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出立のときは

 気づけば汗が体中を湿らせていて、床にもじっとりと浅い池を作っている。頭が酷く痛み、四肢がまるで全力疾走をしたときのように疼いている。

 樹喜は息を吐く。久しぶりに発作を起こした。この暗い空間がそうさせたのかもしれない。AGDを操作する。――時刻は、十二時五十分。それを見た途端、また動機が激しくなった。十二時に出航と言っては居なかったか。だとすれば。

 そう思ったとき、また、声が聞こえた。

「――絢乃は寝た?」

 恵琉の声だ。樹喜は激しくなる動機を押さえながら、また壁に耳を当てる。

「うん…あの、園美姉様も…寝ちゃった」

 答えた声は、舞花のものだった。

「舞花は寝ないの?」

「…あの…恵琉姉様」

「なに?」

 僅かの沈黙が訪れる。樹喜はただ、汗を拭ってその次の言葉を待った。

「――あのね…本当のことを…教えて欲しいの」

「…本当のこと?」

「…私達は…どこに向かっているの…?」

 樹喜は息をのむ。僅かに震えているように聞こえる舞花の声。先程の沈黙とは異なる不気味な沈黙を、壁越しに感じる。ややあって、恵琉の深いため息が聞こえた。

「…そうね。話さなくてはね。…舞花、何か飲む?」

「うん…」

 食器の触れる音がする。それから、恵琉はゆっくりと話し始める。

「――…私達はね、帝星に向かってるの」

「え…? でも…あの、あそこは…」

「人間の立ち入りは原則禁止。ただ…今回は事が事なのよ。…地球の真ん中。核の中央に林檎核と呼ばれるものがあるっていうのは…習ってるかしら」

「…うん。えぇと…西暦二五三五年に発見されたって…」

「流石現役の学生ね。――で、その林檎核なんだけれど…それが爆発する事が、分かったそうなの」

「爆発…?」

「まあ、爆発しても地球が壊れたりすることはないそうよ。林檎核はそもそもが細かい微粒子が集まっているだけのものだから。激しい衝撃が来るわけでも何でもないの。――ただね、一つだけ問題があるの」

 ずず、と何か飲み物をすする音がする。

「その林檎核は…ある体質を持つ人間を、殺してしまうの」

「…体質?」

 うん、と恵琉は頷く。

「――覚えてないかな。五歳の時に…手術をしたでしょう」

「…手術…?」

 分からないか、と恵琉は少し笑う。

「もう十年ぐらい前に…禁止されてしまったんだけれどね。解毒手術といって…毒癌にならないようにするための手術なの。ほら…うちは夏美叔母さんも、毒癌で亡くなったでしょう。遺伝性のある病気だから、心配して父さんがやらせたのね」

「…うん…」

「その…解毒手術なんだけれど…それって、体内に物質を埋め込むのね。林檎石って呼ばれているんだけれど。どうやらその林檎石は林檎核と触れると…爆発してしまうそうなのね」

「え…」

「私達四人の身体には、林檎石がある。このままだと…林檎核の爆発と共に爆発して死んでしまう。――それで父さんは、林檎核の粒子が飛散してこない帝星への避難を告げたの」

「…帝星に居れば…大丈夫なの?」

「逆に言えば帝星に居なければ駄目ってことね。調査の結果、林檎核が爆発した後にその微粒子が全て風化するまでにはおおよそ…そうね、百年かかると言われているの。落ち着いたらまた地球に帰る…とは言われたけれど」

「落ち着くって…あと…百年?」

「試算はね」

「…待って、もう…帰れ、ないの…?」

「――長生きできれば帰れるわよ」

「嫌…私…そんな…」

「――舞花」

「私…爆発してしまってもいいから…私…帰りた…い…」

「駄目よ」

「でも…私…」

「――あなたに言わなかったのは、言ってしまうと絶対に付いてこないと思ったから。――黙っていて悪かったわ」

「恵琉姉様…私…だって…」

「大丈夫。帝星には他にも林檎石を埋め込まれた人々が避難しているの。そこで、新しい出会いもある。――きっと幸せに、なれるから」

 嫌、と舞花の泣き声が聞こえる。樹喜はただその会話を、壁越しに聞いていた。解毒手術というものは聞いたことがあった。数十年前に発表された毒癌防止の画期的な方法で、幼い頃にしか施術出来ないというものだった。術費は莫大で、それ故それを行ったのは日本でも十数件と言われている。突如、十年ほど前に曖昧な理由のまま停止されてしまっていたのだけれど。樹喜は息を吐いた。樹喜の身体に、林檎石はない。勿論あの屋敷の他の誰にも埋め込まれては居ないだろう。

「――舞花!」

 不意に恵琉の叫び声がして、樹喜は身体を硬直させる。

「…お願い!下ろして!私…私…帰りたい…!どうしても…死んでもいい…!」

 ぱちん、と何かが柔らかいものを打つ音がした。はあはあという少女達の息が聞こえる。

「駄目よ。舞花。死んでは絶対に駄目。――あなたは生きるの。私達も。みんな。そして、幸せになるの」

「恵琉姉様…」

 大丈夫よ、と恵琉の声がする。

「あなたは幸せになれる。絶対に」

 樹喜はその声を、ただ聞く。恵琉が断言する言葉。それは当然のことだった。当たり前のこと。帝星にいる林檎石を埋め込まれた人々は恐らく元々は裕福な人々だろう。きっと舞花によく似合う人がいる。

 自分は、何を思い上がっていたのだろう。樹喜は息を深く吐いて、そうして壁に身体をもたせかける。あの時、舞花に救われた命。何かを、彼女のためにしたいと思った。けれど何一つ出来なくて。何のために今自分はここにいるのだろう。それでも未だに浅ましく、思う。舞花を、幸せにしたいと。どんな風にしても良いのかも分からないくせに。


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