ててなしご 14
逸る気持ちを抑え、イシンバロスは徒歩にて隠れ家へ向かう。
目立つ訳にはいかなかった、町人の格好で、人波に紛れ移動した、昔から仕事を共にする、腹心とでも呼ぶべき、信の置ける二人の仲間と共に、見た目だけは、ゆったりと歩く。
これが最後の仕事になるはずなのだ。しくじり、は許されない、ふくろうの伝手で雇った闇討ち屋とは、現地で合流する手筈になっている。
夕闇の近づく頃になって、人通りの少ない郊外の街道を、のんびりとクロスロードへ進む、行商の馬車を見つけた。手を挙げて馬車を止めると、イシンバロスは、御者に声をかける。
「今お帰りかね? 景気はどうだい? 」
「とんでもねぇ、今が売りどきなんですわ」
「なら、頂こうかね」
イシンバロス達は、行商から長剣と短槍を受け取ると、小銭を渡しながら問いかける。
「剣は、あと何本だい? 」
「十一本ですわ、上物ですぜ」
満足のゆく答えだった。隠れ家に居る手下は五人、いずれも、荒事に慣れた手練れ達だ、彼らを殺し、口を封じる必要はあるが、不意を突くにしても、倍の数は必要だろうと、考えていたのだ。
(となると、ふくろうめは、何人揃えてきたことか)
修道院を襲い、イシンバロスは街を出る、そう、下話はしてあるのだが、完全に信用する訳にはいかないだろう、土壇場で裏切られる可能性も、充分にあるのだから。
供の二人以外とは距離を置き、いざとなれば、一目散に逃げの一手である。
イシンバロスの目指す先、ゆっこの囚われる隠れ家は、元は製材所であった、広い敷地に、未だに残る朽ちた材木は、丁度良い目隠しとなり、中の様子が伺えぬ。
イシンバロスの部下は、ここに交替で寝泊まりし、近所、と言っても荒地と田圃の向こうだが、他の住民には狩人だと説明してある。
多少の騒ぎを起こしたとて、気付かれる事もなく、血の気の多い狩人達が喧嘩でもしたのだろうと思われるだけなのだ。
今迄にイシンバロスが、中島キケロ伯爵の為に、ここで解体した老若男女は、二十人をゆうに超えるだろう。
不意に、ゆらり、と木材の影から現れた人物に、イシンバロスの心臓が跳ねる。
「囲ったぞ、いつやる? 」
一目で分かる程の凄腕だった、おそらく、純粋な剣力はイシンバロスよりも上。その顎に傷のある短髪の男は、必要以上に喋らぬのか、一見して棒立ちのように無造作に、しかし隙なく、じっと、イシンバロスを見詰めるのだ。この男が、ふくろうの紹介してきた闇討ち屋だろう。
「あぁ、そうですね、すぐにでも、時間はありませんから、このあと、修道院にも行かなければなりませんしね、ただし、女子には、くれぐれも傷を付けないよう……」
どこか気圧されたように、僅かな早口で要件を告げるのだが。
「おい」
顎傷の男は、棒立ちのまま、ぐいっ、と、目を細めた。
「……追跡られたな、馬鹿者め」
「は? 何を」
この男は、突然、何を言っているのか、二十年だ、二十年、この仕事を、裏の仕事を続けてきたのだ「狸火」と呼ばれ、裏の世界でも一目置かれる自分が、その様な、素人の如き間違いを犯すと思っているのか。
あり得ないだろう話に、鼻白んだイシンバロスであったが、ふと、足先から伝わる僅かな振動に、己の運命を知る事となる。
もしも、イシンバロスが、後先考えずに、馬で此処に向かったのならば、僅かに未来は変わっていたかも知れない。
彼の経験が、その慎重さが、皮肉にも、騎兵隊の到着を間に合わせてしまったのだ。
「いよぉし、チャム、もういいぞ! 気付かれた、赤グループは左、青は右だ! 吹っ飛ばせェ! 」
突如として、大音が響き渡る。馬蹄が鳴らす太鼓の連打は、先程までの静粛さが嘘の様に、片田舎を戦さ場に変えるのだ。
「ごぁっ、ご、ご、御用猫か!」
「下がるぞ狸、中の手下を呼び出せ、迎え討つ」
慌てるイシンバロスの肩口を、顎傷が引っ張る、口笛を鳴らしたのは、配下への合図だろうか。
(何だ? 手強そうな奴が居るな)
リリィアドーネの肩越しに、御用猫は強敵の存在を見とめる、些か情けない話であるが、乗馬の出来ぬ御用猫は、今も彼女の腰にしがみついているのだ。
賊どもとは、まだ、距離はあるのだが、此処からでも分かる程の手練れだ、手間はかけられない。
ここは、かの者を頼るべきであろうと、振り向いた所で、田ノ上老と目が合う、どうやら、言わずとも、と、いう事らしい。一つ頷き、リリィアドーネと並走する様に、速度を上げてくる。
左手からは炎帝騎士の二人に、みつばちとティーナの二人乗り、右手からは、やる気充分のサクラとフィオーレ、そして。
「聞いてない、聞いてないスよ、猫のセンセ! 」
「ガチやないか、何人いんの? 何回おごりなの? 」
文句を言いながらも、逸る少女二人の補助をする位置を取りながら、離れて行くウォルレンとケインであった、乗馬の腕も大したものだ。
それにしても、彼等は、なんと分かっているものか、あちらも任せて大丈夫だろう。
「リチャードは、チャムを守れ、まだ後ろからくる可能性あるからな、気ィ抜くなよ! 」
森エルフを後ろに乗せたリチャードは手綱を引き減速する、無理に止めるのも逆効果だろうかと、少年の希望を聞き入れ、同行させたのだ。
しかし、何とも、過剰戦力ではある、そこらの盗賊団程度が相手ならば、五十やそこら、始末出来るのではなかろうか、ゆっこの事が無ければ、イシンバロスたちに同情していただろう。
その「狸火」は、製材所の建物内に何事か叫びつつ、御用猫達を迎え討つべく身構えている。
もしも、だ、中から、ゆっこが現れたならば、彼女を人質として、脅されたならば。
(皆には、軽蔑されるな)
彼は、見捨てるつもりであったのだ、チャムパグンが居るとはいえ、即死ならば、助けられぬだろうが、ゆっこを救う為に、皆を危険に巻き込む訳にはいかない。
(……何か言われる前に斬る)
それが、御用猫の出した結論だ。
馬から飛び降り、地面を擦る様に着地すると、勢いを殺さぬように走り続ける。
苛立ちも抑えずに、叫び続けるイシンバロスの前で、玄関の扉が開き、十歳程の少女が現れた。
ゆっこだ。
ひとりで、現れた。
「御用猫ォ! 止まりなさい、この娘がどうなるか」
少しばかり余裕を取り戻したのか、イシンバロスは、にやついた笑いを浮かべ、御用猫に向けて叫ぶ。
彼の手下二人が、ゆっこの手を引き、片方が剣を少女に突きつけた。
「ひきっ」
このような極限状態である、イシンバロスも、手下二人も、顎傷の男すら、気付かなかったのだ。
何故、囚われの少女が、建物内に居るはずの仲間に連れられていないのか、拘束もされずに、玄関から、ひとりで現れたのか。
「ひ、ひっき、ひっき、殺す? ころ、ころ、ても、いい? 」
あまりの恐怖からだろうか、と、イシンバロス達は思う、少女は引き攣ったように笑い始めたのだ。
「ゆっこは! どうした!?」
「ひきっ、ぶ、ぶじ、えらい? えらい? 殺していい? 」
少女の白い肌に、梵字の如き入れ墨が浮かび上がる。なんたる事か、顔かたちまで変化してゆくではないか。イシンバロスの手下二人は、思わず手を放し、この不気味な生物から距離をとるのだ。
「黒雀! 良くやった! 愛してるぞォ! 」
ざりっ、と、背後から音が聞こえたような気はしたが、御用猫は無視して、井上真改二を抜き放つ。
これが、僅かに、御用猫が期待していた事なのだ。アルタソマイダスに釘を刺され、引きあげさせた雀蜂であったが、黒雀だけは、最後まで受け入れず、抵抗を続けていたのだ。
御用猫は宥めすかして、この黒い暗殺者の機嫌を取り、何とか里に帰らせたのだが、どうやら隠形の術で身を隠し、ゆっこの側に纏わり付いていたようだ。
普段は言う事を聞かぬ、問題児であったのだが、今回ばかりは、チャムと共に、あとで、たっぷりと甘やかしてやらねばなるまい。
多少のイドも吸わせてやろう。
「おら、覚悟をしろよ、タヌキ野郎! 」
「おぁあ! もぅ! もうぅっ! みんな、死んでェェよッ! 」
薄い頭を掻き毟り、子供の様に、長剣を地面に叩きつけると、背中から短槍を外し、御用猫に向けて構え直す。
他の相手は、田ノ上老とリリィアドーネに任せておけば、間違いないであろう、黒雀も、まだまだ殺し足りないようだ。
大刀を右に、左手で脇差しも抜くと、御用猫はイシンバロスに狙いを定める。
私怨はあるが、心は乱れていない、これならば、十全の力が出せるだろう。
「こいよ、稽古を付けてやる、火は点けねぇから心配すんな」
野良猫の、本領なのだ。