の男も、いかにも、二、三日前から伸ばし始めた、といった体の無精髭を生やしているのだ。
「……せめて、もう少し……いや、此方も酷いもんだけどな」
なぁ、と御用猫が、隣に座る耳の長いサクラに声をかけると。
「先生ぇー、いいからもぅやっちゃいましょうよー、お腹が空いたでごぜーますよ、ぐぇー」
まるで、ネギか何かのように黒髪の鬘を上に引き抜き、チャムパグンはいつものように、やる気なさげな鳴き声をあげる。
そこまできて、ようやく男達は気付いたのだ。
(間抜けもここまでくると、何か滑稽だな、と云うか、本気で大丈夫なのかこの国の騎士は)
「まぁいい、やるか、お前ら出番だぞ、クロスルージュの貸しはキッチリ回収するからな」
御用猫は御者台から飛び降り、ラバ車に向けて背中で叫ぶ、すると荷台の襤褸布の下から、ウォルレンとケインが顔を出したのだ、彼らは、きょろきょろ、と辺りを見回すと、そのうち金髪の男の方は、何か不安そうな表情にて赤毛の相棒に問いかける。
「いや、マジで騎士相手じゃない? 後で問題になんないの? コレ」
「もう諦めろよ、近衛団長さまの命令でもあるし、いや、彼奴らは騎士じゃない、そうだ、そうしよう」
うんうん、と頷きながらウォルレンの肩を叩くと、ケインも荷台から飛び出した。
「ケツ持ちは偉いさんだから心配すんな、殺さなきゃ問題無いし、殺しても……まぁ、問題無い」
襲ってくる方が悪いんだからな、と威嚇のために嫌な笑みを浮かべつつ、音もなく井上真改二を抜き放つ御用猫を見て、およそ騎士とおぼしき男達の間に動揺が広がってゆくのが、ありありと窺える。
「リチャード、お前も来い、初の実戦だからな、膀胱引き締めてかかれよ」
深緑色のローブを、すっぽりと頭から被り、リリィアドーネの扮装をしていたのは、リチャード少年であった。
「……若先生」
実戦ともなれば人を斬る事になるだろう、流石に緊張しているものか、少年の声は震えていた。
「なんて声出すんだよ、心配すんな、適当に斬り倒したら直ぐに逃げ散らかすだろ、この程度の相手、丁度いい慣らしだ」
「いえ、僕も騎士を目指す身、覚悟はあります」
ありますが、と少年は前置きした後。
「……ですが、ローブの下まで女装する必要性が、やはり、理解出来ません」
リチャード少年の格好は、普段のリリィアドーネを模したものだった。袖と襟元に青の入った袖長の白いジャケットに白いシャツ、同じ素材の短いスカートに、黒い防刃タイツといった出で立ちだ。
「ようし行くぞ! ケインとウォルレンは俺の両翼に付け」
「あいよ」
「終わったらアンナちゃんな」
ウォルレンとケインの方には随分と余裕が見られる、すっかりと割り切ったからか、それとも中々に経験豊富な腕の立つ騎士なのだろうか。
リチャード少年は走り出した三人の背中を見ながら、自分も続こうと馬車を降りるのだが、その拍子に、ふわりとスカートの端が広がってしまい、彼はそれをを慌てて抑えるのだ、自身が扮装して初めて理解できたのであるが、これは何か必要以上に短いような気もするだろう、世の女性騎士たちは、よくこんな格好で戦えるものだと、少年は不思議に思うのである。
どうしたものやらと立ち竦むリチャード少年の肩を、チャムパグンは、ぽん、と叩くと。
「似合ってるぜ」
じつに良い笑顔を見せたのであった。




