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御用猫  作者: 露瀬
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桜花斉唱 7

 サクラは泣いた。


 およそ人目も憚らず、幼子の様に泣き噦った、そして今では泣き疲れ、リリィアドーネに縋る様にしてラバ車の荷台で眠りについている。


 帰りの道中、嗚咽を漏らすサクラの頭と背中を撫でながら、リリィアドーネはずっと御用猫の方に非難がましい視線を送り続けていた。荷台を占領された事により御者台に追いやられた卑しいエルフは、御用猫の膝を枕にし、絶妙なバランスを取りつつ爆睡している。


(それにしても、器用なものだ)


 感心しながらも、捲れ上がった彼女の服の下から、ぺろりと出た柔らかそうな腹肉を、何気なく左手で、ぐにぐにと揉み解す。


 サクラは敗れたのだ、格下だ素人だと侮っていた少年に。


 立ち合いは竹刀によって行われた、通常の四つ割りではなく、竹ひごの様な細切れを乱雑に纏め、細長い皮袋に詰めただけの簡素なものであった。サクラは正眼に構え、とんとん、と軽やかに調子をとる、対するリチャード少年は、やや緊張した面持ちで、右上段の構え。


 屋内稽古場の硬い床に正座するリリィアドーネは、隣に座る御用猫にくちびるを寄せて、小さく訊ねた、正座には慣れぬのか、その動きはどこかぎこちなさを感じさせる。


「猫よ、この様な勝負に何の意味があるのだ、どう考えてもサクラの勝ちは見えているだろう」


「あの親父の言う事だ、案外、良い勝負になるんだろ、まぁ見てな」


 御用猫が少し顔を向けたせいで、彼女と鼻先が触れそうになる、瞬時にして赤く変色したリリィアドーネは、ぴぃっ、と引き絞った様な声を上げて身を反らしたのだ、いつの間に、これ程身を寄せてしまったのかと。


(ふしだらな女と、思われてしまっただろうか)

 

 なにやら狼狽するリリィアドーネが、所在なく右へ左へ手を振り回している間に。


「はじめい」


 田ノ上老の厳かな合図とほぼ同時、おそらく日常の稽古による反射的なものなのだろう、リチャード少年は竹刀を振り下ろす、しかしサクラは不敵な笑みを浮かべたまま、竹刀の先で剣を受け、後退しながら大きく円を描くようにそれを回転させるのだ。振り降ろす力の向きを変えられ、少年の竹刀はすっぽ抜けると、あらぬ方向へ飛んでいった。


 後は、喉元に剣を突き付け、華麗に勝利を宣言する。


 サクラは勝ちを確信していた、同じような手際で何度も勝利を収めてきた、上級騎士上がりの指導教員にとて、最近では簡単に負ける事はない、そう思いながら自信をもって突き出した剣に、しかしなんたる事か、目の前の少年は自ら突っ込んできたのだ。


(っ!? なんでっ)


 全くに迷いの無い動きであった、リチャード少年の喉元を掠めた竹刀が皮膚を裂くのだが、彼は構わずサクラの懐に入ると身体を屈め、肩口から突き上げるようにして、彼女の胸の辺りに、ぶちかましを敢行する。


 肺を叩かれた少女は、ぐうっ、と息を吐き出した。


 サクラは混乱していた、何が起こったのか理解はしていたが、感情が追いつかないのだ、矢絣の襟元を乱暴に掴んだ目の前の少年は、反対側の拳を固め、わざとらしいほどに大きく振り上げている。今にも振り下ろされるであろうそれを見て、咄嗟に竹刀を手放すと、彼女は両手を頭上で交差させて受けようとしたのだが。


 ごっ、と鈍い衝撃音が道場に響く、多少なりと鍛えているとはいえ、所詮は十三歳の少女の膂力、田ノ上道場で基礎の訓練だけを叩き込まれ続けたリチャードとの筋力差は、比べるべくも無いだろう。


 ちかちかと、星を見ながら膝をついたサクラの目の前に、先ほどまで自分が使用していた竹刀が突き付けられる。


 それは、初めてみる景色であった、視界いっぱいに広がる、残酷なまでに大きく、冷たい風景。


 サクラは、きょろきょろと視線を彷徨わせ、リリィアドーネの方向にてしばし動きを止めた、そして大きく息を吸い込んでから。


 自分でも信じられぬ程の大声で泣き始めたのだった。



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