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インタビュイーの男

作者: 凸森一平

【“勇気を出す切欠きっかけ”はなんだったのでしょうか?】


「キッカケですか。そうですねぇ。。。キッカケはクロネコヤマトの夜勤です」

 

 インタビュイー(インタビューされる人)の男は文字通り天井を3分ほどじーっと見つめてから急速に視線を私に戻し、話を切り出した。


「東陽町って知ってますか?そうです、東京メトロ東西線のやつです。まぁ普通の人は東陽町で降りることはまずないですよね。だってなんにもないんですから。いえ、“なんにもない”というのは少し語弊がありますね。“なんにもないと人々に感じさせてしまうほど、空虚で悲しい街”と言うのが、ここでは正解なのでしょう。駅前に申し訳程度にマックとスーパーがあるだけで、あとは全部団地。第二次ベビーブームに無計画に立てられた過去の遺物と呼べるシロモノで、“洗練”という言葉を形容出来るものが一切ない。“画一化”という言葉を幼い子どもに教えるとしたら、ぜひ東陽町の団地を見せてあげるといいですよ。幼い子どもは言葉を言葉で教えるのではなく、肌で教えてあげるのが一番です。大人より、感覚が鋭いですからね。その感覚は時に大人から見れば“天才”とよばれるかもしれませんが、それは子どもからすれば普通の感覚なのです。しかし、そういう感覚の鋭い子どもがもてはやされて大人からチヤホヤされた結果、天狗になって思春期にろくな努力もせずセックスばかりして、大人になった時には新宿の西口ガード下で一生生活するハメになる例が後を絶たないですけどね・・・でも瞬時に理解できますよ、きっと。“画一化”。東陽町の団地は老朽化も進み、しかも全棟にエレベーターがない。だから熱中症で干涸びたじいちゃんばぁちゃんを運ぶのに、葬儀屋さんが苦労することで有名な街なんですよ。そんな街、よほどの物好きじゃないと降りないし、ましてや住まないです。でも、その街が“勇気を出す切欠”のスタート地点なんです。なぜなら、クロネコヤマトお台場ベース行きの従業員バスの発着点なのですから」

 

 ここまで話して、インタビュイーの男はいろはすの水を飲んだ。インタビュイーの男はものすごく喉が渇いていたのだろうか?凄い勢いで水を飲んで、飲んでる最中にペットボトルを握りつぶし、勢い余った水達はインタビュイーの水を飲む速度の臨界点を超えたため勢いよくインタビュアーの男の口から昼下がりのパリの噴水のように溢れ出た。第一印象で「このインタビュイーはどこか倫理観が欠落している所があるかもしれないから、半径5メートルは距離を取っておいた方がいいかもしれない」と事前に察していたため、インタビュイーの男の口から放出された水を一滴も浴びることはなかった。やはりどんな状況でも“不測の事態”というものを全て想定した上で行動しないと、いざ本当に“不測の事態”に直面した際に想定の不足から不服な思いをするハメになってしまうことを、私は以前付き合った15才上の元カノとの交際経験から痛いほど思い知っている。


「18時半にクロネコヤマトのバスがやってきます。ですので、18時頃になるとバス停に人がゾロゾロと集まってくるんですよ。ちゃんとしたバス停はありません。バス停の目印として、道路の花壇の所に生えている木の脇に赤い缶が置いてあるんです。これはタバコの吸殻を捨てる缶です。クロネコヤマトのバイトをやっている人間のほぼ100%は喫煙者ですからね。みんなバスに乗る列に並んでいる間にタバコを吸う訳ですよ。以前、タバコを捨てる缶がバス停になかった時代にはみんなタバコの吸殻をポイ捨てするから、近所から苦情が来た訳ですよ。まぁ苦情だけだったらいいんですけど、実害も実はありまして・・・。かつて、クロネコヤマトのバイトのひとりがタバコの火を消さずに捨てて、それをうっかり子どもがタバコの火を付いている部分をうっかり飴と勘違いしてしまったらしく、拾ったらやけどをしてしまいましてね。もうその子の親はカンカン!すぐにクロネコヤマトのカスタマーセンターに間髪いれずに電話がかかってきたらしいですよ。しまいにはその子どもが通っていた東陽町西小学校のPTAも出てきて、一時は裁判を避けられない所まで行ったんです。でも、クロネコヤマト側の雇った弁護士が優秀だったんです。国泉優という名前の弁護士で、国選だったんですけど、そいつは2008年度の東大法学部を主席で卒業して、在学中に旧司法試験を一発合格した奴だったらしく、おまけにそいつの得意科目は民法で、初めての民事訴訟だったにも関わらず、ベテラン顔負けの話術と民法知識を駆使して、クロネコヤマト側がその親子に100万支払うことで大事にはしない方向に落ち着いたようです。それにしても、タバコの火を飴と間違えるなんて、やっぱり子どもの“感覚”というものは鋭いですよね。感服するばかりです。あぁ、その子どもですか?両親は肺がんで死んで、今は新宿の西口ガード下でジャンプ売ってるらしいですよ。タバコ吸っていいですか?」

「どうぞ」

 

 インタビュイーの男はマイセンライトを取り出してライターで火を付けた。インタビュイーの男はタバコを吸い、タバコの煙を自分の前方180度右から左に満遍なく行き渡るように顔を動かしながら吐いた。私は別にタバコの煙をあまり苦にする人間ではない。仕事の飲み会の席で酒を飲んで無礼講だと粋がった後輩がタバコを吸わない自分に対して無遠慮にタバコの煙を吹きかけてきた所で、その後輩を翌日から嫌がらせに近い仕事を押し付けるような心の狭い人間ではない。しかし、この目の前のインタビュイーの男が吐くタバコの煙に関しては、どこかレイプ殺人犯と対面するかのごとく強い嫌悪感を伴ったので、私はガスマスクをした。おかげで私はインタビュイーの男が吐くタバコの副流煙を一切受動喫煙することなくやり過ごすことが出来た。やはりどんな状況でも“不測の事態”というものを全て想定した上で行動しないと、いざ本当に“不測の事態”に直面した際に想定の不足から不服な思いをするハメになってしまうことを、私は以前付き合った15才上の元カノとの交際経験から痛いほど思い知っている。


「18時半、バスがやってきます。マイクロバスです。バスに乗り込むバイト達の顔の悲惨さと行ったら、まるでこれからアウシュヴィッツに向かうユダヤ人のごとく、絶望に染まっています。それはそうですよね。これから19時から翌朝7時まで、地獄のような仕分け作業が待っている訳ですから・・・クロネコヤマトお台場ベースに付くと、みな一列を成して無機質な建物内に入り、そのまま一直線に二階の準備&休憩室に向かいます。そこで安全靴と滑り止め付き作業手袋を鞄から取り出し、喫煙所で一服してから、一階の入出荷場に集まります。仕事前に夜番の集会があって、そこで今日の役割が決められます。

“お前はベルトコンベアー、お前は東雲、お前はお台場、お前は豊洲、お前は国際展示場・・・”

ルーティン化によるマンネリを防ぐために、クロネコヤマトではローテーション制を採用しています。つまり一日ごとに自分の担当が変わるのです。これは結構いいアイディアだとは思うのですが、只一つだけ難点がありました。なんだと思います(ニヤニヤ)」


 私は思わずインタビュイーの男に向かって中指を立ててしまいそうになった。しかし、私の中にもまだ長年のインタビュアー精神というものが残っていて、寸での所で私は少し前屈みをするだけで我慢出来た。


「私の名前が“東雲”だったということです。私が東雲の荷物担当だった場合は、荷物と私の名前が一緒になるのでそこまで苦ではないのです。しかしいざ私が豊洲担当だった場合、“しののめ~”と言われてペルトコンベアー担当の人は言うともう混乱する訳です。私の名前を呼んでいるのだろうか?それとも地名のことを言っているのだろうか?とりあえず私は私が東雲担当ではない時でも“しののめ~”と言われたら“はい!”とデカい声で言ってました。“誰もお前なんか呼んでねぇよ!死ね!”と言われます。それでもやはり“しののめ~”と言われると“はい!”とデカい声で言いました。“誰もお前なんか呼んでねぇよ!死ね!”と言われます。“しののめ~”“はい!” “誰もお前なんか呼んでねぇよ!死ね!”

【しののめ~】【はい!】【誰もお前なんか呼んでねぇよ!死ね!】

【しののめ~】【はい!】【誰もお前なんか呼んでねぇよ!死ね!】

【しののめ~】【はい!】【誰もお前なんか呼んでねぇよ!死ね!】

【しののめ~】【はい!】【誰もお前なんか呼んでねぇよ!死ね!】

【しののめ~】【はい!】【誰もお前なんか呼んでねぇよ!死ね!】

【しののめ~】【はい!】【誰もお前なんか呼んでねぇよ!死ね!】

【しののめ~】【はい!】【誰もお前なんか呼んでねぇよ!死ね!】

【しののめ~】【はい!】【誰もお前なんか呼んでねぇよ!死ね!】

幾千もの夜、何度このやり取りを社員の強面のベルトコンベアー担当と繰り返してきたでしょうか?そしてある夜、私の脳裏に一閃のひらめきが何の前触れもなく訪れたのです!

“この仕事に置いて、担当の地名だけわかれば、人の名前を呼ぶ必要はない”

どうですか!?気付いたのです!真実に!そして築いてしまったのです!自分だけの独創的なセオリーを!」


 インタビュイーの男の高まる熱弁とは裏腹に、インタビュアーの私は半分眠りそうになっていた。“しののめ~”あたりからこのインタビュイーの男の話が雑音にしか聞こえなくなっていた。しかしこんなときのために、私はポケットの中に阿川佐和子『聞く力』の新書本を忍ばせておいたのが功を奏した。私は途中か阿川佐和子の『聞く力』を読みながらインタビュイーの男の話を聞いていた。


《「きっとみんなこの人に同じことを聞いているだろうな」というような質問の場合、古典落語のように決まった答えが返ってくることが多いんです。「あぁ、そうですか」でその話題を終えたらほかのインタビューと同じになってしまいます。そんなときは、答えをよく聞き、その人の気持ちを想像してみると、何かしら疑問が湧いてきて、さらに聞くべきことが出てくるはずです》


 なるほど、紋切り型に「あぁ、そうですか」と答えるのではなく、インタビュイーの気持ちを想像して他の人がする質問の仕方とは違った角度の質問を投げかける。そうすることで、自然と聞くべきことが生まれ、インタビュアー・インタビュイーともにWin-Winの関係性が生まれるのである。さすが阿川佐和子。だてに何年間もビートたけしの隣に座っていたわけではない。ちゃんとその経験から常に自らの考えを陶冶し、そして実践し、それを書籍という他者に伝えられるほどにまで洗練させたのだ。阿川佐和子はただ人の話を聞く人形なんかではない。いかに聞く話を引き出すかを考え、想像する、芸術家だった。


「すいません、新書を読んでいる所申し訳ないんですけど、お話を続けてもいいですか?」

「あぁ、そうですか」


 インタビュイーは安心した顔をして話を続ける。


「夜勤の何がきついって、朝の3時が一番きついんです。昨日の夜7時から働いているわけで、もうその時点で既に8時間労働をしていて、おまけにまだ4時間もある・・・そして眠い・・・立ったまま寝ることも可能なぐらいに・・・そんなときは頭の中で“まだいける!まだ、俺はいける!”と自分を鼓舞するしかない。どんな状況に置いても、自分を助けられるのは最終的には自分だって事です。朝日が昇れば、あと少し。あともう少しで、帰れるんだ!帰ってビールが飲みたい!あぁあああ!!!頑張ろう!酒のために!そして酒のつまみのために!

 そんな時どこからか、こんな歌が聞こえてきます。


“余裕は夜の向こう側♫余裕は夜の向こう側♫余裕は夜の向こう側♫Fu~”


 誰が歌い始めたか?

 誰が作詞作曲したのか?

 全くもって、謎の多いんですけど、どこからともなく、このフレーズが聞こえてくるんです。そして口ずさんでいる。僕だけじゃないんです。一緒に働いているみんなが、このワンフレーズ口ずさみ始めるんです


“余裕は夜の向こう側♫余裕は夜の向こう側♫余裕は夜の向こう側♫Fu~”


 普段はお互いがお互いを“ホント使えねぇクソばっかだなぁ!”といがみ合っているにもかかわらず、このときだけ、このフレーズを口ずさむ午前5時から6時にかけてだけ、みんなの気持ちがひとつとなるんです。みんながみんな、早く仕事を終わらせて安ビールを飲むという共通目的のために、一丸となって働くんです。この時間帯の作業効率上昇率はなんと250%を軽く超えます。


“余裕は夜の向こう側♫余裕は夜の向こう側♫余裕は夜の向こう側♫ Fu~”

 

 このフレーズはどこからやってきたのか?そしてどこへ向かうのか?僕は多分、これがユングの言う集合的無意識の具象化されたひとつの形だと信じて止まないです・・・」


私は

「Fu~♫」

と口ずさんだ。


「朝7時、みんな待ちに待った仕事の終わりです。つまり家に帰れるってワケですよ!yeah!!!みんな一目散に2階に駆上がり、帰り支度をします。なぜなら、帰りのバスの一便目に乗りたいからです。それに乗れるか乗れないかで、帰宅時間が30分違いますからね・・・これは本当に大きいです。みんなビールのために、仕事終わりで喉が渇いているにもかかわらず一滴の水も飲まないで帰るんですよ。だからこの30分が、死活問題な訳です・・・で、かという私なんですけど、私は帰り支度が絶望的にトロくて、いつも一便目のバスに乗れないのです。。。ですから、私はいつも喉がカラカラになって、東西線の地下鉄に乗っている時に喉の裏表が引っ付いた感じになって呼吸困難になり何度も死にかけながら必死にビールのために我慢して帰途に着いていたんですけど、仕事にも喉がカラカラになって死にかけることにも慣れてきたちょうど半月が経った頃、クロネコヤマトお台場ベースのすぐ近くに朝9時までやってるバーを発見したんです。そこで黒ギネス・ワンパイントを注文してゴクゴクと喉に流し込む、うわぁ・・・想像しただけでヨダレが出てしまいました。そこのバーのマスターの佐佐木さんがとても気さくな方で、黒ギネス飲んでいい気分になって引っ込み思案の私が色々と話しかけたら、マスターと仲良くなりまして、マスターは自分がゲイであること、そしてゲイ・ポルノフィルム専門の小さなレーベルを持っていることを酒に酔った勢いにかまけてカミング・アウトしてくれて、それがゲイ・ポルノフィルムに出演する切欠でしたね。処女出演作は『どこにいけば君に出会えますか?』このフィルムで僕の淫戯が評価されて、僕自身もノンケだと思っていだのが、実は両刀使いだったということにも気付かされました。今はクロネコヤマトのバイトをすることなく、“ゲイ・ポルノフィルム・アクター”としてメシを食っていけるし、赤坂のマンションを一括で買いました」

「本日はインタビューを受けて下さり誠にありがとうございます。最後に一言、視聴者にメッセージはございますか?」

「おい!“君には才能がある”と言われていい気になってる子ども!それはお前の才能それ自体ではなく、ただ子ども特有の感覚の鋭さが大人に“天才性”だと勘違いされただけだから、新宿西口ガード下で一生過ごす事になる前に、脱いじまえよ!」

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