桜花斉唱 10
御用猫はリリィアドーネとチャムパグンだけを連れ、クロスロード市街へと戻っていた、明日はサクラから頼まれた買い出しをするつもりであるのだ。別れ際、なにやら指先を擦り合わせ、いつまでも帰ろうとしないリリィアドーネに、どうせなら一緒に行くかと声をかけたのだが、その途端に彼女は固まってしまうのだ、そろそろ見慣れた行動ではあるのだが、少々面倒くさいと感じた御用猫は、適当に別れを切り出した。
「……まぁ、気が向いたら、朝マルティエに来いよ」
「いく、必ずいくから」
はっ、と再起動した彼女は、それだけを言い残しと駆け出した、あちこち服が裂けているので、何か襲われた女騎士が逃げ出したかのようにも見えるだろう。これであと邪魔なのは、この卑しいエルフだけだと御用猫は考える、しかしこれについては悩むこともないだろうか、いくらか小銭を握らせて飯でも食わせておけば、どうとでもなるのだから。
「よしチャムよ、一万やろう、これで美味いもんでも食ってこい」
財布から金貨を一枚取り出すと、それを卑しいエルフに放り投げる。
「先生ぇは、どうするんでごぜーますか?」
「野暮用だ」
チャムパグンは御用猫の目を見据えたままに、その小さな手のひらを上に向けると、くいっ、と前に突き出した。
「なんだよ」
「口止め料っす」
げすげすげす、と気持ちの悪い笑い声をあげ、片方の指を一本立てるのだ、わんもあ、と。
「……別段、疚しいところは無いし、口にされて困る事も無えよ」
「んんー、果たしてそうでしょうかねぇ」
チャムパグンは、立てた人差し指をそのまま額に当て、目を閉じる。
「先生ぇもお気付きでしょう? あの貧乳短髪女騎士……あれは先生に、ほの字、でございますわよ」
すっ、と目を開き、にやりと笑うのだ、しかしこれは、なんと卑しい表情であろうか。
「先生ぇが、これから二人も同時に相手するとなれば、一体なんと思うでしょうかねえ……真面目な彼女の事です、怒るでしょうか、それとも悲しむでごぜーましょうか」
そして、これが一番の理由ですが、と卑しいエルフは前置きした後。
「こんな面倒なやり取りを続けるくらいなら、先生ぇはもう一万くらい出す人です! 」
「よし、行ってこーい」
ぽい、と金貨を放り投げると、エルフ犬はそれを追いかけるように、一目散に駆け出したのだった。
マルティエの亭でロシナン子を厩舎に戻すと、御用猫の足はそのまま繁華街へと向かう、先ほどの稽古にも似た蹂躙によって、随分と疲れてはいたのだが。
(まぁ、二人を相手どるくらいには、な)
野良猫は、手抜きも得意なのだ。
人目を避けるように少し外れの裏道を選ぶと、御用猫は通りの隅に放置された空樽に腰を下ろした、夕暮れの街並みが路地のあちこちに影を落とし、赤と黒のモザイク画のように視界を騙している、そろそろ追跡者や襲撃者には、有り難い時間が始まるだろうか。
御用猫は誰にともなく、しかし、はっきりと良く通る声で、そこに居るであろう者どもに呼び掛けた。
「とりあえず、話の出来る奴か? そうで無いなら覚悟はしろよ、賞金首以外は、あまり殺さない主義なんだが」
ゆらり、と揺れたように見えたのは、建物の影から覗いていたのだろう人物の幽かな輪郭、だが、御用猫の声に対する反応は薄い。
「……とりあえず、斬ってから考えるか」
「待て待て待てっ! 」
一気に飛び出し距離を詰める御用猫に、その姿を露わにした男達が慌てて両手を挙げる。
「俺たちゃ話がしたいだけだ、平和主義なんでね」
「気の短い男だぜ、どっかの女団長様を思い出すな」
建物の影から現れた、やけに軽薄そうな二人組は、申し合わせたかのように揃った動きで額の汗を拭った。
「結構な呪いをかけてたはずなんだが、よく気が付いたな」
金髪の方の男が、前髪の先を捻りながら、なにか関心したように問い掛けてくる。
「……今日は朝から、えげつない隠形の遣い手とやり合ってたんでね、耐性がついてたのさ」
「ほう、流石剣客はいう事が違うな、男子は外に七人の敵と女が居る、というやつか」
赤毛を短く刈り込んだ方の男は、何か間違ったことわざを引き合いに出したのだが。
「女が味方とは限らないぞ」
と、御用猫が微妙に間違った方向の訂正をすると、その男は金髪の相棒を一度見やり。
「確かに、違いないな」
笑い始めるのだ。
「おい、今なんで見た」
赤毛の肩を殴りながら、金髪の方も笑顔を見せていた、もしもこれが御用猫の油断を誘う為の演技ならば、まったくに大した役者ぶりなのだが、これはおそらくそうではあるまい。
「とりあえず、話を聞こうか……良い店知ってんだろうな」
そう判断し、御用猫は刀の柄から手を離すと、口の前で猪口を傾ける仕草を見せる。
「お、いける口かい? 任せときなよ、ホームは東町だけどな」
「地元では、羽目を外して遊べないからな」
彼らが言うには、少し離れた場所で、というのが定番なのだとか、世界最大の都市であるクロスロードには、ありとあらゆる娯楽歓楽が溢れているのだが、その中でも特に北町と南町は、色町の規模の大きさも質も有名である、夜ごとに身分を隠して遊ぶ放蕩貴族も、ここでは珍しくはないのだ。
「どこ行く? 」
「お前さんは、普段どこ行ってんのよ」
「俺か、最近はずっと、いのや、だな」
「あー、渋いね」
「わかる」
「ほかの流行りは知らないな」
「クロスルージュ行くか? 」
「あすこ、ツケ残ってないか?」
「……あったかも」
「いいよ、そんぐらい出すから行こうぜ」
「先生! 」
「先生! 」
二人に両脇を抱えられるように、御用猫は、わっしょいわっしょい、と夜の街に運ばれて行った。




