獣剣 月の牙 17
翌日「ジャガーと翼蛇」の集落では、送り火の祭事が執り行われた。
祭事と言っても、大仰なものではなく、聖地に送られた老エルフが亡くなった際に、祖霊の一員として、氏族を護ってくれるよう祈りを捧げ、あとは、大篝火を囲み、皆でご馳走を食べ、酒を飲むのだ。
祖霊柱を模した大篝火は、集落の中央広場で、一晩中燃え盛り、滅多にない、エルフ達のお祭騒ぎを照らし出すのだ。
「ドビット、酒が足りないぞ」
「ドビット、肉も持ってこい」
「ドビットは人気者だね」
地面に直接座るのが、森エルフ式であるのだが。若族長であるオーフェンの居場所には、クロスロード製であろう絨毯が敷かれ、客人としてもてなされている御用猫とチャムパグンの他は、黒エルフのホノクラちゃんと。
そして、忙しく給仕に走り回るウィンドビットである。
彼女は、いつもの銀鎧を脱ぎ、一般的なエルフの民族衣装である、貫頭衣を草色に染めて着用していた。
勿論、露出狂のホノクラちゃんとは違い、側面はちゃんと縫い付けてある。しかし、若い女性の流行りらしく、ズボンは履いておらず、少し丈の短い裾の下から、白く美しい脚をのぞかせていた。
本来ならば「浮き板」を破損させたウィンドビットには、戦士長職の解任と、十年以上の禁錮が申し付けられるはずであったのだが、御用猫とホノクラちゃんのとりなしで、不問とされた。
族長には「浮き板」の修理と手入れをする為に、強度を計ったのだと、ホノクラちゃんが伝えている。
勿論建前であるのだが、あの鎧はそもそもが、人とエルフの友好を祈念して、大昔に造られたものであり、人間が設計し、森エルフの銀を使い、山エルフが製作し、黒エルフが呪いを込めた。
その製作者の一人であるホノクラちゃんが、そう言うのだ。森エルフの族長といえども、口答え出来るものでは無いのだろう。結局、祭りが終わってから、山エルフの鍛冶職人に修理を頼む為、北陵山脈に送られる事となった、しばらくは使えないだろう。
その事について、御用猫は、オーフェンから、随分と感謝されたのだ。文句も言わずに働いている所を見るに、ウィンドビットも同じ気持ちなのだろう。
彼は全く知らない事であったが、どうやら、彼の代で森は閉ざされる事なく、人間とエルフの友好関係は、まだしばらく続きそうであった。
森の窓口たる「ジャガーと翼蛇」の氏族だが、人間種に対して興味の無かったオーフェンは、交渉役を族長や部下に任せきりであったのだが
クロスロードからの役人の相手も、商人との交渉にも、これからは積極的に参加してみようか、と、この若族長は思い始めていたのだった。
なにやら、柔かなオーフェンを眺めつつ、御用猫は、胡座の上に乗せたチャムパグンの顔を、手拭いで拭いてやる。焼いた鳥の足にかぶりついているせいで、彼女は口周りも指先も、油でべたべたしていた。
放っておけば、彼の皮のズボンに指を擦り付け、胸のシャツで口を拭くのだ、面倒だが、仕方あるまい。
「随分、その子と、仲が良いんだね」
隣に座るホノクラちゃんは、いささか機嫌が悪そうだ。元々、あまり飲み食いする性質ではない彼だが、今日は、まるで進んでいない様子ではないか。
僅かな危険を覚えた御用猫であったのだが。
「そうですね、二人で、こんな森奥まで旅をする程なのですから」
「私と居た間も、随分と自然なやり取りで、ふしだらな肉体的接触が多かったように見受けられました」
「はい消えた、今、俺の中で、友好の絆が消えたよ、やはり森エルフに、ろくな奴はいないのだ」
笑い声のなか、ぐい、と、ワインを飲み干した御用猫であったが、やはり、マルティエの味が恋しくなってきた、と感じる。
早めに寝て、明日には、懐かしのクロスロードに帰るとしよう。
「そういえば、お前らも、そろそろ寝た方が良いんじゃないのか?」
こちらは気にしなくて良いから、と御用猫が若いエルフ二人に告げる。
「どうしたと言うのです? まだ時間も早いと思うのですが」
不思議そうな顔をするオーフェンの横で、ウィンドビットが、大きく跳ねる。
これは、ホノクラちゃんから聞いた事なのだが、送り火の祭りには、もう一つの意味がある。エルフが子供を作るのは、死者を送る日のみ。
つまり、今日だけなのだ。
村中の夫婦が、今から一仕事だろう、そして未婚の若い男女は、この日に、その想いを伝え、互いの合意があれば、そのまま結ばれるのだ。
「お、オーフェン! 」
がたっ、と、立ち上がったウィンドビットは、何やら思い詰めた様な表情で彼を見つめ。一度、御用猫に頭を下げると。
若族長を引きずって、自宅に向け、歩き始める。
「え、なに、ウィン姉さん、なに、なに? 」
「黙ってください……すぐに終わりますから」
たぶん、と、小さく呟いたのを、御用猫は、あえて聞き逃してやる事にした。
合意があれば、とは言ったが、彼に、果たして、銀色ゴリラに逆らうだけの力があろうか。
(死ぬなよ、オーフェン、あれは、おそらく、カンナやスイレンのような女だぞ)
しかし、少なくとも、彼一人の犠牲で、この氏族は将来安泰であろう。これは必要な生贄であるのだ。
ぼんやりと、篝火の周りで騒ぐエルフ達を眺めながら、御用猫はワインを呷る。今まで大人しかった音楽の調子が上がった、踊りが始まるのだろうか。
「なんとも楽しげだね、この日ばかりは陽気になるエルフ達も、ボクは、割りかし、好きなんだよ」
「そうだな、祭りは、どこに行ったって楽しいものさ」
そうだね、と、呟くホノクラちゃんは、何か淋しそうでもある。森から出た事の無い彼にとって、御用猫の生き方は、どう映るのだろうか。
野蛮だと思っているだろうか、それとも、自由だと憧れているだろうか。
どちらにせよ、この知りたがりの黒エルフに、外の世界は、興味の尽きないところであろう。
「……たまには、そうだな、たまには、お前も遊びに来れば良いんじゃ無いか? 」
驚いたように御用猫を見るホノクラちゃんは、しかし、ふっと、儚げに笑うのだ。
「ありがとう、ボクの友人よ、でもね、ボクは森から出られない、これは祖霊との、森との契約なのだから」
「大丈夫だろ」
え、と、声を漏らす彼に視線を合わせず、御用猫はさして興味も無いようにつづける。
「昨日の、見たろ? エルフに言わせりゃ裏切り者のブブロスどころか、狼のマダラまで好待遇で迎えてたじゃねーか、祖霊ってのは、寛容なんだよ。いや、いい加減だといっても良いな。俺と同じにおいがする、気が合いそうだ、お前がたまに怠けたって、文句は言わないさ、間違いないよ」
「……はは……はははははっ! まったく、全くだよ、キミは、どうしようも無いほど、愚かなくせに、真理のような言葉を突き付ける……キミの厚意温情、確かに伝わったよ、大丈夫、今の一言だけで、百年は耐えられるさ」
笑い過ぎたのか、涙を拭うと、ホノクラちゃんは、ぱっと、両手を広げる。
「ぐぅ」
「なんだい、一足早い、別れの挨拶さ、明日は忙しいからね、問題無いだろう? 」
しばしの逡巡を見せた後、諦めたのか、御用猫も両手を広げる。
ホノクラちゃんは、御用猫に飛びつき、押し潰されたチャムパグンが、カエルのように濁った悲鳴をあげる。
「ぐぇ、男色野郎、余所でやれ、ぐぇー」
じたばた、と、もがくチャムパグンは、ついに、核心を突いたのだった。
銀紙炊いて送り火に
天に昇った蛍火よ
下界の暮らしはどうぞやと
夏が来たらば里帰り
御用、御用の、御用猫