ててなしご 3
料理宿マルティエの亭、女将のマルティエは、働き者な事で有名である。
店内は明るく、掃除が行き届いており、季節毎の花や、常連客の見習い絵師の習作などが飾られている。
しかし、流石に、この時間ともなれば、砂や埃が溜まるのだな、と、普段近くで見ることの無い床に、正座しながら、御用猫は考えていた。
少し俯いた彼の目には、腕を組んで、懇々と説教を垂れ流す、サクラの青い袴が大写しで、周りの様子はよく分からない。
「違います、私の娘ではありません、身に覚えが無いのです」
「まだ言いますか! 」
既に一時間は経過しているだろうに、この少女は、攻撃の手を休めようとはしないのだ。
「サクラ、もうよせ」
窮地の御用猫に、救いの手を差し伸べたのは、リリィアドーネであった。
「ですが、リリアドネ様! ゴヨウさんは! 」
「よせと言っている! 」
ぴしゃり、と言い放つ彼女の声の重さに押されたのか、流石のサクラも口を閉じた。ただし、その形は、への字に曲げられていたのだが。
リリィアドーネは、御用猫の前にしゃがみ込むと、薄く可憐な唇に、少し曲げた指を添え、なにやら考えている様に見えた。
心は決まっているのだが、何と言葉にすれば良いのか、それが分からないのだろう。
「猫よ、私は、その、過去の事を気にしたりはしない、それは、もちろん、すこし、驚きはしたがな……けれど、ちゃんと育てみせる、初めての事ではあるが、それは誰も同じはずだ、血が繋がっておらぬからと、けして、彼女を蔑ろにしたり、わた、わたしたちの、こどもと、差をつけたりは、しないから……それは確約します……だから、安心して」
「聖女か! 惚れるわ! だけど前提が間違ってますゥ! お前、俺を信じるんじゃなかったのかよ! 」
ついに、御用猫は立ち上がった、このまま奴等の好きにさせては、埒があかないのだ。自らの潔白は、我が手にて証明せねばなるまい。
「みつばち! 」
直ぐにでも近所を捜索し、傍迷惑な娘を、本物の父親の所へ届けなければなるまい、見つけ次第、一発くらい殴っても許されるだろうか。
「さあ、呼んでみてください、お母さん、です、あ、ママでも構いませんよ、もうすぐ弟か妹も出来る予定ですから、楽しみに待っていてくださいね」
「みつばちィ! 」
頭をはたくと、すぱん、と、良い音が鳴る、中身が入っていないのだから当然だろう。
御用猫は、珍しくも混乱していた、上手く頭の中で状況が整理出来ない。
「若先生、その子は、随分と大きいようですが、年齢を確認すれば、心当たりもあるのでは」
「無いけどね! でも良い発言だリチャード、明日の折檻は許してやろう」
なぜか、ちら、と、残念そうな顔を見せながら、リチャード少年は、ゆっこに尋ねる。
相変わらず気の回る男である、揃いも揃って興奮状態の、この場の女性陣には、任せられぬ事だと理解しているのだろう。
「ゆっこちゃんと言ったね、きみの歳はいくつだい?」
「十歳に、なります」
そうかい、と、優しげな笑みを浮かべ、リチャード少年は少し乱れた少女の髪を、整えるように撫でる。
妹でもいるのだろうか、随分と慣れた手つきだ。
「……十年前か、うん、やはり俺の子じゃないな」
「それで、分かるのですか?」
「その頃は、まだ童貞だったからな」
聞いた瞬間に、サクラの顔色が変わる、リリィアドーネの方は、よく分からないといった様子で眉を顰めた。
「ご、ごご、ゴヨウさん! 何て事を言っているのですか! そんな事は、知りたくありませんし、聞きたくもありません! というか、本人にしか分からないでしょう、それでは無実の証明になりませんからね! 」
「うん? サクラは、今のが分かったのか、どういう事だ? 」
リリィアドーネの問いには答えず、真っ赤になって地団駄を踏むサクラを見ながら。
(それもそうか、どうにも、頭が回っていないな)
御用猫は、ぐるぐと、首を回した。少しでも、頭の働きが良くなると期待するのだ。
「十年前というと、若先生が十五歳、成人した頃でしょうか」
「まぁ、だいたいな、何か思い付いたのか? 」
この美少年は、頭の回転も速い、今の御用猫よりは、まし、な案が思いついたのかも知れない。
「いえ、若先生はもっと早くに、とばかり……なんだか、安心しました」
「お前にはがっかりだよ、リチャード」
衝撃に目を見開く美少年に背を向け、御用猫は目と目の間を揉み解す。十年前の事など、証明しようも無いだろう、この際、アルタソマイダスでも呼ぶか、と、彼はさらなる混乱を招きかねない、軽率な発想をするのだが。
「猫の先生、とりあえず、その辺りのお話は明日にしましょう、ゆっこちゃんも疲れてそうだし、お店の外に、彼女は此処に居ます、と張り紙もしておきますから、今日は二階で休んでもらいましょ? 」
「おぉ……」
問題の先延ばしではあるのだが、何と真っ当な意見である事か。もう何度目になるか分からぬが、御用猫は、マルティエが独身であったならば、と、思うのだ。
ぱっ、と、霧が晴れたように、思考が鮮明になるのを覚える。
「みつばち、この子の親を探してくれ、この際、金に糸目はつけない、急いでくれ」
「了解致しました、ですが、現在人員の増強中で、捜索には時間がかかると思われます、草エルフの氏族に、傘下に入るよう交渉はしているのですが……」
何やら不穏な発言はあったが、今はそれどころでは無い、このままでは、済し崩しに、子連れ猫にされてしまうだろう。野良猫の自由の危機なのだ。
「そこを何とかしてくれ、首尾よく片付いたなら、例の約束、履行するのに合意してもいい」
「まじですか」
「まじだ」
しゅだっ、と、回転しながら飛び上がった、みつばちは、懐から何枚かの呪い札を取り出す。
「みつばち、から、さんじょう、へ、緊急連絡、里にある全ての巣箱を解放、クロスロードに集合せよ、雀蜂も含む、全ての人員を配置です……大雀が寝てる? 叩き起こしなさい! これは蜂番衆の存亡にかかわる問題なのです、大至急、以上! 」
ばたばた、と走り出るみつばちの背中を御用猫は眺める、彼女が声を荒げるのは、初めてだろうか。
「……おとさん、わたし、迷惑です、か? 」
それまで、大人しくマルティエの作った料理を食べていた少女は、箸を止め、不安げに、御用猫の顔色を伺うのだ。
(気に、入らないな)
思わず、御用猫は顔を顰める。それを見たゆっこが、箸を取り落とした。
気に入らない、今のは、全くもって、気に入らない。
それは、かつての御用猫が、父に向けた表情なのだ。
もちろん、彼に、そんな事は分からないのだが、親に向ける不安、自分が愛されていないと感じる不安。
それは、御用猫の心の奥底の古傷に、ちくり、と刺さるのだ。
それが、気に入らないのだ。
御用猫は、膝を落として彼女に視線を合わせると、先ほど整えられた髪を、再び、くしゃくしゃに、かき混ぜる。
「子供ってのはな、大人に迷惑をかけるもんだ、それは、まぁ仕方ない、子供の特権さ、だから、迷惑かけたら、ごめんなさい、だ」
「ご、ごめんなさい……」
しょんぼり、と肩を落とした少女に、更に続ける。
「そんで、助けてもらったら、ありがとう、だ、いいか、お礼はとびきりの笑顔で言うんだ、そしたら、馬鹿な大人は、喜んで助けてくれるからな」
「え、あ、あり……」
「え、が、お」
こうだ、と歯を見せる御用猫に、少し惚けた顔を見せた、ゆっこ少女であったが。
「……ありがとう! おとさん、大好きです! 」
がば、と抱きつき、頬ずりするのだ。
父と呼んではいたが、初めて会う人には違いない、今まで、ずっと緊張していたのだろう。
ようやくに見せた笑顔は、やはり年相応の、屈託の無い幼さであった。
今まで成り行きを眺めていた常連客が拍手を始め、良かったなお嬢ちゃん、幸せになれよ、いきなり子持ちとはリリィちゃんも大変だ、などと、口々に感想を漏らすのだが。
「リリアドネ様、私、実は、今まで、半信半疑だったんですけど、ひょっとして、本当に親子なんじゃないかな、と思い始めています」
「うん、わたしも、そう思う」
最近、少しばかり言葉遣いが雑になってきたリリィアドーネを見やり、ひとり、リチャード少年だけが。
「……そういえば、お二人とも、今日は夜会があるから早く帰るのでは? 」
冷静さを保っていたのだ。