ててなしご 1
「これだよ、やはり、これだ」
これなのだ、と、御用猫は繰り返す。
あまりに、御用猫が絶賛するので、マルティエは気恥かしくなったのか、今は従業員の娘が料理を運んでいた。
森エルフ達の食生活は、質素なもので、栄養がきちんと摂取出来れば、味にはそこまでの拘りが無いようであったのだ。
食事に関しては、一家言ある御用猫にとって、料理の種類、調味料や嗜好品の貧弱さは、耐え難いものがあるのだ。
「……これとは、どれの事なのだ? 」
何を勘違いしたのか、向かいに座るリリィアドーネが、箸を彷徨わせた、すっかり箸の使い方にも慣れてきた様子で、今しがた御用猫が口にした料理が何であったのか、気になって仕方ないのだろう。
「リリアドネ様、それは、迷い箸と言って、行儀の悪い事ですよ、全く、ゴヨウさんは、意外にも作法はちゃんとしてるのですから、リリアドネ様にも、きちんと教えてあげて下さい。あと、お土産はまだですか、今日はあまり遅くまでいられませんので、早めに欲しいのですが」
久しぶりに聞く、サクラの啄木鳥声にも、どことなく懐かしさを覚える。
どうやら、この日常に、野良猫もすっかり馴染んでしまっていたようだ。
「うむ、正直におねだりできたサクラちゃんには、これをあげよう」
リリィアドーネの横に座る、黒髪の少女に、御用猫手作りの首飾りを渡す。ブブロスの狩猟小屋から、遺品として彼に分けられた、月狼の牙と尻尾の毛を革紐に通した簡素なものであった。
「……何ですか、これ、森エルフの民芸品? ですか、全く、ゴヨウさんは、女性に渡す贈り物の」
「これ、仄かに輝いて……月狼の牙ですか、僕も見るのは初めてです。ですが、若先生、サクラに渡すには、少し高級すぎるかと」
サクラの言葉を遮ったリチャードが、一目で言い当てる。なかなかに博識な少年である、そういえば座学の成績はかなり優秀だと聞いた事があっただろうか。
まぁ、良いだろう、と御用猫が言うと、少年もそれ以上は何も言わなかったのだが。
サクラが泣きながら、こんな高価なものは受け取れません、と返しにくるのは、それから二年後の事であった。
今の所、文句を言いながらも、嬉しそうに首から下げるサクラを、羨ましそうに眺めたあと、リリィアドーネは、じっ、と、御用猫を見つめてくる。
「もちろん、リリィにもあるぞ、ほら、お前のは特別製だ」
御用猫が彼女に渡した首飾りには、大ぶりの牙と、角を丸めた鏃のような物が、並べて吊るされていた。
ブブロスとマダラも、どうせならば、美少女の首に下げられたいだろう。
偉大な戦士の魂が込められているのだから、大切にしてくれ、と、御用猫がリリィアドーネに伝えると、彼女は真面目な顔で何度も頷き、つるりとしたマダラの牙を、頬を緩めながら撫でさすり始めた。
「しかしゴヨウさん、いくらなんでも、三メートル以上の食人鬼と闘ったなんて、信じられません、実際には、アドルパス様くらいの背丈の人間なのでしょう? 全く、話を盛り上げる為とはいえ、巨人と戦っただの、巨狼と戦っただの、エルフの村でお祭りしただのと、子供向けの絵物語ですか、本当なんですか、ずるいです、今度私も連れて行って下さい」
ぷりぷり、と文句を垂れ流すサクラの眼はしかし、子供のように輝いていた。
「でも、確かに、俄かには信じ難い話ですね」
リチャードの方は、冒険譚に興味はないのだろう、むしろエルフの「浮き板」の話には、随分と食い付いていたのだが。
「私は、信じるぞ」
箸の先を咥えたまま、リリィアドーネが、にこり、と笑う、相変わらず可憐な笑みだ。少し髪も伸びてきただろうか、しばらく見ぬうちに、女らしさが上がったようにもみえる。
「猫は、私に、嘘を吐いた事は無いのだからな」
(すまん、ある、すごいある)
襲い来る罪悪感の波に胸を押さえ、御用猫は眼を閉じた。
とりあえず、ねぶり箸は止めなさい、と、リリィアドーネに注意をし、これからは、少し、彼女に嘘を吐くのは控えよう、と反省するのだ。
「まぁ、信じてくれるのは嬉しいがな、あまり、他人に気を許すんじゃ無いぞ、リリィは騙されやすそうだからな」
「分かっている、お前の独占欲が強い事もな、だが、私は、一途な女なのだから、あまり、その、心配は要らないぞ……しかし、意外だった、お前が、あの様に、情熱的な文を書き綴るとは」
顔を赤らめ、人差し指同士を突き合わせるリリィアドーネ。
御用猫は、くい、と首を回し、隣に座るリチャードを見る。
視線を合わせられ、首を傾げる金髪の美少年は、それだけでご婦人方の腰を砕きそうな、艶麗さがあるだろうか。
「お前、何書いた」
耳に手をやり、小声で囁くと、リチャードは、少しくすぐったそうに、肩をすくめる。
「……いえ、特別な事は何も、普通の、恋人に宛てるような手紙ですが」
「あいたー」
なんたる事か、リチャード少年は、敬愛する若先生の為に、自分の持てる文才を駆使して、リリィアドーネに手紙を送り続けていたのだ。
「だが、その、もう少し頻度を下げてもらっても構わないだろうか、叔父上の屋敷に、私宛で、余りにも同じ男から文が届くと、その、最近では噂になってしまってな」
「分かった、下げる下げる、しばらくは出さないから」
「それはやだ」
ぽん、と頬を膨らませたリリィアドーネを見ながら、御用猫は額に手を当てた。
何か手を打った方が良いだろう、リチャードは明日あたり折檻するとして、とりあえず彼女とは距離を置いて、頭を冷やさせようと、何か早急に仕事を入れようと。
御用猫にしては珍しく、何か面倒事が転がり込んでくれば良いのに、と考えたのだった。