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御用猫  作者: 露瀬
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ててなしご 5

 マルティエの店は、規模こそ大きくないのだが、よく繁盛している方だろう。


 昼時ともなれば、厨房は戦場と化し、慌ただしく走り回るマルティエの足音と食器の重なる音、何か間違いを犯したミザリが、母からどやされる声などが、客席まで響き渡るのだ。


 普段ならば、そんな喧騒に満ちた店内であるはずの時間帯、しかし、今日に限っては、緊張した空気が充満している。常連客は食事の音にも気を遣い、一見客は木扉を揺らして店内を覗くと、そのまま振り返って退店してゆく。


 宜なるかな、店の中央に大樹の如く仁王立ちするのは、かの「電光」アドルパス ゼッタライト、その人であったのだ。


 二百センチ近い巨体、厚手の、白い制服の上からでも分かるほどに隆起した筋肉、日焼けした肌に刻まれた無数の傷跡、逆巻く赤毛に太い眉、鋭い眼光。


 荒事に慣れた御用猫ですら、首の後ろに、じっとりとした汗をかく程なのだ、一般の客や、マルティエ達の怯えようときたら、虎の檻に放り込まれた子兎の如く、である。


 厳つい顔と身体の割に、気さくで面倒見の良いアドルパスであるのだが、普段の稽古や宴会時とは違う、怒気を孕んだその雰囲気に、サクラやリチャード達も、椅子にきちんと座ったまま、身じろぎひとつ、しないのだ。


「へえ、この子がジュートの娘なんだ、なかなか可愛いじゃない……でも、あんまり似てないかな? 」


 ゆっこの小さな両手を握り、ぶんぶん、と揺らしながら、アルタソマイダスは機嫌良さそうに笑うのだ。


「わたしに」


「当たり前だろ、なんでお前に似るんだよ! ありえねーよ、余計な事言うんじゃねーよ! 本当、勘弁して下さい、あすこの熊さんは、ちゃんと檻に戻してくれるんでしょうね? 」


 ついに吹き出した、額の汗を拭いながら、御用猫は、何とか穏便に済ませるための魔法の言葉を脳内で模索する。


 一歩、いや、一言でも違えたならば、赤髪の熊ライオンは、この哀れな野良猫の首を捻るだろう、ここが正念場なのだ。


「なにそれ、可笑しい、アドルパス様はお腹が空いただけらしいわよ、ここの料理が随分気に入ったみたい」


「そうですか、女将さーん、かの大英雄が、ここの料理褒めてますよ、看板に書いたら、お客さんが増えるよ」


 厨房から、こちらを覗いていたマルティエが、ぶんぶん、と首を振るのが見える。お願いだからこちらに話を振らないで、と、その目が伝えていた。


 分かる話ではあるのだが、孤立無援の戦いとは、なんとも心細いものだ。


「でも、ちょっと残念、ひょっとしたら、気付かないうちに、子供が産まれてたのかもって期待したのに」


「なんだそれ、想像出産かよ、ふざけんな、せめてこっそり確認に来いよ、お父さん連れてきてんじゃねーよ」


「貴様に」


 がっ、と胸ぐらを掴まれた。


 速い、準備動作ひとつなく、あの巨体に、一瞬で距離を詰められたのだ。おそらく、道場でのアドルパスは、何だかんだで本気を見せてはいなかったのだろう。


(これが「電光」の技か)


 端から諦めている御用猫は、全くの無抵抗で、されるがままに脱力している。


「お義父さん、と、呼ばれる筋合いは、無い」


「はい、ありません、僕は、アルタソマイダスさんとは、全くの無関係です」


「何だと、貴様! 責任を取らぬつもりかッ! 」


「話聞いてんのかよおっさん! 」


 ついに声を荒げた御用猫が立ち上がる。


 この、大英雄様は、何を勘違いしたのか、ゆっこがアルタソマイダスの子、だとでも思っているのだろう。


「アドルパス様、大きな声を出さないで下さい……娘が怯えてしまいます」


「なに、う、ううむ、確かに、その子には罪は無い、俺が後見人になるべきか」


「よし分かった、お前ら帰れ、すぐ帰れ」


 くすくす、と笑うアルタソマイダスと、熊のような指で恐る恐るゆっこに触れるアドルパスを追い出すべく、御用猫はなけなしの勇気を振り絞るのであった。



 ようやくに日常を取り戻したマルティエの亭。


 何時も、御用猫一行の占拠する隅のテーブルからひとつ開けて、五人が食事をとっていた。


 隣同士に腰掛けるリチャードとサクラ、身体が大き過ぎるので、何時ものように、店の外から持ち込んだ作業台を椅子代わりに、アドルパスはテーブルの短辺に一人で座る。


 そして、ようやくに、石化の呪いが解けたのか、リリィアドーネが、彼女の隣に座る、ゆっこの世話をしていた。


 先程までの会話は、彼女の記憶に残っておらぬ様子だ。いつぞやのサクラもそうであったのだが、精神的痛痒を回避しようとする、人の防衛本能とは、なんと見事なものであるか。


 何時ものテーブルに着くのは、御用猫とアルタソマイダスの二人だけである。


 ちなみに、黒雀は、アルタソマイダスの姿を確認した途端、音も無く消え去った。どうやら、先日の出来事が、彼女の心には、大きな傷を残してしまったようである。


「それで、本当は、何しに来たんだよ」


 猪口の中の酒を呷り、御用猫は尋ねた。まさか、あの様な冗談を言うためだけに、この忙しい女が、日中に、わざわざ訪ねて来る筈は無いのだ。


「あの子を見に来たのは、本当よ……口には出さないけど、あの方も、随分、気にしていたみたいだし」


「ふうん」


 自分で聞いておきながら、さして興味も無さそうに、御用猫は、皿に残る小松菜のお浸しを口に入れる。


 しゃきしゃき、とした歯応えを感じながら、彼は考えた。


(アドルパスまで連れてきて、会話だけとは思えない……フォークと箸、か)


 念の為に、アルタソマイダスは奥に座らせ、自分はカウンターに近い通路側を押さえている。


 カウンターには、武器を立て掛ける為の木枠があり、彼女の長剣「女王を護る森の銀」も、粗末な木枠にそぐわぬ威容を、そこに晒していた。


「そんなに緊張しないで、今日は本当に、お話しにきただけよ」


「どうせ、そのお話に対する返答次第では、どうなるか分からないんだろ」


 そうね、と、アルタソマイダスは、コップに口を付けた。


 勤務中なので、当然、彼女が飲むのはただの水だ。


 こくり、と、細く滑らかな喉を鳴らし、溜息を、ひとつ。


(見た目だけなら、抜群に良いんだけどなぁ)


 ぐるり、と、二つ隣のテーブルに座る、リリィアドーネが首を回した。声に出してしまったか、と、一瞬焦ったのだが、そうではなさそうだ。


 とりあえず手を振ると、少しはにかんで、その細い指を、小さく振り返してくる。彼女の、そういった察知能力は、日増しに鋭くなっていくようで、御用猫は僅かな息苦しさを覚えた。


「仲良くしてるみたいじゃない? 」


「そうか? 普通だろ」


「そうでも無いわよ、元から、人を寄せ付けない所があったのだけれど……一時期は、酷かったからね」


 家族を、いちどきに失った頃であろうか。確かに、出会った頃のリリィアドーネは、余裕の無い女であった。


「だけど、良い子よ、泣かせちゃ、駄目なんだからね」


「善処します」


「本当に? 」


 じろり、と、御用猫を睨むアルタソマイダスの眼から、光が消える。


 例えようも無く、暗い瞳であった、この眼をした時の彼女には、世界の全てが無価値に映るのだ。


 特に、人の命が。


「蜂番衆は、元とはいえ、御庭番衆よ、それを、個人で抱えるとなると、クロスロードに対する叛意を疑われても、仕方無いの」


 いつの間にか、テーブルに置いた御用猫の右手の甲に、箸が立てられている。


 箸の端部を人差し指で押さえ、彼女は続けた。下手な動きを見せれば、右手をテーブルに縫い付けられるだろう。


「……人探しを頼んでるだけだよ、親だ、あの子の」


「暗殺専門の部隊まで動員して? 」


 なんたる事か、みつばちの余計な本気が、クロスロードの上層部に、あらぬ疑念を抱かせたのだ。


 これは、折檻だろう、と御用猫は目の間を揉み解す。


「分かった、志能便は引き上げさせる、ちょっとした手違いだ、危ない奴らは市内に入れない様に言っておく……これで良いか? 」


 少し、黙った後に、彼女は口を開いた。


「くれぐれも、忘れないでね、私がその気になったならば、クロスロードの敵は全て殺す、貴方も殺す、忍者も殺す、庇い立てするなら、リリィアドーネも殺す、田ノ上ヒョーエも殺す……私には、それが出来るのよ? 」


 背筋から立ち昇る恐怖が喉を震わせ、御用猫は、ごくり、と、唾を飲み込む。確かに、彼女ならば、やってのけるだろうか。


 今は、おそらく互角であろうが、例え「石火」のヒョーエといえども、寄る年波には勝てぬだろう、しかし、半エルフの彼女は、この先五十年は、最盛期の力を保ち続ける。


 まさに、クロスロードの守護者と呼ぶべき存在であるのだ。


「アドルパス様は、ああ見えて、お優しい人だからね……こういった仕事は、私がやるの」


 ぱたり、と箸を倒すと、アルタソマイダスは、普段の、とても三十路には見えぬ、少女のような笑顔を取り戻した。


「でも、殺したくはないのよ? 貴方を斬ったら、多分、泣いてしまうだろうし、ね」


「お前らは、もう少し、色気のある口説き文句を覚えてこいよ」


 ぐるり、と、首を回したリリィアドーネに手を振りながら。


 今回の面倒ごとも長引きそうだ、と、顔を顰める。


 しかし、御用猫自身、気付かぬ事であったのだが。


 心の内では、すんなりと、それを受け入れていたのだった。



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