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御用猫  作者: 露瀬
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桜花斉唱 9

 リチャード少年の稽古は、ほぼ一日を費やし、棒振りと走り込みに終始していた。


 だが、かつての田ノ上道場は、苛烈極まる指導の恐ろしさで知られ。


「入って十人、出て一人」


 と、市井の噂になる程であったのだ。


 限りなく実戦に近い地稽古を旨とし、木剣をもってただ只管ひたすらに打ち合うその修行風景は、見る者すべてに地獄を想起させた。もちろん激しい稽古には怪我がつきものである、そのために他の道場よりも多くの専属治療呪術師が居たのだが。


「死に際でどう戦うのか、その身で覚えよ、片腕、片足、片目のうちは、休むこと許さぬぞ」


 時には死者すらもあった。


 しかし、確かに修行は過酷であったのだが、それに耐え抜いた弟子たちは、いずれも他に類を見ぬほどに鍛え上げられており、道場主の田ノ上ヒョーエが四十歳の若さで引退する十五年のほどの間に、偉大な剣士が幾人も輩出されたのだ。


 だが、かつて隆盛を極めた道場に、今は見る影もないだろうか、現在の田上道場には、ただ、三人の男女が大の字になって寝転がっているばかりである。


 その一人であるリリィアドーネは、痛みを咬合にて押さえつけ、なんとか上体を起こそうと踠いたのだが、どうやら真っ黒に腫れあがった腕は、主人の言うことも聞きそうに無いのだ、上質なシャツは乱れに乱れ、薄い胸に被せられた白い下着までもが顔を覗かせている、彼女は最後の力で胸元の布切れを寄せると、大きく息を吐き出した。


(はしたない……サクラのように練習着を持参するべきだった……しかし、なんたる増長慢心か……情けない)


 最初、面倒だと嫌がる御用猫を引き摺るように稽古場へと連行したリリィアドーネは、彼を何度も散々に打ち据え、転がし、すっきりとした笑顔を見せていたのだが、内心腹を立てた御用猫は言葉巧みに彼女を誘導し、その稽古を見守っていた田ノ上老にけしかけたのだ。


 姑息にも情けない、野良猫流の仕返しである。


「石火」のヒョーエに相対し、なす術もなく見事に打ちのめされたリリィアドーネは、感服することしきりであった。そこから、御用猫には想定外の出来事であったのだが、自らの未熟を訴え、掛かり稽古を嘆願するリリィアドーネに巻き込まれた様な形で、彼も竹刀を握ることになっていたのだ。


 久しぶりに熱でも入ったものか、どこか上機嫌な田ノ上ヒョーエは、指導という名の撲殺劇場を開幕するのだ。碌な抵抗もできずに蹂躙される二人であったが、体力的に勝る御用猫である、徐々に被弾する回数が増えていただろうか、こうなればもう哀れな野良猫を救う者はない、いつの間にか乱入してきたサクラも交え、三人は色々な意味で立ち上がることも出来ぬ程、しごきにしごき抜かれた。


「先生ぇー、御用猫の先生ぇー、安いですよ、今ならお得な治療術が、身ぐるみ、もしくは有り金で受けられますでげすよ」


「なんか、ふわっとした悪徳商売だな」


 顔の前にしゃがみ込み、げすげすげす、と卑しく笑う森エルフの膝を、御用猫は、ぴしりと叩く。


「とりあえずサクラから治してやれ、多分、腕が折れてる、出来るか? 出来るならば昨日漬け込んでおいた肉を焼いてやろう」


「もちよん、ろんでごぜーますわ」


 チャムパグンは立ち上がり、わざとらしく御用猫の顔を跨ぐと、稽古場に転がったまま額に大量の汗を浮かべて、うんうん、と唸るサクラの治療を、うんうん、と唸りながら始めたのだ。


 リチャードは独り、今だに道場の周囲を走り続けている。



 御用猫も、何とはなく気付いていたのだが、サクラはやはり住み込みで修行をする腹積もりのようだ、先ほど腕を折られたことも忘れてしまったのか、満面の笑顔にて田ノ上老に纏わりつき、大先生、大先生と、身の回りの世話まで始めている、これはすっかり内弟子気取りなのだろうか。しかし意外にも、サクラは貴族の娘でありながら、家事をそこそこにこなすようである、普段は農家の女房連中が扱う台所や洗い場を直ぐに把握して、あれこれと働き始めていた。


 あれが足りぬ、これが欲しいと箇条書きに並べ立てられた必需品とやらは、どうやら御用猫が買い出しに行く羽目になりそうだ。昨日、御用猫が持ち込んだマルティエ仕込みの豚肉の味噌漬けと、農家から持ち込まれた野菜を炒めると、それを大皿にたっぷりと盛り付け、足の速い野菜の残りは彼が希望した通り味噌汁にしてある、塩分補給の為であろうか少し濃いめの味付けも、短冊に切った大根も、野良猫の好みに合致しものであった。


「今日は、敗北感に塗れる日だということか……」


 なんたる屈辱、と包丁を握りしめたまま、なんの役にも立たなかったリリィアドーネは小さく震える。


「ね、猫よ、男好みのする女性とは、やはり家庭的な……お前も」


「そうだね」


 被せるように通告すると、よよよ、と崩れ落ちた彼女ではあったのだが。


 夕飯は一番食べた。




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