獣剣 月の牙 5
「ジャガーと翼蛇」氏族の集落を朝に出発してから、西へ二、三時間ほど戻り、御用猫達は狩人のねぐらへと辿り着いた。
エルフの狩人階級は、狩りの他に、森の見張り役も兼ねている。各所に設けられた狩小屋には、当座の食料や寝具などが備えられており、交代で番をしているのだ。
ちなみに、飲料水に関しては、ほぼ全ての森エルフが、呪いで生成できるため、あまり重要視されていない。
御用猫も、旅の間はチャムパグンから水を搾り出し、喉の渇きを癒していた。
長らく一人仕事を続けていた御用猫である。呪いとは、かくも便利なものかと、最初は感動を覚えたものだが、最近では、何か、横着を覚えてしまったような、楽な方に流されて行くような、と、漠然とした不安に襲われる事もある。
餌がある事に慣れてしまえば、野良猫として生きてはいけぬのだ。
(すこし、気を引き締めねばならぬだろうか)
などと考えながら、御用猫は窮屈さを感じる猟師小屋の、粗末な椅子に腰を下ろした。
「ありがとうな、後はこっちでどうにでもする、連絡があるなら、使い魔でもよこしてくれ」
「何を言っているのですか? わたしも同行します、奥森の中で、人間を自由にさせる訳にはいきませんから」
当然でしょう、と不思議そうな顔を見せるウィンドビット。
随分と嫌われているはずなのだが、御用猫に同行すると言うのだ。その辺りに関しては、公正な人物なのだろう。
「短気なくせに我慢強いとは、難儀な性格だな、ドビットは」
「エルフにとって、名前を略すのは、互いの同意と親愛があってこその行為です、貴方にそう呼ばれる筋合いは……というか、何ですか、その略し方は」
「ウィン姉さんは嫌だろう? 」
「略さないでください、と言っているのです」
はいはい、と、手を振り、御用猫はテーブルに地図を広げる。簡素なものであるが、クロスロードの東部から帰らずの森周辺が記されている。
「とりあえず、密猟者は「ウルサ」の一味であると仮定する。これはこっちの話だがな、とにかく、月狼が奴らの本命なら、その縄張り辺りで、一日以内の距離に村があって、大人数でも集まれる場所……ここじゃないかな」
御用猫が指差したのは、かつて森エルフとクロスロードが、共存共栄の約定を取り交わす前、小競り合いを続けていた時代に使用されていた砦跡の中の一つ。
各地での乱獲は、月狼を狩る為の目くらましだと、彼は主張するのだ。
「一匹で何億の稼ぎになるんだろ? そりゃあ狙われるさ、大方、森エルフを仲間に引き込んで、ん、下手したら、氏族ごとかも知れないな……そっちも調べた方が良いんじゃないか」
先日の、海エルフの騒動もある、結束の固い氏族単位で裏切ることも、十分に考えられるのだ。
「そうね、月狼の縄張り近くに暮らす氏族は調べておきましょう、ローエとイリヤラインは、戻ったなら、そうオーフェンに伝えてください」
異を唱えるわけでもなく、彼女は受け入れる、多少の文句は覚悟していたのだが、随分と冷淡な考え方をするものだ、それとも、自分の氏族以外は、特に信用していないのかも知れない。
年若い狩人の二人は、いや、若く見えるだけかも知れないのだが、頷くと、口笛を吹きながら小屋を出て行く、使い魔に合図でも送っているのだろう。
「さて、とりあえずは飯にするか、その前に、ドビット」
「その呼び方は止めてくださいと……はぁ、何でしょうか」
「脱げ」
彼女が、理解するのは早かったが、方向は違っていたようだ。ウィンドビットは、御用猫から離れると、腰の剣に手をかけた。
「違うから、お前に手を出すほど飢えちゃいな……おい、お前が脱ぐな、なに、仕方ないなぁ、みたいな顔してんだよ、気持ち悪い」
シャツを捲り上げたチャムパグンの腹を叩くと、意外に良い音がした。
「いい加減その鬱陶しい鎧を脱げって言ってるんだよ」
「この「浮き板」は、我が氏族の誇り、戦士長である私が、入浴や就寝時以外に、外す事はありません」
剣から手を離したウィンドビットは、立ったついでとばかりに、食事の支度を始める。とはいえ、昼の献立は、集落から運んできた燻製肉と乾燥ソーセージ、チーズにナッツ、蜂蜜酒。
明日からは、食料も節約し、機会があれば、積極的に自給しなければならないだろう。
それは構わないのだが。
「そう言われると、尚更、気になるんだよ、いいから脱げよ、中身が見たいんだよ」
「お断りします、人間の男は、獣欲に支配された下品な生物だと聞いていますので、信用なりません」
ぴりっ、と、部屋の空気が張り詰めた。
御用猫は、チャムパグンに目配せすると、息を吐いて肩を竦める。
「分かった、悪かったよ、俺も嫌がる女を、無理矢理ってのは趣味じゃない、これ以上、お前の中で人間の株が下がっても面白くは無いからな、お互いに、もっと理解しあって、お前がそうしても良い、と思ったならば、改めて一緒に卓につこう……そんな機会は訪れないだろうがな! 」
得意の隠形で気配を消したチャムパグンが、背後からウィンドビットの長剣を、金具を外して奪い取る。
「あっ! 」
小さく叫んで、卑しい忍者エルフに伸ばした彼女の腕を、御用猫は、戦闘服の袖に仕込んだ鋼糸で、一瞬のうちに縛り上げた。
「うひょー、こいつぁ上玉ですぜ、おやびん」
「焦るんじゃねえよ、ゆっくり、一枚づつ剥がしてやんな」
げすげすげす、と、嫌らしい笑い声をあげる二人の悪魔を前にして、ウィンドビットは、祖父に聞かされた人間の話を思い出していた。
愚かで下賤な種族ではあるが、短い生を、懸命に生きるその姿は、儚くも、美しいのだと、心に響くのだと、だから愛し、彼女の父が産まれたのだと。
薄汚い山賊や、密猟者しか見たことの無い彼女であったが、クロスロードに行けば、そういった心の清い人間も、祖父が愛したような人間もいるのでは無いかと、密かに抱き続けていたウィンドビットの期待は。
木っ端微塵に、打ち砕かれたのだ。
「お爺様の、嘘つきぃー! 」
彼女の悲痛な叫びは、しかし、祖霊に届く事も無く、森に響くのみであった。