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壊れた船にて(3)

 どうして気づかなかった。どうしてもっと考えなかった。どうして。

 樹喜は無意識に走り出していた。テツも。ノコギリエイもそちらへ身体を捻る。

 けれども。数歩進んだところで、樹喜は足を止める。

 屈んで船の上から姉妹を見下ろしていたレムズが、後ろへ弾け飛んだ。ごん、という音が響く。そうして、倒れ込んだ長の上に、二体の生き物が居る。――否、それは。

「守り神…」

 一体は翼竜だった。大きく広げた翼は深い紺色。長いくちばしは黄色。鋭い鶏冠は朱色。プテラノドン、と樹喜はその姿を見て呟く。恵琉の守り神だった。広げた翼の幅は五メイトルはあろうか。細い身体がその真ん中に付いている。ぎょろり、と向けた瞳は空色で。 どうやら長を押し倒したのは、この翼竜だったようだった。翼で思いっきり押したようである。

 そしてもう一体は、タツ・ノ・オトシゴだった。こちらは全長が大凡一メイトルほど。

薄桃色の身体は、光を浴びてきらきらと輝く。奇妙なのはその体つきだった。ひょろりと長い身体の先はくるりと巻いた尾のようになっている。顔は目が大きく、そして管のような口が付いていた。胸のあたりはぽこりと盛り上がっていて、そこは真珠のような色合いに見える。ひれのようなものが幾つか付いていた。

 体勢を崩したレムズが、ゆったりと起き上がろうと呻く。それと同時に、ノコギリエイの鼻先が、レムズを貫いた。ぐう、と音が響いて、それから宇宙船の天井が崩れ落ちた。絢乃の天馬が壊した穴が、さらに広がる。べき、という音が低く響いた。

『――塩を』

 プテラノドンがそう言い、茫然としていた恵琉が慌ててそれに塩の入った注射器を渡す。プテラノドンはくちばしでそれを受け取ると、その穴に急降下した。タツ・ノ・オトシゴも同様に言い、舞花から受け取った塩を持って、その穴へと降りる。

 ぐがあ、と言う声が、船の中から漏れ聞こえる。そうして、沢山の音が重なる。鈍い音。大きな音。小さな音。繊細なものが割れる音。柔らかな音。数十秒ぐらい経っただろうか。入り口がバン、と壊れながら開き、レムズが転がり出るように外へ飛び出してきた。

 それをおうように天井からプテラノドンが出てきて、扉からはノコギリエイとタツ・ノ・オトシゴが転がり出てくる。

 そのレムズの眉間には一本、注入が終わったと思われる注射器が刺さっていた。しかし、それはまだ動き続ける。ごうごう、と声が響く。

「――塩だけじゃ駄目か」

 テツが呟く。樹喜は出てきたノコギリエイに残っていた塩を全て渡す。ノコギリエイはそれを持ってまたレムズの方へと向かい、突き刺す。それでもそれは、まだ動いていた。苦しそうにはしている。けれども、まだ。こちらを見る目には、明らかな生への執念が見える。

「駄目だ」

 テツが言う。樹喜も、目を見開いた。いつの間にか、自分たちは取り囲まれていた。二十体は居るであろうか。レムズ達が、後方から、前方から。じりじりとこちらを見ている。

 駄目だ、と樹喜も心中で呟いた。レムズに対する塩の数が圧倒的に足りない。ぞわ、と二の腕が粟立つ。あの大きなもの以外であれば、塩は効くのであろうか。仮にそうだとして船の中にまだ塩はあるだろうか。しかしあるからといって、それをどうやって彼らに浴びせるのか。この、一瞬で。

 レムズの作る輪の中には、苦しむレムズと、三体の守り神。そして四人の人間。

(――死ぬのか)

 塩なしに、彼らと戦うのが困難なのは明らかだった。体格の差は歴然だ。そして、恵琉と舞花に戦いが出来るとは思えない。守り神は三体居るが、それらが上手く蹴散らせるかどうかは定かではなかった。どこまでの戦闘能力があるのかすら、分からない。

 死ぬのか、と樹喜はもう一度腹の中でその言葉を呟く。しかしそれは、上手く脳内には染みこまなかった。AGDは何の死の警告も発していない。それは、月油がないせいなのか。

 死とは何だ。眠りの延長なのか。その後はどうなるのか。何一つ、樹喜には分からない。

 その、時だった。

「…あーあ。かっこわるぅい」

 不意に上空から聞こえた声に、樹喜も皆も顔を上げる。そうして、目を見開く。かつて無いほど、瞼が上へ下へと引っ張られて。恵琉が、叫ぶ。

「絢乃!」

 そこにいたのは、絢乃だった。天馬に乗ってこちらを見下ろしている。くすくす、と彼女は笑う。レムズ達も、彼女に視線をとられている。そうして、次の彼女の言葉に更に樹喜達の目は開くことになる。

「――あげよっか。雨塩」

 そう言って絢乃はにっこりと笑った。

「アヤ、持ってるのよ」

 そう言って彼女が手のひらに乗せていた物を示す。それは。

「…何?」

 それは、石の塊のように見えた。色は艶やかな紅。大きさは絢乃の両手に乗るぐらいの。そして、その形は。

 まさか、と呟いたのは恵琉だった。その言葉が耳に届いたのか、絢乃は頷く。

「林檎石」

 ぽかん、と樹喜は口を広げた。何故それを彼女が持っているのだろう。どうやって。

「――あーげる」

 そう言うと絢乃は、その丸い形状のものを空へ投げる。きらり、とその艶めいた表面が太陽の光を反射させる。彼女の下にいた天馬が鳴き声を上げる。こおうううん、と何処か美しい声が、空に響いた。

 その、時。

 空の高いところで、林檎石が割れた。音もなく。ただ唐突に。

 そうして、それは降ってくる。

 粉雪のような。塵のような。細かい粒子。それは。

 ぼんやりとした樹喜を引き戻したのは、ノコギリエイだった。それは、鼻先に樹喜を引っかけて、そのまま船内に引きずり込む。

「おい――…」

『雨塩を浴びるのは危険だ』

 恵琉と舞花、そしてテツも同様に守り神達によって次々に運ばれていく。

 それと、同時だった。空中に舞っていた塩は唐突に、速度を上げる。まるで、極小の弾丸のように、レムズ達を撃ち抜いていく。

 樹喜はただ、それを船内から見ていた。

 そこは、地獄のようだった。

 レムズ達は皆、呻き、泣き、もがく。ぞわ、と樹喜の二の腕が粟立った。叫び声と、うなり声が交錯する。横になって四肢を振るわせるもの。身体を折り曲げて鳴くもの。逃げようと這いずり回りもの。そして、それらはやがて、ただの塊になっていく。

 いつの間にか守り神達はAGDへ戻っていた。――それは、もう命の危険が無いという証で。

 舞花が、何か声を漏らした。絶望したような、声。恵琉の息は荒い。そして、テツも。

 そこに、笑い声が被さる。絢乃の、声。

 びゅう、と風の音がする。あの天馬の能力だろうか。

 時間にすれば、恐らく二、三分ほどの出来事だったのか。その僅かな時間で、生きていたレムズ達は皆、ただの塊になっていた。全てのレムズ達が。そしてそこに残るのは、美しい塩だけで。

「――…絢乃…」

 ふわり、とそこに降り立ったのは末の妹。

「…ほおんと、格好悪ぅい」

 ねえ、と少女は自らの守り神を撫でる。

「あなたあの林檎石を…どうやって…?」

 恵琉の言葉に、絢乃は笑う。

「どおだっていいでしょ」

「でも」

「それより、何か食べるものない?お腹空いちゃって。――あ、食料庫は無事なのね、良かったあ」

 どけて、と絢乃は恵琉を押しのける。

「――絢乃!」

「何よ」

 恵琉を睨んだ目はただ鋭く。テツが何かを言おうと口を開いて、そうして閉じる。

「…無事で良かった…」

 唐突にそう呟いたのは、舞花で。

「は…?」

「だって…。絢乃、薬も食料も何一つ持たずに出て行ったから…」

「莫迦じゃないの?」

 絢乃が、舞花を睨み付ける。けれど舞花は首を横に振った。

「絢乃――あのね、私…」

 言いかけた舞花に、絢乃は鋭い視線を向ける。

「…それ以上言ったら、殺すわよ」

 しん、と静かな沈黙が降りる。恵琉が小さくため息を吐いた。

 まあまあ、とテツが取りなす。

「とりあえず、まあ…絢乃ちゃんが帰ってきたってことで。とりあえず…えーと、レムズを倒してくれてありがとうな。助かった」

 しかし絢乃は首を横に振った。

「終わってないわよ。まだ。全然」

 そう言うと彼女は髪をかき上げる。

「まだレムズは全滅してない」

 そうか、とテツが呟く。

「子供か」

 絢乃は頷く。

「親が居ないからって、死ぬ程度の生き物では無いわよ」

「だったら、さっきのあの塩、あれを集めて…」

 舞花の言葉に絢乃は首を横に振った。

「――アヤも色々確かめたんだけど…。産まれた新世代のレムズには…塩は効かない。例え、雨塩であっても」

 まさか、と呟いたのはテツで。そんな、と舞花が呟く。

「だったら…どうやって…?」

 さあ、と絢乃が小首を傾げた。

「分かんないけど。でもまあ大人になるまでは危険はないんじゃない?いつ大人になるかは知らないけど」

「――ちょっと待って。絢乃、それは誰の受け売り?」

 恵琉の言葉に、絢乃は片眉を上げる。

「どういう意味?」

「あんたの頭で、そこまで分析できるわけ無いでしょう。あなたの身体から林檎石を抽出したのは誰?分析しているのは誰?」

「めぐちゃん。アヤのこと買いかぶってない?アヤは――」

「誰って聞いてるの」

 絢乃は恵琉を見て、そうして小首を傾げた。

「アヤ、わかんなあい」

「――絢乃!」

「食べ物はまた今度にするね」

 そう言って彼女はまた天馬に乗る。

 絢乃、と恵琉がもう一度声を出す。待って、と舞花が手を伸ばしたがそれよりも天馬の方が早かった。するりと彼女はそのまま空へ舞い上がる。太陽が、彼女の陰を飲み込んでいく。

 樹喜はその眩しい光を、手で遮りながら、絢乃の残像をどうにか見ようと目を凝らす。彼女は一度も、自分の方を見なかった。

 そうして、また静寂が訪れる。


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