ててなしご 12
「むう、それは……現時点では手の付けようが無いな」
「悪かったな、無駄足を踏ませて、咄嗟に出せて炎帝騎士に幅の利く名前が、あんた達しか無かったんだ」
先ほど、馬を走らせて道場に現れた、ビュレッフェとクロンに頭を下げると、御用猫は、これまでの経緯を簡単に説明し、今は膳を用意している。
「いえ、若先生の心配事なれば、喜んでお手伝いしましょうとも、個人的にも、斯様な悪党ども、許せはしません」
「そうだな、辛島殿、とは、知らぬ仲でも無いしなぁ」
うはは、と豪快に笑うビュレッフェは、少し意地悪そうな目で、御用猫を見るのだ。
「勘弁してくださいよ、ビュレッフェ様、あぁ、ほら、サクラや、杯が空いてるだろう、お酌して差し上げなさい」
「空いて無いじゃないですか、全く、ですが、ビュレッフェ様も、クロンも、ありがとうございます、わざわざ駆け付けていただいて」
そう言って、サクラは銚子を傾け、たった今飲み干された杯に酒を満たしてゆく。
以前の騒動以来、たまに道場に顔を出す「雷帝」の腕前と稽古ぶりを目にしたことで、どうやら、ビュレッフェに対する彼女の評価は、元に戻っているようだ。
騒ぎのあった古着屋で、拘束される面倒を嫌い、御用猫は、赤虎炎帝騎士団に対して顔の利く二人の名前で、その場を凌いでいた。
何事かと駆け付けた彼等を労う為、マルティエの弁当を肴に、田ノ上老秘蔵の清酒を振舞っていたのだ。
「ティーナとか言ったか、ほれ、あの色っぽい情報屋な、最近は道場を足掛かりに動いておるでの、もう暫くすれば帰って来よう、何か吉報があれば良いが」
酒に関しては、文句も言わずに提供してくれた田ノ上であったが、些か、不機嫌そうである。
リチャードが刺されて死にかけた事、それについて、サクラが酷く心を痛めた事、この二点が、老体の心に火を点けたのだ。
(イシンバロスか、哀れなやつめ、少なくとも、お前の命運は、今、尽きたぞ)
見た目には分からぬ事であるが、田ノ上老の静かな怒りは、青い炎の様に、目立たず、高温なのだ。
「して、猫よ、その、ゆっことやらは、無事であると思うのか? 」
田ノ上での言葉に、びくん、と、サクラの肩が跳ねる。この老人は、敢えて聞いたのだろう、根拠となる御用猫の話を聞かせ、少女の心を安堵させる為に。
ゆっこを攫った者達については、深く尋ねる事をしなかったサクラだ、この話を避けていたのは、間違いない。
「そうだな、さっきも言ったか、貴族が絡んでいるのは、ほぼ間違いない話なんだ、それも、かなり位の高い……な、よくある話だろう、侍女か何かに手を出して孕ませた、子供を殺すわけにもいかず、何処かに隠して育てたんだろ、みつばちが調べ切らなかったんだ、おそらく、その手の修道院で育ったのかな……何で、ゆっこが逃げたのか、理由は分からんが、相手は当然に取り戻しに来た、だから、殺す筈は無い」
これは嘘だ、サクラやクロン達は納得した様子であったが、田ノ上老の目が細められる。
「ふむ、それならば、一先ずは安心であろうな、相手と場所が分かれば、儂も手伝おうかの、落とし所は、探さねばならんが、の」
「大先生、いざとなれば、私も尽力致しますゆえ、お知らせください、ビュレッフェと二人、必ず駆け付けましょう」
「おい、クロンよ、貴様、俺を顎で使うつもりか」
肘で突きながら、ビュレッフェが歯を見せると、クロンも、そのコブダイに似た愛嬌のある顔で、にこにこ、と笑うのだ。
どうやら、この二人は、身分や格を超えたところで、友情を育んでいるらしい。
(良い友人をみつけたな、クロンも、青ドラゴンの馬鹿二人より、遥かにましだ)
野良猫には、どこか、羨ましくもある。
「すまぬの、儂からも感謝するぞ、大した物は無いが、今日のところは、ゆるりとしていっておくれ」
田ノ上老は、客人のもてなしをサクラに任せると、御用猫に目配せをし、立ち上がる。
道場まで二人は無言で移動し、濡れ縁に腰を下ろすと、田ノ上老の方から、先に口を開いた。
「それで、実の所はどうかよ」
「生死は半々、生きてても、無事かどうかは、また半々、だな」
密かに期待する事はあるのだが、その可能性は少ないだろうとも、告げておく。
ふうむ、と、田ノ上老は顎をさする、先ほどから、眼光が鋭くなるばかりで、少し恐ろしいと、御用猫は感じるのだ。
「手元には置かなんだ、子に愛情は無かったのであろうな、しかし十まで育てたからには、正室に子が無いか、予備のためか」
「おそらく、男子でも産まれたのかな? 今日になって気付いたんだが、こないだ、森から戻る途中で、盗賊か何かを斬り殺した……ひょっとしたら、あれは、ゆっこを始末しようとしてたのかも、随分と奥まった場所であったし、近くに荷物も死体も無かったから、不思議に思った記憶があるんだ」
そうだとするならば、ぴたり、と、時期が合うのだ。
その価値、必要がなくなり、処分されそうになったゆっこは、林の中で、闇討ち屋の手に掛かる寸前に逃げ出した。街道からは外れていだのだが、たまたま、ブブロスの隠れ家から、クロスロードに向けて、真っ直ぐに歩いて来た御用猫に出くわし、目撃者を消そうとした闇討ち屋三人を、御用猫が返り討ちにしたのだ。
周囲に被害者は居なかったので、御用猫は気にもしなかったのだが、どこかで見ていたものか、ゆっこは、御用猫の足取りを追って、マルティエの店に辿り着いた。
なぜ、御用猫を父と呼んだのか、それについては、謎であったのだが。
そのような、彼の予想を聞かせると、この老人は、じっと、御用猫を見つめてくる。
「して、落とし所は、どうする」
この老人は、何を見透かしているものか、御用猫は、居心地の悪さを感じる、悪戯を父親に自白する子供とは、こういった気分であろうか。
「死んでても、生きてても、やる事は同じだよ……何処か、安全な場所で暮らしている事にするしか無い、アドルパスか、姫様あたりに泣き付けば、何とかして貰えるだろ」
「引き取らぬのか? 」
「冗談」
ふむ、と、田ノ上ヒョーエは、顎をさする。
「ま、妥当なところであろうか……ただし、その、貴族の子飼いか、闇討ち屋か知らぬが「狸火」のイシンバロスとか言うたかえ、そ奴らは、ただの一匹も残さぬ、根絶やしよ」
分かっておろうな、と、ぎらついた目を見せるのだ。
かつて、田ノ上道場に敵対した者は多かった。
道場破りを始め、貴族に豪商、裏口屋から他国の間者、はては他種族の者まで、枚挙に暇はなかろう。
「石火」のヒョーエは、その全てを倒してきたのだ。
剣には剣で、命には命で、返してきた。
戦を体験した田ノ上老は、御用猫とも、また違った生死観をもつ。
敵ならば、倒す。命を狙うならば、殺す。
彼の心は、常に戦場にあるのだ。
戦を知らぬ御用猫は、私怨にて人は斬らぬと決めていた。
それが、野良猫と人殺しを分けるものだと、考えているからだ。
しかし、もしも、罪無き少女の、ゆっこの身に何かあったとするならば。
その手をかけたものに対して、御用猫は。
剣を止める自信が、まるで無かったのである。