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末の妹が口を開く(2)


「ごめんね、舞ちゃん。舞ちゃん、樹喜のこと好きなのにね」

 くすくす、と絢乃が笑う。恵琉は状況を把握できないようで戸惑った顔を貼り付けていた。待って、と言ったのは舞花だった。

「…待って。違うでしょう、絢乃」

「何が?」

「私には…遊んでいるようには見えなかったわ」

 舞花の目は真っ直ぐに絢乃を見据える。絢乃は肩をすくめた。

「焼きもちやくのやめてよぅ。舞ちゃんは別に樹喜と恋人でも夫婦でもないでしょ?アヤが仲良くしちゃ駄目なの?」

 そうじゃなくて、と言いかけた舞花に、絢乃の顔が曇る。

「…舞ちゃんの意地悪」

 呟いた言葉は、拗ねた子供そのもので。

「めぐちゃん、舞ちゃんが酷いの!」

 そう言って絢乃は恵琉の胸に飛び込んでいく。恵琉は困ったように絢乃と舞花を見比べた。

「――よく、分からないのだけど…」

「アヤね、起きたら誰もいなくて寂しかったの。でも樹喜が居たから、お話ししてたのよ。そしたら舞ちゃんが帰ってきて…アヤに駄目って」

 ねえ、と絢乃は恵琉から離れて、今度は樹喜の横に座る。その一瞬で、また引いたはずの汗が噴き出た。樹喜と絢乃の距離は僅か拳一つ分。また、触れられるかもしれないという恐怖。

 樹喜は額の汗を拭った。絢乃の言っていることは間違っていない。自分が発作を起こさなければ、特に問題のある話ではないはずだ。それを伝えなければ、と口を開いた瞬間だった。

 パン、と乾いた音が船内に響いた。舞花が肩で息をしている。頬を押さえる絢乃。彼女の手は、樹喜の手の僅か数センチの所にあって。

「――樹喜に触らないで!」

「舞花さ…」

「舞花、落ち着きなさい」

 恵琉が舞花の肩を引かせる。火が付いたように絢乃が泣き出した。

「――絢乃は…全部知っているんでしょう。知っていて、そういうことをするんでしょう」

「知ってるって…何を?」

 恵琉が問う。舞花はその恵琉に押さえられながらも、真っ直ぐに絢乃を睨み付けていた。樹喜が、初めて見る顔で。

 泣いていた絢乃が、不意に笑みを漏らした。ゆらり、と彼女は立ち上がる。口角から溢れたその笑いは徐々に顔全体に広がっていく。

「っふ…ふふ…舞ちゃん怖ぁい、ね。うふふ…あは、あはははっ」

 ねえ、と言いながら絢乃は寝間着のポケットから人形を取り出した。舞花の作った、着せ替え人形だった。

「――アヤ、舞ちゃんのこと嫌い」

 ぽとり、と人形が床に落ちた。そしてそれを、絢乃は躊躇わずに踏んだ。

「だあいっきらい」

 ぞわ、と樹喜の首筋を冷たいものが撫でた。

 絢乃、と言いかけた恵琉に絢乃は笑いかける。

「そう。アヤはねえ、ぜーんぶ知ってるの。ぜえんぶ」

 凄いでしょう、と絢乃は笑った。

「全部…?」

 問いかけた恵琉に絢乃は頷く。

「ぜーんぶ、ね。例えば…えーっとねえ、園ちゃんの好きな人のこととかあ。樹喜が人に触れられると発作を起こすこととか。めぐちゃんの本当の父親のこととか?」

 恵琉の頬がぴくり、と硬直した。絢乃は楽しげに笑う。

「舞ちゃんが毎日書いてる日記のことだって知ってる。恥ずかしいこといっぱい書いてあるもんね。言ってあげようか。舞ちゃんの妄想」

 舞花が顔を上げる。慌てて恵琉が彼女を押さえ込んだ。

 それからね、と絢乃は楽しげに笑う。

「母様が、翠球の人間だってことも…アヤは知ってたのよ」

「――…え?」

「アヤはねえ、ぜーんぶ知ってるの。凄いでしょう?」

 待って、と乾いた声を絞り出したのは恵琉だった。

「――どういう、こと?」

「どういうことって、どういうことお?」

 問いかけた絢乃の顔はただただ笑顔で。

「…だから…翠球の、人間だってこと、が、どういうことかって、聞いているの」

 恵琉の言葉には、僅かな震えが混じっていて。樹喜も、その絢乃のぶれた瞳に恐怖を覚えた。どうして、AGDは作動しないのか。彼女は壊れているはずなのに。

「ねえ、樹喜。アヤの病気の名前が二十世紀病だって…知ってた?」

 樹喜は僅かに頷く。上手くまだからだが動かず、彼女にそれが伝わったかどうかは分からないけれど。

 二十世紀病。それは、二十世紀から二十二世紀ぐらいまでに流行った病だと聞いている。当時は別の呼び方で呼ばれていた筈だが、それを思い出せない。

「…ですが、本当だったのですか?…その病気はもう現代では…」

 樹喜の言葉に絢乃は歯をむき出しにして笑った。

「そうだよ。その病気はもう壊滅した。全ての人間に予防薬が打たれたから。――でもそれは、今から千五百年ぐらい前の話。つまり、母様には、それは打たれていなかった」

「母様?――母様が、何?」

 舞花が問うと、だからあ、と絢乃は面倒くさそうに息を吐く。

「私達の母様は、翠球の人間だったてことでしょう?ほんと舞ちゃんて頭悪ぅい。父様は、えーと、三十年ぐらい前かしらね。翠球から母様を攫ってきたの。誘拐ってやつね。そしてえ、蒼球に監禁して、それで私達四人を産ませたのよ。意味分かる?つ・ま・り、母様はある意味二千年前から来た、過去の人って事ね。だから二十世紀病の予防薬を持ってなかった」

 だから、と絢乃は舞花と恵琉を舐めるように見た。

「アヤたちは、みぃんな二十世紀病に罹る可能性があるってこと。――まあ発症したのは、アヤだけみたいだけど」

 にっこりと絢乃は笑った。そして、AGDを撫でる。

 キイン、と鋭い音がして、そうして目の前には天馬が現れた。首を下ろし、絢乃を背に乗せる。

「待って…どこに行くの」

「――アヤはめぐちゃんだって大嫌いだった」

 恵琉が眉根を寄せる。絢乃は口の端をつり上げて再び笑む。

「アヤのこと、気にしてるんですなんてふりしてさ。偽善者ぶって。結局、逃げたくせに。アヤ達のこと、捨てたくせに。…違うか。元々は、石楠花の人間じゃないんだもんね。めぐちゃんの居場所は、あの屋敷には無いんだもの。…だってあなたの父様は――」

「絢乃!」

 それは悲鳴のような。恵琉の頬が微かに振動している。絢乃は笑いを爆発させた。高い声が船内に響く。

「アヤはあんたを姉だなんて認めない。――勿論、舞ちゃんもね」

 舞花の肩が震える。

「石楠花家の恥さらし」

 小さな唇から、あどけない口調で漏れる言葉に舞花は目を見開く。

「欠陥品だもの、舞ちゃんは。何一つ持っていない。何一つ…持っていないくせに」

 僅かに絢乃の顔が歪んだ。

 樹喜は何かを言おうと口を開く。しかし、絢乃の動きの方が早かった。

「ばいばい、姉様達。――化け物に食われて死んじゃえ」

 そう言うと、絢乃は天馬を促した。

 待って、と叫んだのは恵琉だった。

「待ちなさい絢乃行っちゃ駄目!――行かないで!」 

 けれども天馬はそのまま、跳躍して船の上を突き破る。

 バン、と固く広い音が響いた。天井の破片が雨のように落ちて来る。

 舞花と恵琉の小さな叫びが響いた。樹喜はそのまま左腕を突き出す。

 ぱさ、と何か紙が動くような音がした。それと同時に、樹喜の守り神が出現する。大きな身体が庇うように姉妹と樹喜の上に広がる。

「…大丈夫ですか」

 問うと、恵琉が青ざめた顔で頷いた。舞花は黙ったまま、その場に座り込んだ。船の破片の雨が降り終わるのを待って、樹喜達はノコギリエイの下から出る。

 あぁ、と舞花が呟きを漏らした。破片の隙間に、踏みつぶされた着せ替え人形が潰れて、落ちていた。

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