獣剣 月の牙 2
全くもって、御用猫は不機嫌であった。
誰を責める訳にもいかぬ、全て彼の、勘違いとも云えぬ、乙女のように抱いていた幻想が、打ち砕かれたせいなのだから。
「何だ、この家は」
「何だと言われましても、その」
煉瓦造りの簡素な建物は、おそらく、普通の民家なのだろう、窓に格子は無く、部屋の扉には鍵すらない。
森の中とはいえ、八月の最中、まだまだ汗ばむような日が続いているのだが。
家の中どころか、村に入った瞬間から、ほぅ、と息を吐くほどの涼やかさであったのだ。森エルフの大規模な呪いは、天候を操るとも言われる程なのだが、なるほど、確かにこれならば。
(雨どころか、槍でも降らせそうだな)
ひとり頷く御用猫である。
「それで、貴方達の目的をお聞きしたいのですが」
「エルフといえば、樹上生活じゃないのか? なんだこの村は、何処ぞの農村と変わり無いじゃないか、俺を騙したのか」
はぁ、と、気の抜けた返事をするのは、まだ若い、いや、エルフを外見で判断する訳にはいかないだろうか。
肩までの金髪に、そこから飛び出す長い耳、ローブ姿、細めの体躯は、戦士階級ではあるまい。顔の作りは、エルフだけに整っているのだが、どこか、柔らかいというか、頼りない印象を受ける男だった。
「若族長、やはり呪いで吐かせるべきでは? 」
若族長、と呼ばれた頼りないエルフは、片手を上げて護衛の戦士を制する。
「いえ、私には、彼らが密猟者には見えないのです、迷い人であるならば、客人として扱うべきでしょう」
「なんだ、それを早く言ってくれよ、俺は名無しの賞金稼ぎだ、御用猫と呼ぶ奴も居る、外森に潜む山賊を探しててな、黒エルフの友人を訪ねるつもりが、役立たずの道案内に騙されて、このざまだ」
突如、ぺらぺらと話し始めた御用猫に、目の前のエルフは少々面食らっただろうか、それでも、この怪しい賞金稼ぎの話に、真摯に耳を傾けていた。
「なるほど、お話は分かりました、どうやら誤解のようですね、申し遅れましたが、私はオーフェン、歓迎します、外界の友人よ」
オーフェンと名乗ったエルフが、これが人間式ですよね、と、白く細い手を差し出した時、部屋の扉が乱暴に跳ね開けられる。
「オーフェン! 賊の一味を捕らえたと聞きました、何故、私に知らせないのですか! 」
御用猫が、その人物を見た、第一印象は。
(なんて、重そうな、あれで動けるというのか)
白銀に輝く全身鎧を着た、エルフの女性。髪色は、鎧に合わせた様な銀髪で、いや、鎧の方を合わせているのか。
とにかく、異常なのはその鎧だ、そもそも、軽装を好むエルフは、戦士階級といえど、精々が革鎧程度の武装で、この様な重装は有り得ない。
今時分、クロスロードの騎士でさえ、典礼か、馬上試合でしか着込まぬ様な、フルプレートの完全武装である。
「ウィンドビット、彼らは、例の密猟者とは無関係のようです、そもそも、たった二人で進入して来るのも、おかしな話でしょう? 」
「信じられませんね、賊を手引きしているのは、街エルフだとの話も耳にしていますし」
ウィンドビットと呼ばれたエルフの方は、どうやら、御用猫達に好意的、といった感じではない。
「お前、そんな事してたのか? 今のウチに謝っとけよ」
「わしわ、わしわ悪ぅない、世の中が悪いんや、おらクロスロードさ行くだよ」
ももも、と、御用猫の袖を甘噛みしながら、どこか、投げやりにチャムパグンは言う、腹でも減っているのだろう。全体的にやる気が無い。
苦笑するオーフェンを睨み付けると、女戦士は鼻を鳴らして踵を返した。
「拘束は解いても構いませんが、見張りは、ちゃんと付けておくように、お願いしますよ」
のしのし、と、大股で歩く彼女を見て、御用猫は、ふと気付く。
「足音が、聞こえないな」
全くの無音、という訳ではないのだが、まるで軽装のような静粛さではないか、よくよく見れば、金属鎧を着込んだ女の動きではないだろう、長い銀髪を揺らし、重さを感じさせぬ足取りだ。
「浮き板には、静音の呪いも込められていますから」
「オーフェン、みつばちじゃないんだから、相手の知らない事は、一から説明する癖をつけなさいよ? ……補足しておくと、みつばちというのは、俺の知り合いだが、まるで役に立たない女忍者だ」
はぁ、と、相変わらず気の抜けた返事をしながらも、森エルフ「ジャガーと翼蛇」氏族の若族長、オーフェンは思った。
(人間と会うのは初めてですが……ご先祖様は、よく、彼らと友誼を結ぼうと、思ったものですね)
「先生ー、猫の先生ぇー、こいつ、失礼な事考えてやがりますよ、見た目と喋りで騙そうとしてますが、プライドの高い、典型的な嫌エルフです、ぐえー」
「何だと、見損なったぞオーフェン! でも、お腹すいたから、何かくれたら許してやらんこともない」
早く早く、飯をくれ、と、歌い始めた、この珍客に。
オーフェンは、自分の代で森を閉ざすべきかと、それを、氏族会議に上げるべきではないかと、真剣に考え始めたのだ。