恋模様 6
「何してんの? お前」
翌日、チャムパグンと手を繋いで、いのやを訪れた御用猫を出迎えたのは、サクラであった。茶色の矢絣に紺色の袴、いつもと変わらぬ姿の彼女は、御用猫を見とめると、黒髪を馬尾と揺らし、猛烈に突進してくる。
「何、じゃありません! 聞きましたよ、何ですかこのお店は! 遊郭じゃないですか! 信じられません、こんな所に通い詰めていたなんて、いえ、それよりも私がこんな所に来たと、お父様に知られたら大変な事に、というか、ここで働かないかとか勧誘されたんですけど!ですけど!」
何か、もう、啄木鳥の方がまだ息を挟むのではないか、などと御用猫が考える程に、とめどなくサクラは喋り続ける。店の暖簾の下からは、マキヤが手を振っていた。
ちろり、と小さな舌を出していたところを見るに、彼女が暇つぶしに、サクラを揶揄っていたのだろう。
分かる話だ、御用猫はうんうん、と、頷く。それがまたサクラの逆鱗に触れたのだろう、下から彼の襟首を掴み、体重を乗せて、振り回してくる。
「まぁ落ち着けよ、それだけサクラが可愛いって事だろう? もし働く気になったら、言ってくれ、贔屓にするから」
「なぁっ!? 」
もはや、何を言っているのか聞き取れぬ程の早口で捲し立てるサクラを放置し、御用猫は揺れる頭でマキヤに声をかける。
「とりあえず、今日は帰るわ、皆に宜しく言っといて」
「何で! 」
からから、と雪駄を鳴らし、今度はマキヤが表に飛び出してきた。
「今日は新品なのに! づるこは最近、しつこい常連がいるから、先生独り占めなのに! 」
緩く着込んだ小袖の合わせから、やや浅黒い肌を覗かせ、じたばた、と暴れる様は、子供にしか見えないのだが、彼女は草エルフ、実年齢はチャムパグンとそう変わりないのだ。
『おい今何考えた』
両側から同時に責められ、御用猫は人生の先輩達に別れを告げると、サクラの手を引き、逃げるように立ち去ったのだ。
「んで、結局、何しに来たんだ? 」
御用猫はマルティエの店まで戻り、彼女に昼食を頼む。丁度仕入れたばかりだというハモに、柚味噌を塗って焼いた料理が、三人分並べられた。
先ほど振り払った筈のチャムパグンは、いつの間にか横に陣取っている。
細かく骨を切られたハモは、綺麗な焼き目と柚味噌の香ばしい匂いが食欲を唆る、添えられた山椒の葉が、気が利いているでは無いか。素人の御用猫から見ても、これは、手間がかかっていそうだ。その辺りをマルティエに尋ねてみたのだが。
「旬のものだし、猫の先生、こういうの、好きでしょ? 」
エプロンで手を拭きながら、にっこりと答えるマルティエは、後ろで縛った、太陽のような赤毛を揺らし、厨房に戻る。
御用猫が、今日ここで昼食を取るとは限らなかったのだが、声をかけるでもなく、準備していたというのだ。
(まったく、出来た女だ、見習って欲しい奴が、二、三人、いや……あれ、沢山いるな)
脳内に浮かんでは消える女性の顔を、手で払っていると、サクラに、ぴしゃり、と、その手を叩かれる。
「聞いているのですか、まったく、ゴヨウさんは、いつも、余所事を考えていますね、小さい頃に、落ち着きの無い子だと言われませんでしたか? 人の話には、もっと集中して下さい、剣と一緒です、一意専心、もがふぐ」
話終わりの見えなさそうな、サクラの口に、ハモの切り身をねじ込む。
「なにが集中だ、隙だらけだぞ」
にやり、と、笑う御用猫に、サクラは真っ赤に熟れて、それでも、もごもごと咀嚼している。飲み込んでから反論しようというのだろう、やはり律儀な女だ。
「……おいしい! 骨ですかこれ、ぷつぷつと、気持ちいいですね、大先生のところで、鰻は頂いたのですが、これは、全然違いますね、脂は少ないですけど、しっかりとしたもごぅ」
二切れ目を突っ込むと、またサクラの顔が赤くなる。今回のは、自らの二度目の油断が恥ずかしくなったからであろう。
「先生ー、御用猫の先生ぇー、お腹が空きました、はよ下さい、にょろにょろになります、ぐぇー」
慌てて、テーブルの上に、つきたて餅のように伸びるチャムパグンに給餌を始める。
(今まで、こ奴は、どうやって生活してきたのだろう)
もっちゃもっちゃ、と咀嚼するチャムパグンはとても幸せそうで、そんなものを見せられると、御用猫も、まぁ良いか、という気分になろうものなのだ。
サクラも、ハモ料理は気に入ったようで、椀に入った吸い物を啜りながら、もりもり、と食べ続け、しかし横目で、鰹節を振りかけた焼き茄子に、手を伸ばす機会を窺っている。
「んで、結局、何しに来たんだ? 」
焼き物を飲み込んで、御用猫は問いかけるのだが。
どうやら、誰の耳にも、届いていない様子であった。