桜花斉唱 6
三十年程前、クロスロード最強と言えば「電光石火」だと、誰もが答えた。
これは、クロスロード人から怒りと侮蔑を込めて「ドワーフ」とも呼ばれる、北方の山脈を住処とする山エルフの氏族と、北の大国「ロンダヌス教国」突如として国境を越えたこの同盟軍とクロスロードとの戦「北嶺戦役」で、その名を上げた二人の英雄の事であった。
騎士としては「電光」のアドルパス。
命令違反の単騎駆けを度々繰り返し「騎士の精強なること、音に聞こえしロンダヌス」とまで謳われた、屈強なる敵騎士団を散々に搔き回し、当時のロンダヌス国王から、直々に賞金がかけられた程であり、愛馬と共にひとたび戦場を駆け抜ければ、千騎の軍団をも真っ二つに引き裂いたと言われる。
剣士としては「石火」のヒョーエ。
民兵として戦争に参加したが、所属していた部隊はドワーフ戦士団との衝突にて壊滅。その後、敗残兵五十人程を率いて独自にゲリラ戦を行い、北嶺山脈ドワーフ十氏族の内、三氏族の長と、四人の戦士長を討ち取った、殺されたドワーフの中には、完全武装のまま鎧兜ごと唐竹割にされた者もおり、当初は怪物の仕業だとさえ信じられていたのだ。
とはいえ、もちろん戦の大勢を決したのは、戴冠式直後の攻勢に一歩も引かず、国内貴族を纏め上げた現国王、グラフール ジ オ ロードスルサスの指導力と、大陸ーを誇るクロスロードの国力のなせるわざであったのだが。
「……それで、ゴヨウさん、こちらのおじ様が、その大英雄だと、そう仰るのでしょうか? 「石火」のヒョーエといえば、表舞台から去るのが早かった為に、数多くの偽物騙りがいると聞き及びます、正直なところ、半信半疑なのですが、もちろん半分の信は、リリアドネ様の分です」
イグサの匂いが残る畳の上に横座りし、サクラは明らさまな疑いの眼差しを、御用猫に向けている。建てられてからは随分と年月が経っているのだろうが、田ノ上道場はよく手入れが行き届いていた、これは近所の農家から、交代で女衆が身の回りの世話を焼きににくる為である。
野盗や猛獣などの排除から、農家同士の揉めごと仲裁まで、田ノ上の大先生に頼めば。
間違いは、ない。
と、いうのが、この界隈での常識なのだが、勿論サクラには知りようもない事だろう。
御年五十五歳、白髪の混じる短い総髪、細い目元は柔和な印象を与えるが、濃い灰色の着流しに茶色の羽織と地味な姿の下には、初見の印象よりも太く筋肉質な身体を隠し、横に立って並べば、御用猫よりも背が高いと気付くことだろう。
「サクラ、失礼な事を言うんじゃ無い、田ノ上様、突然お邪魔したうえに、無礼な発言、お許し頂きたい」
頭を下げるリリィアドーネに、よいよい、と手を振ると、田ノ上道場の主、田ノ上ヒョーエは、からからと笑った。
「いや、若い内は素直な方が良い、それに昔の逸話など話し半分どころか、殆どが作りものじゃ」
確かに、目の前の老人から警戒すべき圧力のようなものは、リリィアドーネには感じられなかった。
「石火」の伝説は、他ならぬ「電光」のアドルパスから直接に聞いた事のある彼女ですら、とても信じられぬものばかりであったのだが。
「まぁな、でも田ノ上のおやじは相当に強いぞ? 具体的には四リリィ位だ、サクラ換算なら三十はいく」
サクラやリリィアドーネには、よくわからない例えであったのだが、リチャード少年は正座して控えたままに、うんうんと頷いている。
「……教えを請うならば、私自身が貴方の強さに納得したいのです、無礼なのは重々承知していますが、一手ご教授お願いできますか」
「……うぅむ、残念じゃが、儂はもう弟子を取らぬと決めておってなぁ」
ぽりぽり、と頭を掻きながら田ノ上ヒョーエは、なにか困った様な顔を作ってみせるのだ、好々爺と呼ぶには少々柄が大きく、豪放磊落というには品が良すぎる。
(何か、つかみどころが無いような)
リリィアドーネは、ふわふわとした印象の人だと不思議に思い、くい、と眉根を寄せた。
「嘘つけ、リチャードが居るだろ」
「こ奴は、十五になるまでよ、騎士に成れば卒業じゃ」
「ならいいだろ、もう一人増えたって、サクラも騎士になるまでだと、説明したろ?」
うぅむ、と、再び頭を掻く田ノ上ヒョーエは、しばし考え込むような沈黙ののち、ぽん、と手を叩く。
「そうじゃな、このリチャードと立ち合って貰おうか、こ奴に勝てれば、改めて儂が相手をしよう」
えっ、と、声をあげたのはリチャード少年であった。
「大先生、僕は騎士を目指す者として、女性に手を上げるのには、ちょっと、抵抗が」
しかし、それを聞いた瞬間に、がたっ、と音を立ててサクラが立ち上がる。
「男だから、女だからと、考えの古い! そのような化石のごとき発言、私の最も嫌いな部類の男ですね、軽蔑します! そもそも、勝てると思っているのですか、先ほど見た限り、まるで素人の振りでしたよ、貴方は、まったく、少しばかり見栄えが良いからといって、こっそり見惚れた自分が恥ずかしくなります、その考え方と性根を入れ替えるといった名目で、この遣る方無い怒りをぶつけてやりますから、覚悟しなさい! 」
いろいろと正直なサクラの宣言を聞き、田ノ上ヒョーエと御用猫は、お互いを見やりながら、悪い笑顔を見せていた。




