教会にて
三人は、どうにか形を留めている四階建ての建物に入った。どうやら元は何かの店舗だったようで、一階の壁には飲み物や食べ物の名前と共に値段が記されていた。窓硝子は壊されているが、室内は外よりは暖かい。舞花は絢乃の服を脱がせ、持ってきていた大判の布を彼女の身体に巻き付けた。その上に樹喜の着ていた上着を着る。
「寒くない?」
大丈夫、と絢乃は頷いた。樹喜はその間に、恵琉に連絡を入れる。絢乃と合流したとだけ、簡潔に伝える。恵琉は安堵の息をついたようだった。
「絢乃がそっちだったのね。――とりあえず、こっちはまだ目的地に着いていないの。一応行ってみようかとは思ってるんだけれど…」
はい、と樹喜は応えた。
「こちらもまだ、予定の場所には着いていません。この先どうするかは…まだ未定ですが…」
「うん。絢乃もいるしね。あんまり無理はしないで。――姉さんはほっといてもいいから、もしもしんどかったら、砦まで戻っていて」
「はい」
「こっちも何かあったら連絡するわ。舞花と絢乃を、頼むわね」
はい、と樹喜が応えて通話は終了する。姉妹の方を見ると、絢乃は舞花の持っていたおにぎりをほおばっている所だった。
「――少し、出てきます」
樹喜がそう伝えると、絢乃は身体を強ばらせた。
「大丈夫です。絢乃様と舞花様はこちらにいらして下さい。――私が全て、確認して、そして片付けてきますので」
舞花が小さく頷く。
「…お願いね」
はい、と樹喜は応えて、その建物を出る。
外はまだ明るい。絢乃の言っていた場所の見当を付けた。赤い屋根の、教会。見回すと、確かに瓦礫の奥に十字架が見えた。そちらに向かって歩きながら、先程の絢乃の言葉を反芻した。
――サキムラアキの家に来るようにって、お手紙が来たの。お手紙は、お父様からだった。そこで待ってるって、書いてあったの。最初は、無視しようと思った。だって一人で外に出るの怖いし…。でも、ソラちゃんが…あ、えっと、アヤの守り神の名前ね、ソラちゃんが守ってくれるっていうから…大丈夫だと思ったの。ソラちゃんは、遠いのに頑張って飛んでくれた。だから、怖くなかったの。だって、レムズは空を飛べないでしょ?うん。それで、サキムラアキの話だよね。アヤはサキムラアキっていう人、知ってたんだ。ずっと前に教えてもらったの。…うん。サキムラアキは、アヤ達のお母様。石楠花咲妃。どうしても見て見たかった。アヤと同じ、二〇世紀病を患ってた人。だから、行ってみたんだ。でも――…お母様は居なかった。…当たり前だよね、だってお父様が蒼球に連れて行っちゃったんだもん。それに、お父様も居なかった。――その代わりに、あの人がいたんだ。
あの人、と樹喜は教会の入り口で、その言葉を頬の中で転がす。躊躇ってから、中へと歩みを進める。室内は、荒らされていた。横長の椅子があちらこちらに散らばって、ただの木材へと退化している。奥には大きな十字架がある。そしてその下。倒された背の高い机の上。そこに、「あの人」は居た。
――あなたの身体から林檎石を抽出したのは誰?分析しているのは誰?
恵琉の問いの答えは、そこにあった。樹喜はゆっくりと「あの人」に近づくと、脈を取る。鼓動は聞こえなかった。彼の胸には深く何かが突き刺さったようにぽかりとした穴がある。それは恐らく絢乃の守り神である天馬の頭に付いていた角が付けたもので。
樹喜は息を吐いて、彼の顔に布を被せた。
(何故、あなたがここにいるんですか?)
――彼女に聞いてみればいかがですか。あなたが彼女の幸せを望むのであれば。そのあなたが望んでいる彼女の幸せが何かを知っておくのも、大切なことだと思いますよ。
そう樹喜に伝えた時の顔が、頭を過ぎる。
「タカギ先生」
無意味と知りながら、樹喜は彼を呼ぶ。石楠花家専属の医者。
樹喜は落ちていた鞄を拾う。タカギ医師のものだとすぐに分かった。いつも屋敷に来るときにぶら下げていた、往診鞄。大量の錠剤が見えた。薬なのだろうか。それから、AGDの情報を読み取る機械が数個(これは問診のときに使うものだ)。医療器具と思しき機械が幾つか。
ふと樹喜は彼の左手首を見る。そして、眉根を寄せた。彼のAGDの被せもの。それは。
(蛇…?)
――あの…春と、こよみさんのAGDが似てる、って思ったことがあって。AGDって、同じものは無いでしょう…?二人とも、蛇だったんだけれど…。
舞花の言葉が頭を過ぎる。蛇。もしかして、と樹喜は微動だにしなくなった医師を見つめる。
「――…あなたも、翠球の人間だったんですか?」
答えは、還ってこなかった。
迷った末に、医師の遺体を教会の裏の畑に埋め、そして姉妹の待つ建物へと戻った。念のため、医師の鞄は持ってきた。薬が使えるかもしれない。簡単に埋葬したことを告げると、絢乃は火が付いたように泣き出した。ありがとう、と舞花が言う。タカギ医師が翠球の人間だった可能性があるということについては、言わずにおいた。絢乃を必要以上に怯えさせるのは良くないだろう。
「さっき、恵琉姉様から連絡があったんだけど、園美姉様の痕跡を見つけたみたいなの」
「痕跡…ですか?」
「うん。姉様が使ってた髪飾りが落ちているのを、見つけたって…」
「――そうですか。では園美様は東の方に…」
たぶん、と舞花は頷いた。
「それと、乗り物を手に入れた、と言ってたわ。蒼球のとは違うけれど…車、と言っていた。それで、私達はここで引き返して良いって。――絢乃、歩ける?それとも一日休んで明日の朝から行こうか?」
舞花の言葉に絢乃は首を横に振った。
「その前に、二人にも見て欲しいの。サキムラアキの家を」
樹喜と舞花は顔を見合わせる。太陽は、ゆるりと終わりの方へ向かって行っている。それでもまだ日没までには、時間があるはずだ。分かったわ、と舞花が頷いた。
「私も見てみたい。行きましょう」
 




