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サキムラアキの家にて/三女の呟き

 サキムラアキの家は、教会のすぐ近くにあった。道中のぬかるみには、大きな足跡がまだ残っていた。――レムズが近くに居るのかもしれない。

「ここだよ」

 絢乃の言葉に、樹喜と舞花は顔を上げる。淡い橙色の外壁には、深い爪痕が残っている。その家の横に付いている小さな花壇には、小さな緑色の葉が幾つか顔を出していた。玄関と思しき茶色い扉の横には、壊れかけている小さな板に名が記してあった。『崎村 夏生 美恵子 亜希』と。舞花はそれを見て小さく吐息を漏らした。

「その扉は壊れてるから…裏から入った方が、良いよ」

 絢乃が言い、ぐるりと家を半周した。勝手口と呼ぶのだと彼女は、玄関と真逆の位置にある扉を示した。その扉は、玄関と同様の茶色い色をしていた。ただしこちらは、上から半分以上が削り取られている。よいしょ、と言いながら絢乃が僅かに残る扉の残骸を跨いだ。樹喜と舞花もそれに続く。

 中は、それ相応に荒れていた。壁は水が染みた後があり、床には泥が溜まっている。それでも、生活の痕跡は見て取ることが出来た。大きめな食堂机と椅子があり、その奥には台所がある。床に鍋が落ちていて、その横に見たこともない機械が幾つか並べられていた。お米を炊く機械と、食べ物を温める機械らしいよ、と絢乃が注釈を添える。壁の所々には何か糸細工のようなものが幾つもある。(くも、という生き物が作ったものだと絢乃が再び口を出す)

「二階に、サキムラアキの部屋があるんだよ」

 絢乃は言って、一つの扉を開く。そこの奥には階段があった。

「気をつけてね。着いてきて」

 そう言いながら彼女は階段を昇る。ぎいぎいときしむ音がした。

 そして、昇り切ったところにある一つの扉を開けた。

「――…あぁ…」

 まるでため息をつくように息を吐いたのは、舞花だった。そこは、階下と違い殆ど荒らされては居なかった。若干の埃臭さとかび臭さはあるものの、淡い桃色の寝具や木製の机はそのまま美しい。窓も壁もあるせいだろうか。中はほんのりと温かかった。

「ここが、お母様の家…」

 いとおしむように舞花は机を撫でる。机の上には埃の積もっている書物が幾つか並んでいた。――源氏物語。国語辞典。漢和辞典。赤毛のアン。竹取物語――…。

 ふと樹喜は振り返る。絢乃の姿がいつの間にか見えなくなっている。サキムラアキの部屋の扉は、ぴたりと閉じられている。

「――…絢乃様?」

 え、と舞花が首を傾げる。不意に何か、異臭がした。キイン、という音がして、狭い部屋にノコギリエイとタツノオトシゴが現れた。

「え――?」

『危険だ。脱出する』

 何が、と問う間もなく樹喜と舞花はそれぞれの守り神によって、抱き留められる。ごう、という音がした。ノコギリエイはサキムラアキの部屋の窓を突き破って空に飛び出す。タツノオトシゴがその後に続いた。

「――そんな…」

 ぽつりと舞花が呟く。樹喜も目を見開いた。二体の守り神は空中を揺れたまま、その光景を二人に見せていた。

「絢乃…絢乃は?」

『舞花、動かないで』

 何処か舌足らずな口調でタツノオトシゴが叱責する。それは、尾で彼女を繋ぎ止めている。けれど舞花の身体は何度も揺れた。

 そして、守り神たちはゆっくりとそこを遠ざかる。

「絢乃!絢乃!」

 サキムラアキの家は、赤と橙色に包まれていた。もはや蒼球の日本には殆ど存在しないが、それでもそれが何かぐらいは知っている。――火事。

「絢乃!」

 傷の残る一階部分が、大きく傾いだ。舞花の叫び声が聞こえる。今、絢乃の左腕には守り神が居ない。

「――待て、戻れ!中にもう一人、お嬢様がいるんだ!」

 どうにか助けに、と言いかけた樹喜の言葉はしかしノコギリエイによって遮られる。

『駄目だ。我は、石楠花樹喜を守るために存在している』

「でも中に!」

『駄目だ』

 炎が、視界から遠ざかっていく。

――アヤのこと…嫌いにならないでね。

 絢乃、と妹の名を呼ぶ舞花の声が、ただただ響いていた。



 どうして、と舞花はサキムラアキの家の前で泣き崩れた。

 翌朝のことだった。

 昨夜は守り神達はAGDのなかに還らなかった。危険だと判断されたのだろう。ほぼ抱きしめられるように拘束され、強制的に眠らされた。樹喜は何度かノコギリエイのその肌に歯を立てたが、無駄だった。明け方になって、守り神達は還っていった。あんな状態だったのに、ぐっすりと眠り疲れが癒えていることが酷く情けなかった。起きてすぐに、舞花と樹喜はサキムラアキの家に駆けていった。そして、完全に鎮火したその残骸をただ見つめた。

 真っ黒のそこは、酷い匂いがした。僅かにぬくもりが残っている。落ちていた何かを拾い上げると、ぼろ、と手の中であっけなく崩れる。樹喜はざっとその家の跡を見た。人骨らしきものは見あたらなかった。絢乃は上手く脱出したのだろうか。それとも崩れ落ちた家の部品を全て掘り起こすと、彼女はいるのだろうか。舞花は何度も妹の名を呼んだ。

 昨夜遅くに、恵琉から連絡が入った。園美を見つけたと彼女は言う。樹喜は迷ってから、全てを彼女に伝えた。彼女は暫し沈黙をする。そして、静かに息を数回吐いてから、言葉を紡いだ。

「――分かったわ。お疲れ様。今から、迎えに行くわ。ええと、何か地名が分かるものってあるかしら」

 樹喜はあたりをぐるりと見回し、幾つか看板の文字を読んだ。少し間があってから、分かった、と恵琉が応えた。テツが近くに居るのかもしれない。

「なるべく早く…今日中にどうにか着けるようにするわ。迎えに行くから、動かないで待っていて」

「はい。――あの…申し訳御座いません。絢乃様を…」

 言い淀んだ樹喜に、恵琉は小さく「ううん」と応えた。

「大丈夫よ。大丈夫だから…舞花をお願い」

 はい、と樹喜は応えて、未だサキムラアキの家の跡のまえに座り込んで泣いている舞花に目線をやった。

「…じゃあ、また近くなったら連絡するわ。何かあったらいつでも連絡してね」

「畏まりました」

 樹喜は改めて、家を見つめた。昨夜の恵琉との会話を反芻させながら。

 この家に火を放ったのは、絢乃だろうか。樹喜と舞花を家に案内して、扉を閉めて火を放つ。仮にそうだとして、彼女の目的は。

――二十世紀病。

 樹喜はそれを思い出し、舞花の横に膝をついた。

「何処かで…少し、休憩しませんか?」

 しかし舞花は首を横に振るだけで。

「舞花様」

 再度促すが、彼女はぺたりと座った格好のまま動かない。風が強かった。ぴゅう、と音がする。

「――私は」

 その声は、とても小さかった。風の音に負けそうなぐらいの、微かな呟き。樹喜は舞花の白い横顔を見つめる。唇の端が、少し持ち上がって、そして空気を吸う僅かな音がした。ぱ、というとても愛らしいような音。

「絢乃の言った通り…何も、持っていないの」

「何をおっしゃいます」

 思わず強い口調が出た。ゆっくりと舞花は樹喜に視線を移す。目の周りは赤く少し腫れぼったくなっていた。湿った睫毛。頬をなぞる涙の跡。彼女は軽く目を閉じて、そして首を横に振った。

「ごめんなさい…」

 先程の声より、小さな声だった。囁きよりも、もっと小さな。僅かに音を生じさせる震え。強い音を立てて、風が吹く。舞花の謝罪を絡め取るように。

「樹喜を…好きになって、ごめんなさい…」

 彼女はそう言って両手で顔を覆った。樹喜は瞬きもせずに、ただ彼女を見つめる。

「――舞花様…何を…」

「お姉ちゃんなのに…がまんできなくて…ごめんなさい――…」

 舞花は、ただただ何度も謝罪と嗚咽を繰り返した。樹喜は俯く。

 ややあって、舞花が顔を上げた。そして、小さな声で問う。

「樹喜は知っていたの?」

 太陽は、真上に来ていた。樹喜は答えられずに、ただ彼女を見つめる。

「…恵琉姉様も、知ってたのよね」

 ぽつりと舞花が言葉を零す。

――あの子を、幸せにしてあげてよ。

 恵琉の言葉が、脳内で踊る。そう呟いた彼女の脳裏には、身体の弱い末の妹の顔が浮かんでいたのだろう。

 私は、と彼女は歪んだ声を吐き出す。震えと冷たさの混じる声。

「――私は、気づかないふりをしてしまったの…」

 樹喜は、目をそらす。

「絢乃が…樹喜のことを好きなことを…。気づいてたのに、知ってたのに…気づかないふりをしてたの…。子供の…一時の迷いだと思って――」

 ごめんなさい、と舞花は何十回も吐き出した言葉をまた口にする。

「樹喜――…お願い、絢乃を…」

 彼女の肩は、細かく震えていて。樹喜は自分の足下を見つめる。

「絢乃を、助けて。――絢乃を、幸せにして」


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