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酷い賭けのようなものとは(1)

「嘘だろ」

 テツが呟く。どこにいたんだ、と呻くように彼は言う。

 樹喜は息を吐いた。

(考えろ)

 まともに正面から行っても勝てないことは明確だ。小型とは言えこの数をAGD一体でこなせるはずもない。仮に姉妹達のAGDを作動させても、かなり厳しい。

(――考えろ)

 深く、空気を吸い込む。レムズ達はまだ動かない。じりじりとこちらの様子をうかがっている。

(塩は効かない)

 樹喜は注意深く、レムズ達を見る。

(雨塩でも駄目なのだから、それ以上の濃い塩なんて――)

 林檎石。その中にある、雨塩。それがレムズを。――違う。樹喜は脳内を揺さぶる。違う。ある一つの引っかかりが、不意に姿を現す。

――二○二○年九月。救世主が蒼地星球からやってきて、特殊な物質で侵入者を絶滅させる。

 あ、と樹喜は息をのむ。――それは、アオイの予言。

 誰も、林檎石とも雨塩とも言っていない。たまたま、レムズの弱点が塩であることからそれに結びつけたが、決して断言はしていない。

 タカギ医師の全てを信じるわけではない。けれどもその言葉、が何らかの事情で真実であるのであれば。

(特殊物質)

 雨塩は確かに、高価なものだ。ただし物質として考えると、今この翠球にある塩と同じの筈だ。だとするなら、林檎石?違う。それだって元は地球に――つまりは翠星に存在していたはずで。

(特殊物質)

 船の中を、考える。テツは何に驚いていただろう。厠。温泉霧。枕一体の寝台。小麦餅。粉豆。下着。化粧膜。歯磨き粉。

(――…月油)

 月油は、月でしか取れない。他のものは全て地球が原産だ。(帝星で生産されているものも元は地球で改良を重ねられ、移籍してあるのだ)翠星からも、確かに月は見える。けれど、月は翠星内には無い。

 樹喜はぐるり、と遠くの船に視線を這わせた。工場から徒歩十五分。距離にして、二キロメイトル程。

 酷い賭けだと思った。根拠は、誰が発したかも分からぬ信用度の低いもので。そうして失敗した先にあるのは、地獄。そして仮に賭けに勝ったとしても、そこに待つのは別の地獄。もう地球へ戻れなくなる。そうなれば姉妹も樹喜も、永久にこの翠星に閉じ込められることになる。船はもう動かない。温かい食事も、優しい空気も、穏やかな明かりも、全てが使えなくなる。

 それでも。

 視線を向けると、真っ青になった舞花の顔が見える。震える園美の肩。茫然とした恵琉の横顔。テツの瞳は少し揺らいでいて。

 ここで死ぬくらいなら。

「――…一つ、やってみたいことがあります」

 樹喜はそう言葉を押し出す。八つの瞳が、こちらを見たのが分かった。

 自分は罪人だ。レムズという命を狩り、そうして同胞である人間を地獄へ誘おうとしている。けれども。――けれども。

 迷いが消えぬまま、樹喜は言葉を紡ぐ。囲っているレムズ達はまだ警戒を解いていない。長く説明する猶予はなかった。月油を、彼らに浴びせること。それだけを簡潔に伝える。

「――月油…」

 そう呟いたのは恵琉で。

「…勿論、何の確証もありません。うまくいく確率など、微々たるものです」

 恵琉の表情には、躊躇いが浮かんでいた。同時に、テツの顔にも。

「でもそれじゃあ…帰れないんじゃ…」

 樹喜がその言葉に頷きかけたときだった。

「――大丈夫。やりましょう」

 そう、きっぱり言い切ったのは舞花だった。

「舞花…」

「このままじゃ…ここで死んじゃう…。それは、すごくいやだから」

 でも、と言いかけたテツに、舞花は笑いかけた。少しぎこちない笑みで。

「――大丈夫。レムズを倒したら…他の国の人が、助けてくれるんでしょう?」

 その言葉で、恵琉は開きかけた唇を閉じあわせ、頷いた。園美も、同様に頷く。

「…分かった。やりましょう」

「おい――」

「時間稼ぎは、私がするわ。月油の貯蔵場所は分かるわね?」

 樹喜は園美を見た。月油は、まだ船の中だ。ここから歩いて十五分はかかる。それを運んでくるのに、どれだけの時間がかかるのか。仮に守り神を使ったとしても、すぐにそれが手に入るはずもない。

「駄目よ、私が時間を――」

 言いかけた恵琉を、園美が笑顔で止める。

「私がやるわ。だって、お姉ちゃんですもの。重たいから、テツくんも手伝ってきてくれる?樹喜は…悪いけれど私と一緒にお願い。舞ちゃんは、絢ちゃんのところに行ってあげて」

 姉様、と恵琉が呟く。

「大丈夫。リンちゃんはとっても凄いんだから。――さあ、急いで」

 一瞬躊躇ってから、舞花と恵琉が船の方へと駆ける。一拍遅れてテツもそれに続く。それを認めたレムズの数体が、動き始めた。

「おいで、リンちゃん!」

 キイン、という音がして園美の手首が光る。小さな黒猫が、太陽の下に躍り出た。

 樹喜も自らのAGDを撫でる。また音がして、そうしてノコギリエイが現れる。

「樹喜」

 園美はレムズから目をそらさぬまま、口を開く。

「――後は任せて」

 そう言うと園美は、駆け出す。レムズ達に向かって。

「園美様!」

 ノコギリエイをそちらに向かって動かし、樹喜も走る。けれども、いつの間にか黒猫と同化して尾を生やした園美の足はただ速く。

「駄目です!」

 ふわりとそよぐ、彼女の髪はただ優しく。

――私、好きな人がいるの。

 そう呟いたあの日の横顔。それはもう見られない。後ろ姿が、揺れる。

「園美様!」

 叫んだその時、だった。不意にAGDが熱を持つ。何だ、と一瞬そちらに目をやる。ノコギリエイが不在のその、AGD。それが、光を放つ。赤い、光。

 その色は、いつか舞花がAGDの中を開いたときにあった、小さな点と同じ色で。

 レムズ達が、一斉に叫び声を上げた。そして、その場に崩れ落ちる。

「…え?」

 そこには、一人の女性が立っていた。ぽかん、と園美はその場に立ち尽くし、呟く。

「おかあ、さま…」

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