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酷い賭けのようなものとは(2)


 ゆっくりと、“彼女”はその場に降り立った。長い金茶の髪。衣類は着けておらず、細い手首には、AGDは無かった。

 石楠花家の使用人の中で、当主の妻・石楠花咲妃の姿を知っているものはどのぐらい居るのだろう。少なくとも、樹喜と同年代の使用人のなかで知っているものは居なかった。屋敷内でも殆ど顔を出さなかった彼女は、当然、公の場には一切出なかった。晃一郎はその理由をかつて「私は嫉妬深い夫です」とさらりと言い、皆が苦笑しつつも閉口するしか無い状態に持って行っていた。

 姉妹達も、母とはあまり会ったことが無いと言う。母性神話が崩れた昨今では、珍しくもないことで(特に富裕層なら当然とも言われる)乳母が、姉妹達を育て上げた。

 写真もあまり残っていないという石楠花咲妃だが、けれど間違いなくそこに立っているのは咲妃だった。

 姉妹達に、よく似た容姿の彼女は、真っ直ぐに立っている。

 そして、樹喜は嘆息する。あの日、彼にほほえみかけた女性は、咲妃だったのだ。

――酷い目に合われましたね。花鳥家の使用人だったのですね。

 石楠花家について初めて聞いた言葉は、咲妃のかけた言葉だった。樹喜は、AGDを見る。配線が見られるそこに、いつか舞花が見つけた赤い小さな玉は無い。代わりに、一糸まとわぬ彼女の胸に、それはあった。

 咲妃は、ふわりと笑う。

『大きくなったね。園美』

「おか…お母様!」

『いつも妹たちを…私の子達を、ありがとう――』

 樹喜は茫然とそれを見つめる。

『あなたも、幸せを見つけてね』

 それだけを言うと、彼女はぐにゃりと歪んだ。お母様、と園美がもう一度叫ぶ。しかし、もうそれだけで、その場には何も無くなっていた。

 樹喜は不意に考える。アオイが言っていた言葉。

――四人ノ姉妹は、欠片を持っテいる。

 それはもしかして、咲妃の――サキムラアキのことではないのか。何故彼女が樹喜のAGDに居たのかは分からない。けれど、姉妹と樹喜が持っている欠片。それはきっと。

「ご無事ですか」

「…うん。何…今の…?」

 目の前のレムズ達は、座り込んでいる。ぎゃう、と小さな声を時々漏らすだけで。ぷるぷると頭を振って、何かを追い出そうとしているものも居る。

『油断するな』

 上空から声が聞こえて、樹喜と園美は顔を上げる。ノコギリエイが、揺らめいている。

『一時的に戦意を喪失しているだけだ。――回復したものから、襲ってくるぞ』

 樹喜はごくりと唾を飲み込む。ぎゅう、と一体のレムズが声を漏らし、そうして無理矢理起き上がろうと手に力を入れているのが見えた。

「姉様!」

 そうして、その声が届く。

 恵琉だった。小さな缶を抱えた彼女は、プテラノドンに絡め取られるように空を飛んできた。

「――めぐちゃん!それ、ちょうだい!」

「…姉様、何をしたの?」

 ふふん、と園美は胸を張り、そして慌てて怖い顔を作る。

「あ、でも油断しちゃだめよ!一時的に…えーと、何だっけ。とにかく、回復したらまた襲ってくるから!」

「…はあ?」 

 問いながら、恵琉はその缶の蓋を開ける。後ろでテツが更に両手一杯に缶を運んでいるのが見えた。

「――これを、どうにかして…浴びせるのかしら」

「とりあえず、やってみるしかないわよね」

 樹喜は頷いて、余っていた注射器にそれを入れる。

 月油をあまり無駄にはしたくない。塩と同じ方法で良いだろうか。

 が、それ以上考える猶予はなかった。一体のレムズが、ようやく起き上がる。そして、若干ふらつきながらもこちらへ向かってきた。

(やってみるしかない)

 恵琉のプテラノドンか、樹喜のノコギリエイで上空から降らせるのが早いのかも知れないが、確実性に欠ける。試す意味でも、直接注入するのが良いのは間違いない。

 樹喜はそのレムズに向かって走る。体つきは小柄だ。今まで何度か倒してきたものと比べてもそれは間違いない。しかも、今はまだよろめいている。勝機は間違いなく樹喜にある。樹喜、と誰かが呼ぶ声が聞こえた。

 上空から、ノコギリエイが着いてくる。

「あのさ!」

 走りながら樹喜は言う。何だ、とノコギリエイは返す。

「名前!」

『…名前?』

「後で言うから!」

 それだけを言うと、樹喜は走る。後数メートルの位置に、レムズが居る。

 にい、とそれは笑ったように見えた。口の端をつり上げて、舌が踊る。その舌に、注射針を刺そうと、思った。けれど。

(――違う)

 罠だとすぐに分かる。舌は、ぐにゃりぐにゃりと歪みながらこちらを誘うように動いている。けれど決して、こちらには向かってこない。

(口は駄目だ)

 けれども振り上げた手は、今更下ろせず。

『目だ!』

 空中から降り注いだ、音。

 樹喜はそのまま、手首を少し曲げる。注射針の着地点。びらびらと揺れる、赤い舌よりも上の。小さな、眼球。

 ぶつり、と奇妙な音がした。躊躇う間もなく、樹喜は押子(ぴすとんとテツが言っていた)を親指で押し込む。そして、それが奥まで入ったことを確認すると、身体を捻って横に倒れ込んだ。ぎゃおおう、とレムズが眼球を押さえる。そこには、細い注射器が突き刺さっていて。

 そして、それから先は何も瞳で認識することが出来なかった。ただ、真っ赤な何かが視界を覆って。ぶん、という低く鈍い音が響いた気がした。そして、後は顔面に、胸に、肩に。酷い熱を感じた。そして、背に何かが当たる感覚。何かに吹き飛ばされた、と言うのを認識したのは意識が途切れる直前だった。

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