獣剣 月の牙 3
「へぇ、密猟者ねえ」
もごもご、と塩気のきつい干し肉を口の中でふやかしながら、感想を返す。御用猫はオーフェン達と食事中であった。
エルフは人前で食事をしないだろう、と、文句をつけた御用猫に対しても、彼は相変わらず柔和な表情で、エルフの伝統と生活を説明してくれる。そこからの流れで、最近、彼ら氏族の間で問題になっている人間達の話題になったのだ。
手荒な真似の詫びだと、少しばかり造りの良い建物へと移動し、丸太を輪切りにしたようなテーブルの上には、多少、草の割合が多い他は、クロスロードで口にできるものと、変わらぬ食材が並べられている。
膝に乗せたチャムパグンの口に、野菜をねじ込みながら、御用猫は自らが捕らえられた訳を耳にするのだが。
最近になって、外周森に現れた密猟者の一味は、エルフの領域にまで侵入し、貴重な薬草や動物を乱獲していると言う。
どうやら、森と呪いに詳しい者の手引きがあるらしく、森エルフ達の巡廻中は現れず、罠や呪いでの探知にもかからない。
足跡から判断するに、かなりの大人数で、広範囲に渡り森を荒らしているのだというのだが、クロスロードとの約定により、簡単に、外周森にまで戦士を派遣する事は叶わないのだ。
少人数ならば問題は無いのだが、それでは賊との戦いに不安が残るだろう。
人間と違い、エルフは真面目で、誠実に過去の約定を遵守している。そんなことには、全く関係の無い御用猫ですら、何か申し訳ない心持ちになるではないか。
「なぁ、オーフェン、そいつらの中に、俺の追っている獲物が居るかも知れないのだ。確認の為に、しばらくここを間借りしたいのだが、どうだろう? 当然、宿代と飯代は払う、密猟者を見かけたら、捕まえて引き渡そう」
少しばかり、手助けをしても、良いかも知れない、御用猫は考える。
ふやけた干し肉を、ようやく飲み込んだところで思い出し、あと、酒も欲しい、是非欲しい、と、御用猫の要望であったのだが。
「認められません、貴方が賊の仲間だという可能性も残っていますから」
横合から口を挟むのはウィンドビットだ。
「煩いやつだな、口さがない女は嫌いだと、さっきオーフェンが言ってたぞ」
「何ですって! それは本当なのですか? オーフェン」
がたり、と立ち上がり、オーフェンの肩を掴むエルフの騎士は、眉を吊り上げ、彼の眼前に鼻柱を突き付ける。
「いや、そんな事は、けして、だから落ち着いて、ウィン姉さん」
短気な女だ、エルフらしく外身は美しいのだが、優雅さと気品からは、多少距離を置いているらしい。そもそも、食事中くらい鎧を脱げばよいのに、と御用猫は、ぼんやり考える。
オーフェンは、姉さんなどと呼んでいたが、見た目は似ていないので、幼馴染か何かであろう、慌てたせいで、普段の呼び方に戻ってしまったのだ。
「そう、そうだ、御用猫さんは黒エルフの友人が居るとか、その方の名前を聞けば、彼の証明になるでしょう」
何とか話題を逸らそうとしたのか、不自然な提案であったのだが、エルフ騎士には効果があったようだ。くるり、と体の向きを変えると、見下したように御用猫を見やる。
「そうですね、適当なでまかせでしょうけれど、聞いてあげます……先に言っておきますが、オーフェンは、森に住まう全氏族の名前を諳んじる事が出来ますので、覚悟して発言なさい」
さらりと、ウィンドビットは言うのだが、一国に比肩する広大な、帰らずの森、そこに住むエルフの全数は、十万を超えるのだ。俄かには信じ難い事であるが、何がしかの呪いの力を借りているのかも知れない。
(ううむ、これは、間違える訳にはいかぬな)
頭の中で一度、それを読み上げると、御用猫はゆっくりとその名を口にする。
「仄暗い森の奥を、水底に喩えるならば、風に舞い散る櫂の葉は、儚く消える水泡だろうか」
「何ですか? ポエムですか、それより先生、葉っぱばかりじゃなくて、肉が食べたいですばい」
後頭部を御用猫に擦り付けるようにして彼を見上げ、肉食系エルフは、給餌についての不満を口にする。
草食系のエルフ二人は、そのアーモンド型の目を見開き、驚きを表現していた。
黒エルフは、他人に名を知られるのを嫌う、呪いに長けた彼らは、名前の持つ真性を重要視している為だ。なので詩文に偽装した名を遣うのだが、迫害された過去もあり、それすら、人間に教える事は、まず有り得ないだろう。
「普段は、ホノクラちゃんと呼んでるがな」
「正直、驚きました、彼の名は、確かに、記憶、が知っています……どうですか? ウィンドビット」
エルフ騎士は、忌々しげに顔を顰めたが、どうやら異存は無いようだ。
「ですが、それならば、最初から彼を頼れば良かったでしょうに、黒エルフの使い魔ならば、森じゅうに放たれているでしょう」
「まぁ、悪い奴じゃ無いんだがな、会わないで済むなら、そうしようかと……ちょいと聞くが、森エルフの親愛表現って、どんなのなんだ? 」
ああ、と、オーフェンは、漸くに納得がいったと頷く。そして、やや苦笑いに
「心配いりませんよ、親愛の口づけは、黒エルフだけの文化ですから」
そうか、と御用猫は胸を撫で下ろす。
ホノクラちゃんは、黒エルフの中でも、特に中性的な、美しい顔立ちをしており、長い名前の所為もあって、御用猫は最初、女性だと思い込んでいた。
彼が男だと判明した後では、親愛表現を受け容れる事に、いささか抵抗があったのだが、今更断るのも失礼だろうかと、黙って、されるががままの御用猫であったのだが。
彼は知らない。
ホノクラちゃんの親愛表現は、他の黒エルフとくらべても、必要以上に長く、深いものであったのだが。
彼は知らないのだ。