ててなしご 18
マルティエの亭では、当然のように、宴会が行われている。
昨夜の、ゆっこ奪還作戦に参加した者達を労う為、御用猫と田ノ上老が出資して開いた会であった。
普段と違うのは、店を貸切にせず、一部の常連客も、参加している事だろうか、これは、ゆっこが最後に挨拶をしたいと言い出したからなのだ。
王城に、ゆっこを引き渡す期限は三日、明日の朝には、リリィアドーネが彼女を連れて登城する事になっている。
その後の事は分からぬが、まず、キケロ伯の元には戻らないだろう。彼の知らぬ事とはいえ、殺されかけた相手と、暮らせるはずもないのだ。
そのような事、人情家のアドルパスが、許すはずもあるまい、今の所は、信用の置ける孤児院で、成人まで育てる事になっているそうだ。
各テーブルを回り、皆に別れの挨拶を交わして戻ってきたゆっこは、少し疲れたのか、御用猫の膝の上で身体を揺すり始めた。
(眠くなったか、まぁ、あれだけ引っ張り回されればな)
宴会が始まってからこのかた、話し通しであったのだ、お世話になった挨拶から、僅かな期間の思い出話し、泣き出すサクラやミザリを宥め、ティーナや青ドラゴン騎士には揶揄われる。
しかし、可哀想だが、もう少し頑張って貰おうかと、何度も、小さく膝で跳ね上げる。
眠い目を擦りながらも、こちらに笑顔を向ける少女を見ながら、ふと、御用猫は気付いてしまった。眠くなった仕草を理解する程に、自分は、ゆっこに慣れ親しんでしまっている、と。
何とは無しに、隣に座る黒雀の頭を撫でるが、これでは、まるでゆっこの代わりではないかと、自己嫌悪に陥りそうになる。
黒雀は、今日も縄張りを譲り、最後の、お姉ちゃんをしているのだ。
そう、最後なのだ。
「……なぁ、ゆっこ、何で俺が、おとさん、だと思ったんだ? 」
膝の上の少女が、びくり、と身体を震わせる。向かいに座るサクラが、何事か言いかけたのだが、リリィアドーネに押さえられ、非難がましい視線を、御用猫に向けるにとどめている。
「おかぁさん……お母さんが、言ってました、今は会えないけど、いつか、私が困った時には、おとさんが、きっと、助けに来てくれるって」
そして、森の中でゆっこが襲われた時に、本当に助けが来たのだと。
「私とおんなじ、黒い髮で、ちょっと、傷があるから、怖い顔だって」
御用猫は、首を傾げる、ティーナに聞いた話では、中島キケロ伯爵は金髪で、卵のように、つるりとした顔であったはずだが。
「すごくつよくて、でも、すごく優しいって……だから、おとさん、です、でし、た」
昔の恋人か、それとも、泣く子に幻の父を与えたのか。ゆっこの母親は、少なくとも、キケロ伯爵に向ける、愛は無かったのだろう。
「……いや、です」
ぎゅうっと、身体を絞ったゆっこは、ついに、ぽろぽろ、と涙を溢し始める。
「や、いや……おとさんと一緒がいい! こわい、やだょぅ、いや、やぁーっ! 」
「駄目だ」
泣き始めたゆっこを案じて、集まって来た皆の前で、御用猫は、きっぱりと告げる。
「どうして! どうしてですか! ゴヨウさんは、ゆっこちゃんの事! 」
思わず立ち上がったサクラであったが、最後まで言えずに、ただ、唇を噛み、拳を握った。
それが、欺瞞だと理解しているから。
「なぁ、ゆっこ、俺は、お前のおとさんじゃないんだ、こんなのは嘘だ、ただの勘違いだ」
くるりと向きを変え、彼女を、向かい合わせに座らせると、ゆっこは、涙に塗れた顔で、いやいや、と、首を振る。
「嘘ついたままじゃ、家族には、なれないんだよ、家族になりたいならな、本当の事をな、言わないといけないんだ」
背中をさする度に、びくり、びくり、と、ゆっこが震える。
「だって、ほんとう言ったら、おとさんが、おとさん、いなくなっちゃう」
「そうだ、だから、お別れしなくちゃ」
ぎゅうぎゅう、と、御用猫にしがみ付くゆっこの体温に。
(随分と、分けてもらって、いたのだなぁ)
ふと、このまま、一緒に暮らせば良いのではないかと、御用猫の心に、悪魔が囁いた。
誰も困らぬ、むしろ、皆が幸せになるではないかと、そう囁くのだ。
「やだ、いやだよぅ……いや」
この温もりに二人で溺れ、偽りの親子を演じれば良いだけ。
そう、捨てられた自分の代わりに、彼女を拾うのだ。
なんたる独善、醜悪な自己愛だろう。
吐き気がする、そのように薄汚い心根で、何が家族というのか。
ゆっこを幸せに、できようはずもない。
「……おとさん、いや、ひとりは、いや」
「心配すんな、別に、いなくなる訳じゃないんだから」
とうとう疲れてきたのか、御用猫を掴むゆっこの手が、わずかに緩んできた。
「困った事があったら、ここにきな、俺は強いんだ、ゆっこを泣かせるような奴は、すぐに行って、やっつけてやるからな」
だから、安心しろ、と、御用猫は撫で続ける。
「……ほんとう、に」
「あぁ、もちろんだ……ほら、明日からは忙しいぞ、今のうちに、見せてくれ、お世話になったら、どうするんだっけ? 」
真っ赤になったゆっこの顔は、涙とも鼻水ともつかぬ水に濡れ、喉を詰まらせ、眉も口元も歪んでいたのだが。
「……おとさん、ありがとう、だいすきです」
その笑顔は、とびきりであった。
翌朝、ゆっこが目を覚ます前に、御用猫は店を出た。
別れは、もう充分に済ませていたのだから。
ててご恋しや虚の娘
夜を彷徨い猫の家
違う、違うぞ、父では無いのだ
消えぬ想いを掻き抱き
明日はひとりの御用猫
御用、御用の、御用猫