13
「……おまえ、カイザードという言葉に、聞きおぼえはあるか」
いったん後ろに跳び、クルトとの距離を測りなおした男は、わずかに眉根を寄せた。
「いきなり何だ」
「いいから答えろ! 聞きおぼえがあるのか、ないのか!」
「聞きおぼえがあるも何も、それは我の名だ」
クルトは、息をするのを完全に忘れた。
するりと、クルトの手の内から剣がすべり落ちる。
カランカランと、妙に乾いた金属音があたりに谺した。
「まさか……」
クルトの脳裏に、ハイリエ村で見た魔族の姿がよみがえる。
低位魔族と変わらぬ姿と核を持っていた。それを見て、己は何と思ったろう。
低位魔族と言うよりも、死にかけている魔族に近いと思ったのではなかったか。
一定の距離をとるとクルトたちを追わなくなった魔族を見て、井戸から離れないのではなく、何らかの理由で離れられないのだろうと考えたのではなかったか。
井戸に施されていた二つの劣化した破魔具。
あれは、ほんとうに劣化した物だったのか?
破魔具が劣化していたから、低位魔族が棲みついた。そう思っていたが、果たして本当にそうか?
クルトのなかで急激に膨れ上がる疑問が、彼を現実から切り離し、意識を奪う。
「おまえ、なぜ我の名を知っている?」
魔族の男──カイザードは、眉宇をくもらせ、クルトの異変を見つめていた。
「俺は──…」
自分は何か、大きな勘違いをしていたのではないか。
クルトは無意識に膝をつき、ティルファを探した。
むなしく床のうえを彷徨っていた手が、求めていたものを見つけ、強く引きよせる。
「教えてくれ。誰がティルファを殺せと言った? 誰が、おまえと取引きをした?」
「取引きではない。質を取っての脅しだ。言ったろう。おまえの仲間に訊けと。その娘を殺すよう我に依頼したのは、おまえの仲間。念術士を束ねているやつらだ」
クルトは抱きすくめたティルファの首元に顔をうずめた。
「なんで……」
それ以上、声が出なかった。
カイザードの言うことが事実ならば、ハイリエ村の魔族は、まさしく死にかけている高位魔族だったのだろう。そして、質にとられたというこの男の妻だったに違いない。
カイザードに見つからぬよう、術を施し、井戸のそばから離れられないようにしていたのだ。だから、その術の外に出たクルトたちの姿を、あの魔族は捉えることができなかったのだ。
破魔具も劣化していたのではなく、あそこに封じられたカイザードの妻が抵抗して破壊したのだ。ティルファのブレスレッドを、カイザードが砕いたように。
二つの破魔具が同一の製作者だったのは、自分の目を欺くためか……。
クルトは笑いだしそうだった。
あまりの現実に、訳が分からなくなり、何もかもがどうでもよく思えてきた。
「どうした。死ぬ覚悟ができたか?」
「覚悟など……」
クルトはゆっくりと振り返った。
その眼には、しずかに燃える青い炎が見えるようだった。