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涙雨  作者: 海月流菜
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 ここはどこなのだろうと、クルトの視線が宙を彷徨う。

 自分は夢を見ているのだろうか。

 いつの間にか眠ってしまって、過去の忌まわしい記憶を、夢に見ているのだろうか。


 そんなことを思いながら、クルトは足を前に踏み出そうとしたが、膝が震えて動けなかった。


 そう。たしかに両親が殺されたあの夜、クルトはひとり立ち尽くしていた。

 膝が震えて今にもくずおれそうなのに、力の抜き方を忘れてしまったかのように、体がその場に立ちつづける以外の選択肢を許さなかった。


 クルトの視界を覆い尽くすのは、鮮やかな紅。

 床も壁も天井も真っ赤に染まり、部屋の隅におかれた卓上のランプの灯りが、それらを艶やかに照らし出していた。


 息を詰めていても、なお鼻につく血のにおい。

 あまりに濃厚で、吐き気が込み上げる。


 ようやく十を超えたばかりの少年でしかなかったクルトは、瞬きもできず、目の前の凄惨な光景から視線を逸らすという簡単な行為すら忘れ、はからずも、その光景を明確に目に焼き付けることとなった。

 だから、間違えるはずなどない。


 本格的な冬が来る前にと、一人息子のために外套の手直しをしていた母は、居間にある暖炉の前で倒れていた。

 彼女のそばにあったのは、幼いクルトの、血まみれの外套だ。血まみれの水差しなどではない。


 クルトの母は、クルトと同じ癖のない栗色の髪をしていた。断じて癖のある金髪などではない。

 母が倒れていたのは暖炉の前で、けして寝台の前などでは────。


「おまえも我の邪魔をするか」


 唐突にクルトの意識に入り込んできた声は、明らかに殺気をはらんでいた。羽虫が光に引き寄せられるかのごとく、クルトはゆっくりと声がしたほうへと顔をめぐらせた。


 窓のそばに、冷たい目をした銀髪の男が立っていた。男の頬や手を汚している鮮烈なまでの深紅は、その白い肌に映え、男の異質さを際立たせていた。

 それは人間では持ちえない禍々しさ。まさに、魔と呼ぶにふさわしい者。


「……まぞく……」


 無意識にクルトがつぶやく。その声は掠れきっていて、まるで老人のようだった。


「潔く退くなら見逃してやる。おまえを殺すことは我の仕事の範疇に入っておらぬゆえな。だが、邪魔立てをするというなら、おまえもこの場で死んでもらう」


「しごと……?」


 硝子のような空虚な瞳で、クルトはあたりを見まわした。

 寝台の前で不自然な体勢で倒れているのは、クルトの母ではなく、恋人のティルファだった。

 寝台の上。血溜まりのなかで横たわっているのは、ティルファの母親だった。

 ようやくそのことを認識すると、クルトは熱に浮かされてでもいるかのように、頼りない足取りで動かない二人に歩み寄った。


「ティルファ?」


 ひざまずき、血に染まった頬に手を添える。

 かすかな体温がクルトの指先に伝わったが、ティルファは何の反応も示さなかった。


「なあ、ティルファ。俺、帰って来たよ。約束してた薬を持って来たんだ。起きろよ。ティルファ?」


 喉の奥で声がつぶれそうになるのを感じながら、クルトは何度も恋人の名を呼んだ。

 だが、閉じられている恋人のまぶたは、ぴくりとも動くことがなかった。


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