獣剣 月の牙 8
遭遇したのは、一人の男であった。
進行方向にて待ち構え、チャムパグンの呪いで身を隠すと、呆れるほどに容易く、その男を捕らえる事が出来たのだ。
今迄、森エルフ達に、一度たりとも捕捉されなかった密猟者である、この男の呪いの腕は、かなりのものだったのは間違いないが、どうやら、チャムパグンには及ばなかったようだ。
「ブブロス……貴方は、まだ、この様な真似をしていたのですね……」
ウィンドビットは、この男を見知っている様子であった。
ならば、この男も森エルフなのだろうか。御用猫にはしかし、確信が持てなかった。
彼は、ブブロスと呼ばれた男は「老人」であった為だ。
御用猫は、老人のエルフなど、初めて目にする。いや、彼でなくとも、今までに、目にした人間は、そうは居ないだろう。
白髪交じりの髪は、伸びた端からナイフで切り取ったのだろうか、長さはばらばらで、無造作に後ろへ撫で付けてある。意志の強そうな目の周りには、深い年輪が刻まれ、革鎧からのぞくのは、細身であるが引き締まった身体。
背中に短弓を背負い、腰に小剣と短剣を差し込んでいる。
(弓なんて、どう使うんだ?)
御用猫の疑問は、尤もであろう、彼は、この老エルフは、左腕の、肩から先が消失していたのだ。
まぁ、それは仕事と関係の無いことだろう。
御用猫は気持ちを切り替える。特に興味もないのだから。
「さて、おっさん、聞きたい事が色々あるんだが、とりあえず「熊」のネップって男を知ってるか? 山の様な大男なんだが」
「……ウルサか、知っているとも、彼奴らも「マダラ」を、狙っておるからの」
当たりだな、と、御用猫はウィンドビットを振り返る。しかし、御用猫の期待する反応はそこに無く、彼女は、何処か沈痛な面持ちで、少し黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「ブブロス、次は無いと伝えたはずです、貴方は、聖地にも行かず、森を荒らし、月狼を狩り続けました、もう、祖霊に加わる事は許されません、既に裁決は下されているのです。ここで、処分します」
ウィンドビットが、腰の剣を初めて抜く、予想通り、銀色に輝く刀身であった。おそらく、これも、かなりの逸品なのであろう。
「はっ、聖地だと、醜く老いた同胞を隔離する為だけの場所に、なんの神性がある、若衆どもの、おためごかしよ、自分らの番にならねば気付かぬのであろう」
ウィンドビットは怒りで剣を、強く握り締めたが、そのまま斬りつけたりはしなかった。
(いいぞドビット、我慢しろ、もう少し話を聞きたい)
御用猫は、彼女の我慢強さは良く知っていた。下手に押さえて、この流れを切りたくは無いのだ。今は情報が欲しい、感情が昂ぶれば、エルフとて嘘はつけまい。
「森を荒らすだと? 商売を覚え、樹々と動物を売り物にする為の大改造が、森を守る事か、月狼は、外周森では生きられぬ、もはや、魔力を牙に宿すことも、ままならぬのだ、害獣としてしか奴らを捉えず、外に追いやったお前達には、分からぬだろうがな」
馬鹿にしているのではなく、どこか、哀れむような口調で、ブブロスは言葉を切った。
御用猫の勝手な印象で、エルフには、種族的な固い結束があると思っていたのだが、どうやら、森エルフ達にも、色々な考えを持つ者が居るようだ。至極、当然の事であったのだ。
こういった者達が、人間世界に降りて、街エルフと呼ばれる存在になったのであろうか。
「先生ー、御用猫の先生ぇー」
「なんだ喧しい、黙ってろ」
「良いんですか? なら、黙りますけど」
チャムパグンは、御用猫の下ろした背嚢から、食料を抜き取り、両手に抱えていた。いくら腹が減ったとはいえ、これは注意しておくべきだろう。
「浅ましい真似をすんじゃねーよ、話が済んだら……」
その時、ぴりっ、と、御用猫の首筋に電気が流れたような感覚。
御用猫は、ブブロスの残った右腕を捻りあげる。片腕だからと、拘束しなかったのは、失敗だったか。
彼の手のひらの中から、小さな甲虫が飛び出した。
「くそ、使い魔か! あのサイズで」
つがいとなる使い魔と術者が居れば、連絡が取れるだろう。これは不味い、早く立ち去るべきか。
「チャム! 誰か近づいてきたら教えろ、逃げるぞ」
「そろそろ、囲まれますよー」
「それを早く……ああ、さっきのか!」
取り上げた武器を拾おうとしたブブロスを、ごっ、と蹴り上げ、御用猫はウィンドビットに叫ぶ。
「ドビット、チャムを連れて逃げろ、文句は聞かない、客人を危険に晒すのは戦士長のする事じゃないだろう! 行け!」
予め、言葉の逃げ道を潰されたウィンドビットは、一瞬だけ躊躇いを見せたが、食料を抱えたチャムパグンの手を引き、奥森へ向けて走り出した。
がさがさと、大勢の足音も聞こえ始める、距離が近い。
(少し、時間を稼ぐしかないな)
障害物の多い場所での戦いならば、多少の覚えがある。
悪戦乱闘は、野良猫の得意とするところなのだ。
瞬時に覚悟を決め、井上真改二を抜き払った御用猫は、そこで見たのだ。
信じられぬ程高い位置の枝葉が揺れる、木々の間を窮屈そうに抜け出でる、巨漢の男。
「……二つ名は、ちゃんと、考えて付けて欲しいよなぁ」
これが「熊」とは、詐欺であろう。
番所に奴の首を届けたならば、きっと、苦情を入れてやるのだ、賞金首の一覧から「熊」の名を消し。
「食人鬼」と、書き込んでやる。
御用猫は、口を開けたまま、そう、決意したのだ。