ててなしご 6
「なるほどね、それで、私が呼ばれたって訳だ」
けらけら、と快活そうに笑う女は、マルティエの店では珍しい、ホップビールを片手に、ショートパンツからすらりと伸びる日焼けした素足を、見せつけるように、通路側に伸ばして組んでいた。
年の頃は二十歳半ば、赤みがかった金髪を後頭部で編み込み、少し尖った耳の後ろに垂らしている。
健康的に日焼けした肌は、袖無しのシャツから惜しげも無く晒され、ボタンを留めずに前で括られた裾の下から、臍の周りも丸見えである。
「まぁ、そういう事だ、悪いが、よろしく頼むよ」
彼女、ティーナに会うのは、オランでの事件以来だが、こうして見る笑顔は、最初に会った頃の、典型的なオラン美女のそれであり、どうやら、心の中での折り合いには、かた、が付いたのだろう。
「なにそれ、畏まっちゃってさ、私と先生の仲じゃない、遠慮なんか、要らないのに」
あの時、みたいにさ、と、ティーナが、御用猫の方に身体を預けてくる、ふわり、と、海の香りがしたようで、何やら懐かしさすら覚えた。
「説明を! 説明を要求するぞ! そのはしたな……ぐぅ、すまない、そちらの女性は誰なのだ、わたしは、知らないぞ」
「そうです、いくら何でも、肌を出し過ぎでしょう、ええ、構いませんとも、はしたない、ああ、はしたない! そのような格好で、殿方の目を引こうなどと、浅ましいにも程があります、ゴヨウさんも鼻の下を伸ばして、だらしない……ねえ、リチャードはもう少し興味を示してください、何となく不安になりますから」
隣のテーブルから、同時に捲し立てる二人の声に、御用猫はわざとらしく耳を塞ぐ。
何か楽しかったのだろうか、ゆっこがそれを真似して、自身の耳を押さえていた。
調子に乗るな、と、軽くティーナの頭を叩き、ふと、みつばちの方を見る。何やら、先程から元気の無い様子なのだ。
「取り敢えず、現状、これといった手掛かりは、無しって事か」
「はい、ゆっこ、での捜索に当たりは無し、ゆりこ、ゆうこ、等、似たような名前の少女も探してみたのですが、行方知れずの者は居ませんでした」
後は、普通に暮らしていなかった場合、もしくは、都市外で暮らしていた、などであろう。
もう少し、ゆっこ本人から情報が取れれば良いのだが、彼女に尋ねても。
「おとさんは、わたしが、困った時に、助けに来てくれたから、お母さんも、そう言ってました」
何とも、要領を得ない返事であるのだ。
母親の名前がラフティーヌ、だとは聞けたのだが、そちらの捜索も途中である。人員を削減するしかない現状、ゆっこの身元を確かめるには、それなりの時間がかかりそうだ。
「まぁ、これは、仕方ないな、ゆっくりやるしかないだろ」
何かあれば膝の上に座りたがるゆっこであったのだが、食事中は、一人で座らせ、一人で食べさせた。
行儀の悪い事ではあるし、妙な癖をつける訳にはいかないだろう。
御用猫は、情けをかけないのだ。
現在では、食事も終わり、彼女は自分の食器を下げ、自ら洗うと、御用猫の膝の上でくつろいでいたのだが。
「猫よ、私も手伝うぞ、アルタソ様から、許可も頂いている」
「私とリチャードも、です、大先生が、アカネさんを呼んでくれましたし、すぐに見つかると思いますよ」
特に根拠のない自信を漲らせ、サクラはその薄い胸を張るのだ。
「うぅん、先生は、もてもて、なんだねぇ」
なにか面白そうに、ティーナが笑う。情報屋として働く為、みつばちの元で少しばかり、修行もしたそうであるが、元々が優秀な女である、働きぶりには、充分期待ができそうだ。
当座の打ち合わせを終え、眠そうに目を擦る、ゆっこを寝かしつける為に、今夜は解散した御用猫であったが、寝付きの良いゆっこの所為で、最近は時間を持て余し気味である。
そういえば、この頃、チャムパグンを見ないな、と、退屈の余りに思い出したが、それはどうでもいいだろうと、忘れる事にした。
どうせ、腹が減ったならば現れるだろうと。
今は、ひとり陰鬱な雰囲気の中、部屋の隅で顔を伏せ膝を抱える、くノ一の処理をすべきであろうと考えるのだ。
「いい加減に、元気出せよ、精神的に打たれ強いのが、お前の取り柄だろうに」
「……初めて聞きました」
「まぁな、今、適当に言ったし」
普段ならば、何かしら反応があるはずなのだが、どうにもこれは。
(調子が、狂うな)
遂にベッドから立ち上がると、御用猫は、みつばちの隣に腰を下ろす。
「お前も、腹を切る、とか言い出さないあたり、少しは成長したみたいだな」
ぐりぐり、と、頭を撫でると、みつばちは、くぐもった声を漏らした。
「……今までの、加点がありますから」
「おぅ、そこまで理解していたのか、偉いぞ、お前の評価を一段上げてやろう」
これは、御用猫の本心である。何かと常識の無い志能便どもではあるが、最近は、少しずつ、世に馴染んできただろうか。
しかし、僅かに顔を上げていたみつばちは、再び膝の上に額を落とすのだ。
「……その評価が、どれくらい上がれば、抱いて頂けるのでしょうか」
「それは、点数で決めるもんじゃ無いだろ」
がば、と、顔を上げたみつばちは、涙でくしゃくしゃになった顔を隠すように、御用猫に飛び付いてくる。
「ぐふっ……期待していなかったといえば、嘘になります……昨日までは、色々と考えて、想像して、夜も眠れないほど、悶え転げて……馬鹿みたいです、ばか、みたいですよぅ」
ぐずぐず、と、御用猫の胸で泣き続けるのだ。
「こんな……こんな事なら、雀蜂に生まれたかった、です、私、感情の線を切れば、こんな想いは、抱かずに済んだのでしょうから」
指揮権を持つ彼女は、情動情操を殺さずに育てられている、感情を表に出さず、それに左右されない教育は受けているのだが、中身は、全くの人間なのだ。
そんな当然の事に、御用猫は、ようやく気付いたのだ。今までの彼女の態度をみて、どこか、人としての扱いを、していなかったのではなかろうかと。
彼女の息と涙で熱をもった肌着に、不快感を覚えながらも、みつばちの頭を撫でてやる。
そのまま、どれ程の時間が過ぎたのだろうか。
ようやくに落ち着いてきたのか、みつばちは身体を離し、ごしごし、と顔を拭ってから、笑顔を見せた。
「申し訳ありません、お見苦しいところを……」
「いいさ、何時もの、のっぺりした喋り方よりは、余程に良いかも知れないぞ」
珍しくも、耳まで赤くなったみつばちである。目を合わせる事が出来ないのか、ゆるゆる、と、俯いたままに御用猫の身体を上に辿り、その唇に安息を求めた。
再び、長い沈黙が訪れ、部屋の中には、ゆっこの寝息と、水漏れの音のみが流れてゆく。
ぷはっ、と、息を吐いたみつばちは、すっかりと濡れたような目つきで、御用猫に身体を預ける。
「……先生、ゆっこちゃんが、目を覚ましてしまいますから……お静かに、お願いします……ね」
「いや、しないよ? 」
がぶり、と首筋に噛み付かれ、御用猫は悲鳴をあげた。
「何でですか、胸が無いからですか! 今の、完全に甘い空気が出来てたじゃ無いですか、妊娠したら大きくなると聞きました、させてみろよこのやろう! 」
「うるせーよ! ゆっこが起きるだろ、初回から特殊な状況求めてんじゃねーよ!」
ちょっとだけ、ちょっとだけだから、と、暴れるみつばちをシーツで包み、御用猫は未だ寝息を立てるゆっこの横に滑り込むと。
(こいつも、大概、大物だな)
頭をひと撫でしてから、眠りについた。