獣剣 月の牙 11
尻餅をついたままの状態で、御用猫は、ぼんやりと、それを眺めていた。
意識には、もやもや、と霧がかかったようで、立ち上がる事もままならない。
脈動に合わせた激痛と、込み上げる嘔吐感が、御用猫に、早く、楽になれ、と、交互に囁いてくるのだが。
(まだだ、まだ、手放すな)
奥歯を噛み締め、緩慢な動作で、震えながら膝を立てる。
御用猫が、未だ生を繋いでいるのは、突然の闖入者のお陰であった。彼にとっては救いの神、密猟者達には、招かれざる客。
いや、本来ならば歓迎すべき獲物であるのだが。
絶体絶命であった御用猫を、救うかのように現れたのは、体高百五十センチはあろう、巨躯の狼。
月狼、である。
銀色にも見える、白灰の混じった体毛、耳の間から首筋まで続く白く長い鬣、脚は太く、牙は鋭い。
今も、悲鳴をあげる密猟者の一人に喰らい付き、左右に激しく揺さぶっている。
ブブロスの放った矢を、その男を盾にして受け止めたところを見るに、かなり知能が高そうだ。
密猟者達は、瞬く間に半壊し、三々五々に逃げ散ってゆく。
ただ一人、弓を構えて向かい合うブブロスに、赤く塗れた牙を見せ、挑みかかる様な姿勢を取った月狼であったが、突如として顔を上げると、耳と鼻をひくつかせ、一度、こちらに視線を送った後、陣風の如き速さで、森の奥に消えていった。
(あと、ひとり)
月狼の事は、今考える余裕もない、ぐらぐらと、揺らめく視界の中で、御用猫は刀を地面に突き立て、身体を支える。片腕ではあるが、ブブロスは強敵だ、この状態で、距離を取られれば、勝ち目は無い。
やるしかないのだ、御用猫はもう限界だと、ブブロスは思い込んでいるだろう、三歩、いや五歩ならいける、一直線に。
(突き殺す)
目の奥の光を悟られぬように、ふらふらと、少しづつ距離を詰め。
「……死に際の獣に、近付く狩人がいると思うか? 若僧」
ぱっ、と、飛び退ったブブロスであったが、その身体は、突如として背後に現れた、大きな蜘蛛の巣に絡め取られる。
「なに、何だ!?これは「銀蜘蛛」の呪い? 」
暴れる程に絡み付く蜘蛛の糸に、ブブロスは完全に拘束されてしまった。
「……やれやれ、相変わらず、生き急いでいるねぇ、キミは」
背後から聴こえた覚えのある声に、緊張の糸を切られた御用猫は。
ついに、その意識を手放したのだった。