ててなしご 16
御用猫が建物内に消えた後も、玄関前の空き地では、戦闘が続いていた。
早々に一人始末を付けた黒雀は、新たな犠牲者を求めるべく、既に、いづこかへ消えている。
リリィアドーネと田ノ上老は、未だに、それぞれの相手と剣を交えていた。
どちらの敵も、かなりの遣い手であったが、特に、田ノ上老の前に立つ、顎に傷のある短髪の男は、恐るべき腕前であったのだ。
おそらく、御用猫では相手にならなかったであろう、リリィアドーネやビュレッフェと、同格の剣力ではあるまいか。
「ふむ、一応、名を、聞いておこうかの」
一度、距離を取り、田ノ上老は、傷顎の男に声をかける。
「……老体を休める為、という訳では無さそうだ、流石は「石火」のヒョーエ、伝説は真であったか……しかし、無意味な名乗りは、しない主義でな」
全て、この剣にて語るのみ、と、再び正眼に構える。
「ふん、面白みの無い奴め、まぁ良い、大して興味もないでな……そろそろ、あの娘も見付かった頃合いであろうし」
田ノ上ヒョーエは、愛刀、へしきり丸を大上段に振りかぶると、眼をすぼめた。
途端に、音が消えた。
正確には、消えた訳ではない、傷顎の男が、本能的に、無意識のうちに、音を遮断したのだ、目の前の敵に、全神経を集中させる為である。
そうしなければならない程の、いや、そうしたところで、無意味な程の、強大な、敵。
「おぅ、名無しの坊主よ、今日の儂は機嫌が悪い……運が無かったな」
完全なる、間合いの外側、そうであった筈なのだ。
傷顎の男が、最後に感じたのは、何か、冷たいものが、身体の中心を通り抜けてゆくような感覚。
二つに別たれた身体が、びちゃびちゃ、と、倒れるのと時を同じくして、リリィアドーネの方も、勝負が付いたようだ。
もしも、田ノ上ヒョーエが最初から本気を出したならば、一瞬で、二人ともに片は付いていただろう、しかし、そうなれば、御用猫を追ってリリィアドーネも建物に進入していたかも知れぬ。
そうなれば、この初心な少女が、どの様な惨状を目にするか、知れたものではないのだ。
少々、過保護であるか、とも思ったが、田ノ上老は、サクラと同じく、この娘にも、何やら情が湧いてしまっているのである。
何というか、彼は、舅のような心持ちであるのかも知れない。
「田ノ上様、お怪我は? 」
「うむ、心配要らぬ、ここは儂に任せて、サクラの方を見てきておくれ」
はい、と、気持ちの良い返事を残し、リリィアドーネは建物の右手に廻り駆けてゆく。
(外の連中は、見ておるだけか? ふむ、唯の見張りかのう)
まぁ、やって来るならば、斬れば良いだけの事か、と、田ノ上老は懐紙で愛刀を拭うと、リチャードを呼び寄せる。
「大先生、何か」
眠ってしまったチャムパグンを鞍に固定し、馬から飛び降りると、リチャード少年は、少し顔を歪める、胸に穴が空いているのだ、当然であろうか。
しかし、いつの間にか、気合の入った眼をするようになったものだ。
御用猫が、最初にこの少年を連れて来た時は、彼に隠れて、女子の様に震えていたものだったが。
田ノ上道場の主として、剣の腕だけでなく、人間として弟子が成長してゆくのを見るのは、何とも言えぬ、満足感を覚えるのだ。
(最初から、そう、気づいておれば、また、違っていたのか)
力こそが総てだと、剣術のみが人生だと、かつての田ノ上老は、そう、考えていた、そして、取り返しのつかぬ過ちを犯したのだ。
「うむ、折角に付いてきたのだ、ほれ、そこに元凶の一人がおるでな、とどめを刺しておやり」
「ヒイっ」
永遠の暗闇の中、がたがた、と震えていたイシンバロスは、短く悲鳴をあげると、首を守るように縮こまって、そのまま動かなくなった。
「いえ、お言葉ですが、大先生、生きている者は、捕らえて番所に突き出しましょう」
「こ奴らは、人とも呼べぬ畜生共よ、それでも、良いのかえ? 」
リチャードは、痛む胸を押さえながらも、にっこり、と笑ってみせる。
「はい、若先生から、私怨で人を殺すなと、剣が濁るから、と、そう、教えられていますゆえ」
「……そうか、うむ、そうか、良い良い、それで良い」
満足であった。
確かに、間違いは犯したかも知れぬ、気付くのが遅かったやも知れぬ。
しかし、こうして、若者が真っ直ぐに育っているのだ。
(少なくとも、むだ、ではなかろうて)
もう少し、自分にも教えられる事はあるだろう。彼らが巣立つまで、それまでは、弟子を守ってやるのだ。
この、汚れた剣で。
まことに珍しくも、田ノ上老は、リチャードの頭を撫でてやる。ひょっとしたら、初めてではなかろうか。
一瞬だけ、驚いた顔を見せた少年であったが。
直ぐに、とびきりの笑顔を浮かべたのであった。