ててなしご 13
夕空に太陽が沈むのもそろそろ、南町の一角、上町の城壁に程近い住宅地に「さぬきや別館」という店がある。
高めの値段設定だが、裕福な旅人や、上町貴族の会食などに利用される、つくりの上品な旅籠であった。
目立たぬように計らわれた生垣に囲まれた出入り口は、客同士が擦れ違わぬように二箇所用意され、石造りの外壁には防音の呪いが毎日かけ直される。
主人や従業員も、身元確かで口の固い者が選ばれており、所謂、連れ込み宿、としても、南町貴族の間で、密かな人気があるのだ。
もっとも、今現在食卓を囲むのは、そのように艶のある男女では無く、身なりこそは良いものの、何処か怪しげな雰囲気をまとう男が三人。
一人は白髪の老紳士、見たところ、この場を支配しているのはこの男であろう、上座に座り、態度も横柄である。
「……お館様は、大層不機嫌であるぞ」
「それは、まさか、このような話は、想定の埒外であるかと」
びっしょりと汗をかき、先ほどから言い訳を並べ立てるのは、四十絡みの薄毛の男「狸火」のイシンバロスである。
駝鳥のように薄い頭髪は汗でよじれ、頭皮が露わになっている。ふうふう、と息は荒く、とめど無く額に浮かぶ汗を、落ち着き無さげにハンカチで拭い続けていた。
「しかし「電光」のアドルパスが、その様な申し出、一介の賞金稼ぎに、それ程の所縁があるとは、確かに意外でしたな」
「ふくろうよ、貴方は知っていたのでは無いのですか? このような不手際、まさか、私が組合から抜けたのを、未だに根に持って」
ぎりぎり、と歯を鳴らしそうな程に唇を曲げ、イシンバロスは、南町の裏口屋を取り仕切る、組合長を睨みつけるのだ。
「何を、つまらない事を言うんじゃねぇよ、御用猫の情報を買わなかったのは、お前さんだ……まぁ「石火」と「電光」は誰だって、犬猿だと思うがなぁ」
御用猫も、それなりに名が知られてはいるのだ、イシンバロスは、御用猫と、田ノ上ヒョーエとの繋がりこそ知っていたものの「石火」に関しては、かつての英雄ではあるが、何の政治力も無い、時代の終わった孤独な老人、程度にしか理解していなかったのである。
「もうよい、他所でやれ、今は、あの娘だ……知らぬ存ぜぬでは通らぬぞ、殿下まで事が知れておるのだ、御庭番衆でも出されれば隠しきれまい」
「それは、必ず、はい、何を持ってしても」
再び汗を拭い始めるイシンバロスに、にたにた、と笑いながら、ふくろうが声をかける。
「ひょっとして、例の、気持ち悪い趣味にしたのか? 死体を渡すにしても、それじゃあ納得されまいよ、アドルパスの旦那は、自分の娘だと言い張ってるんだろう……これは、お前さんの首がいるなぁ」
「ごぉっ! 」
何事か言いかけたイシンバロスが、喉を詰まらせる、胸を掻き毟り、額に脂汗を浮かべた。
「確かに……死体で渡すならば、下手人は必要だな、忘れるなよ、期日は三日だ」
「ぐっ」
「人手が要るなら、ウチ以外に頼みな、尻拭いに関わるのは御免だぜ……まぁ、昔の誼で、組合外の、腕利きの紹介くらいはしてやるさ」
話は終わりとばかりに、二人は部屋を出てゆく、ひとり残されたイシンバロスは、唸り声を上げて、テーブルに拳を叩きつけた。
(何故だ、なぜこんな事に)
歯嚙みすれど、事態が好転するはずも無い。
古着屋で、貴族の娘を攫ったのは、まだ昨日の事なのだ、何が起こったのか、こと、が早すぎる、彼の理解が追い付かないのだ。
イシンバロスの飼い主たる、キケロ伯爵の元に「電光」のアドルパスが現れたのは、彼が登城して直ぐの事であった。
いつまでも見慣れることの無い威容に、腰を抜かしかけたキケロであったが、その大山の影から、シャルロッテ王女が姿を見せた時、ついに彼は、力なく床にへたり込んだ。
その、人語を話す猛獣が言うには、長年探し続けていた、彼の娘が、キケロの名の元に、バンツース修道院に匿われているというのだ、ここは、孤児院も兼ねており、身元不明の子供達も集められているとか、その子の名は、ゆっこ、と言うらしい。
キケロ伯爵には、全くに、覚えの無い事であった。彼は、十年前に侍女に手を付けた事も、その女が身籠った事も、修道院で内密に育てられている事も、総て忘れていたのだ。
彼にとっては、癇癪持ちの妻から逃避する為の、慰みこそが重要であり、その結果には興味がないのだ、その程度の事なのだ、最近、妻に念願の男子が産まれ、キケロ伯爵はついに解放されたのだ、さあこれからと、側室を迎えるべく、美女を物色し始めたばかり、漸くに幸せを迎えられると、舞い上がっていたところなのだ。
これは、一体何の謀かと、自分を陥れようと画策するのは何者かと、考えを巡らせたキケロ伯爵であったが、兎も角も、全幅の信頼を寄せる、家令を呼びに走らせた、家中の事は、総て、親の代から自家に仕える、この家令に任せ切りであった為、彼は全ての厄介ごとに、この老紳士の指示を仰がねば、身動きが取れないのだ。
主人の危機に駆け付けたその男は、貴族社会で磨き上げたその老獪さで、アドルパスを宥めすかし、交渉をする。
そもそもが、あり得ない話なのだ、キケロの娘は、母親こそ去年亡くなったが、間違いなく、彼の子種であろう、産まれてからこのかた、修道院を出した事も無い、バンツース修道院は、ゆっこの他にも「表に出せない子供」を抱えており、その点に関しては間違いないのだ。
「電光」のアドルパスが、何の目的でこの様な事を言い出したのか、王女まで連れてきたのだ、慎重にならねばなるまいと、探りを入れつつ、根気よく話を進めたのだが。
結果は、一刀両断である、一歩も譲らぬ大英雄に、ついに折れる形で、三日以内に、その娘を連れて登城する運びとなったのだ。
主人の情けなさと、長年培ってきた会話交渉術を否定されたような思いで、肩を落とす。その苛立ちから、老紳士は、すぐさまに、子飼いのイシンバロスを伴い、南町の裏口屋に繋ぎを取った。
彼の中で、既にイシンバロスは切り捨てられていた、件の娘を始末させようとしたのは自分自身なのだが、この男が最初にしくじらねば、今現在の厄介な事態は訪れなかったのでは無いかと、半ば八つ当たりのように、考える。
老紳士の中では、賊に襲われて不幸にも命を落とした娘、という筋書きが、最初から出来上がっているのだ、ふくろうを呼び出したのは、今後の裏仕事を代わりに頼む為と。
(私を、始末するためでしょうね、忌々しい! )
イシンバロスは走った、まだ、取り返しはつくのだ。
修道院の程近く、東町郊外の隠れ家に、例の娘は居る筈だ、一度は逃げ出した小癪な子供ではあるし、その為に随分と苦労もした、自ら、たっぷりと教育してやろうかと、部下に殺す指示は出していない。
しかし、手下共には、こういった場合、虜囚は好きにして構わぬ、と、常日頃から言い聞かせていた。
話のわかる上司だろうと、内心、自慢にもしていたのだ。
殺しは、していない、だろう。
しかし、どの様な状態かは分からない、精神が壊れ、気が触れているかもしれぬ。
そのような子供を渡すくらいならば、死体の方が、まし、やも知れぬのだ。
イシンバロスは走る、気に入らない、癪に触るが、ふくろうの紹介で、手勢を連れて行くのが良いだろう。
娘は、不幸にも盗賊に襲われたのだ、自分が修道院に駆け付けた頃には、盗賊共は、修道士達と、子供全てを犯し尽くし、殺し尽くしていたのだ。
そうだ、そうする他に無い。
ふくろうに金を握らせて処理して貰おう「狸火」のイシンバロスはここで死ぬ、後はオラン辺りで、のんびりと余生を過ごすのだ。
イシンバロスは走る、終わりは近い。
そう、知らぬのは、彼自身のみであった。