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御用猫  作者: 露瀬
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獣剣 月の牙 16

 斬り落とされた手首を、傷口に押し付けながら、ウィンドビットは、御用猫を睨み付ける。


 膝をついてはいるが、闘志に衰えは無さそうだ。なんと気丈なものである、先程は怒らせる為に、ああ言ったのだが、実のところ、彼は、この森エルフの頑固者が、嫌いではないのだ。


 しかし、今はもう一人の頑固者が先だろう。


 三射めが放たれるおそれは無い、エルフの弓手達は、命令も無く勝手な真似はしない。


 今は二人がウィンドビットの手当てを、二人が弓を剣に持ち替え、御用猫を牽制している。


 もっとも、彼らが動かないのは、そもそも、その必要が無いからでもあるのだ。


(……終わったな)


 マダラは、ブブロスの左肩に噛み付いている。肩に、とはいえ、その大きな口である、鋭い牙は、老エルフの胸のあたりにまで届き、衣服を腹の辺りまで真赤に染め上げていた。


 勝利を確信したマダラは、満足気であった。規格外の巨軀を誇るこの月狼にとっては、枯れ枝の如き老エルフの身体を、無闇に振り回すような事はせず、五十年ぶりの好敵手の味を、嚙み締めるように味わうのだ。


「ぐぶっ、ぐふふ、くはははっ」


 吐血しながらも、ブブロスが哄笑する。空いた手にはナイフを持たず、マダラの鼻先、かつて自分の付けた傷を、何か愛おしげ、にすら見える手付きで、撫でるのだ。


「何も、言うまい、これ程の付き合いよ、お前の、んぅ、考えなど、手に取るように分かるわ」


 既に、片肺は使えないのだろう、喋りにくそうに、血を飲みながら、シワの深い、優しげな目で。


「お前には、儂の気持ちは分からんだろうがな」


 にやり、と笑ったのだ。


「儂の、勝ちよ」


 突然、マダラの膝が抜ける。顎にも力が入らぬのか、牙を放す。


 震えながら、一度、立ち上がろうと試みたのだが、そのまま横に、どう、と倒れる。


 マダラは、たっぷりと摂取してしまったのだ。ブブロス特製の「番外毒」を


 彼は、この毒を全身に塗り込み、服にも浸透させた。経口摂取といえど、大量に口にすれば、月狼とて数分で動けなくなる、と御用猫は聞いていた。


 これが、ブブロスの奥の手であったのだ。


 彼を仕留めようと、大きく喰らい付けば喰らい付くほど、毒を取り込んでしまうだろう。臭いまで巧妙に偽装されたその毒に、マダラは気付く事が出来なかったのだ。


 ブブロスは、腰の小剣を、なんとか引き抜き、倒れ込みながらも、マダラの心臓に突き立てた。


 ぐう、と息を漏らし、マダラは、もたげた首を地につける。


 好敵手の、上下する腹の揺籠で、ブブロスは落ちるように、眠りについた。


 二百八十年を生きた老エルフも、銀毛に顔を埋め眠る姿は、幼い子供が、飼い犬に甘えているようにも見える。


 マダラの腹の拍動は、弱々しくあるが、まだ続いていた。


 左腕を押さえて近づく御用猫を、月狼はちらり、と見やる。


「おっさんは、ああ言ったがな、これは引き分けだろう、俺が見届けたよ」


 ぐるる、と喉を鳴らしたマダラの顔を見て、御用猫は、思わず吹き出した。理解できたのだ、その目に浮かぶ、頑固者の主張が。


(先に死んだのは奴だ、勝ったのは俺だ)


 と、言っているのだ、間違いない。


「それはもう、二人で議論しろよ……けどな、断言しても良いが、結論は出ないぞ」


 御用猫には、この狼が笑ったように、見えただろうか。



 マダラは、吠えた。


 最後の力で。


 最後の月狼は、森に、種の終わりを告げるのだ。


「なんて、愚かなのでしょう」


 右手に剣を下げ、ウィンドビットが現れた。


「まぁ、馬鹿なのは、確かだろうな……どうする? もう一戦するのか? 」


 視線を合わせずに言う御用猫に、彼女は首を横に振る。ウィンドビットは公正で、我慢強く、頑固な女なのだ。


「それこそ愚かでしょう、我々は引き上げます、遠からず、森は閉ざされるでしょうね、やはり、人とエルフ、分かり合えるものではありません」


「同感ではあるけどな……お前はさ、分かろうとすら、してないだろ? ブブロスの事だって、エルフ同士だろうに」


 きっ、と、更にきつい眼で御用猫を睨み、彼女は声を荒げた。


「ブブロスは、はぐれ者です、昔は、偉大な狩人だったそうですが、森と祖霊を裏切り、結果、ここで朽ちるのです、祖霊に加われぬエルフは「記憶」に残る事も無いのです、そのような生き方、理解する事など」


「狼だって理解してるのに、か? ……ほら、泣いてないで、ちゃんと、見てみなよ」


 いつの間にか、涙を流し、我知らず亡骸から目を背けていたウィンドビットは、それ、に気付かなかったのだ。


 彼女以外は、皆、その光景に目を奪われていた。


 不思議な光景であった。抱き合うような一人と一匹の亡骸に、蛍でも集まるように、少しずつ現れた、小さな光点が、柱を形成し、明滅を繰り返していた。


 昼でも、はっきりと目に映る不思議な輝きたちは、暖かな灯火のようで、渦巻きながら、数を増やし、太さを増し、ついには森の樹冠を突き抜け、天にまで伸びてゆく。


「そんな……これは、祖霊の、かがやき、こんな、おおきな」


 口を開けたまま、呆然と、彼女はそれを眺めた。これ程の祖霊柱は、先代の族長が亡くなった時にも、見られなかった。


 普段は数メートル程の祖霊柱は、聖地に鎮座する世界樹の分身と言われ、森に住まう氏族の死に立ち会い、その魂を祖霊に迎え入れるのだ。


「彼らは、祖霊の仲間入りを果たしたようだね」


 今迄、どこに居たのか、御用猫の隣に現れたホノクラちゃんは、ウィンドビットに向き直ると、厳かに告げる。


「森に住まう総ての魂は、輪廻の中に戻り、生命を繰り返す。それは、自然の摂理さ、そもそもが、ボク達の手の届かぬ所にあるものだよ……エルフとて森に住まう生物の一員にすぎない、その一存で、彼らの行き先を決める事が出来るなどと、烏滸がましい考えだとは、思わないかな? 」


 ぺたり、と座り込んでしまった、ウィンドビットは、自らも魂が抜け出てしまったのではないかと思うほどに、惚けた眼で、呟いた。


「お祖父様……」


 祖父は許された、自分の中で。


 許す事を許されたのだ。


 それは、ウィンドビットが、自らを許す事でも、あったのだろう。


 天に昇る光の柱は、なんとも幻想的な光景であり、外見のわりに、些か、夢見がちな所のある、御用猫の心に強く響いた。


(そうか、こうして、星になるのか)


 その光が、全て空に帰るまで、彼は、黙って見上げ続けた。



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