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末の妹が口を開く(1)

 翌日は、気持ちの良い晴れだった。樹喜の体調も簡易検診の結果「九十八」まで戻っていた。逆に絢乃は体調が悪いといい、眠り続けている。

 舞花と恵琉、そしてテツは守り神の呼び出しを試みると言って外出した。何故かアオイもそれに着いていく。樹喜も行こうかと思ったが、病み上がりであることと絢乃の看病が必要だと言うことで船に留まった。

 居間は、しん、としている。よく考えれば、と樹喜は思う。一人きりになったのは久しぶりだ。厠や風呂は一人だが、それでも扉の向こうからは誰かしらの声が聞こえてきたものだ。屋敷に居たときは、個室があったので一日の内一人になる時間は必ずあったのだが、絢乃が隣室で寝ているとはいえ、この船に乗ってからは初めてだ。

 静かな部屋は、白に似ている。耳を澄ませば、僅かな陰や汚れが聞こえるのだけれど、ただぼんやりとしていると、それはただの白なのだ。

 ぼうっと長椅子にもたれて天井を見つめた。深く息を吐き出す。この数日間で、あまりに色んな事があった。船に乗り込んだこと。そして、姉妹達と宇宙を彷徨ったこと。テツと出会い、そしてレムズの存在を知った。AGDのノコギリエイが動き、園美が船を下りた。あの時聞こえた、園美と恵琉、晃一郎の会話はこのノコギリエイが聞かせたのだろうか。それから、船に乗るときの針も。

 一体、AGDとは何なのだろう。そもそも鎖国をして久しい国で使われる機械が何故アルファベット表記なのか。そして、謎の守り神。一体これは何のためにひとりひとりに与えられたのだろう。自衛目的なのだろうか。けれど日本帝国に、その必要はあるのだろうか。完全なる鎖国体制を敷いているのは間違いない。機械技術は完全に世界の頂点だと言われている。――いや、と樹喜は身体を起こした。何かおかしくないだろうか。鎖国をしているはずの日本が、何故世界の頂点だと分かる?他国の情報を、どうやって仕入れているのだ。そもそも何故、鎖国をする必要があった?

 確か大昔――現在の翠球よりももっと昔の、江戸時代だっただろうか。その時にも鎖国は行われていたと言われていた。当時は宗教に関わることが理由だったと習った気がする。では、今回の鎖国の理由は?そもそも江戸時代と違い、帝歴に入る直前までは世界を歩き回ることが簡単にできた時代だった。身体ごと移動することも可能だったし、情報回線を通じて接触をすることも出来た。それによって、利潤を受けた企業もあったと聞いていた。戦争が起こったこと、また移民の大量受け入れにより国土が荒れたことも一つの理由だろう。けれど。

 何かおかしい、と樹喜は考える。日本帝国の独占する帝星及び月油。国民が産まれたときから装着を義務づけられるAGD。そして。何故今まで翠球が気づかれなかったのか。日本帝国に限らず諸外国も何度も宇宙の探索をしていると聞いていた。太陽に隠れていたとはいえ、見つけられなかったのだろうか。

 そして、翠星に情報をもたらしているものは誰なのか。樹喜達が来るということ。レムズの生態。

 不意に、誰かの視線を感じて顔を上げた。寝室の入り口。そこには絢乃が居た。細い肩紐の袖のない寝間着を着ている。とろりとした瞳。裸足の足。

「おはようございます。起きていて大丈夫ですか?何か、お召し上がりになりますか?」

 そう言って、樹喜が立ち上がった瞬間だった。絢乃は、笑った。頬と口元だけで。一瞬その潤んだ瞳に、樹喜は悪寒を覚えた。ぞく、と首の後ろが粟立つ。

「樹喜は…アヤの味方?」

 その言葉は、何処か甘美な響きを備えていた。樹喜は目を瞬かせる。味方というのはどういう事だろう。そもそも敵というのが誰なのか。絢乃は笑いを浮かべたまま、樹喜に近づく。樹喜は思わず後ずさり、そして長椅子にとすん、と腰掛ける形になった。

 分かってるでしょう、と彼女は言った。何が、と問う間もなく彼女は口を開く。

「――樹喜。アヤは…樹喜が好きだよ」

 どん、と脳内で音が響いた。身体全体の皮膚に、ざらざらとした鱗のようなものが触れる感触がした。絢乃が、座った樹喜の上に対面に座っていた。彼女の指先が、樹喜の頬に触れる。

「樹喜」

 駄目だ、と思った。太股に感じる、絢乃の細い太股の圧力。二の腕に触れる、絢乃の肘。頬を包む手のひら。鼻に降り注ぐ甘い吐息。そして、唇に触れた、彼女の唇。

「アヤの味方、だよね…?」

 そう言って彼女は身体を擦りつける。どこに何が触れているのかは、もう分からなかった。さあっと身体全体の熱が放出される。AGDが震えているのが分かった。絢乃の髪が、指が、身体が、身体の端々に触れては離れるを繰り返す。波のようだと思った。寄せては返し、そしていつしか飲み込まれる。溺れる。沈んでいく。

 押し返さなくては、と思ったが自分の腕がどこにあるのかが全く分からない。視界は既に真っ暗で、ただただ、身体の表面を汗と絢乃の皮膚が伝っていく感覚だけがある。唯一クリアなのが聴覚で、唇が触れる音と、絢乃の呼吸の音をしっかりと拾っていた。

「アヤと一緒に来て…」

 脳みそはこの状況でもきちんと言葉を受け取って処理をしているようだった。どこに、という問いが浮かぶ。

「一緒に行こ?――サキムラアキの家に」

 え、と漏らしたように思えた声は、果たして絢乃に届いたのだろうか。

「絢乃!」

 悲鳴のような声が被さって聞こえたのは、その時だった。

「なに、してるの…絢乃、やめなさい!」

 舞花の声だ、と思った。耳にねじ込まれた声が、徐々に脳を暖めていく。ようやく目の前がぼやけながらも見えてきた。気づけば既に絢乃は離れていた。舞花に抱きかかえられるように、目の前に居る。ようやく四肢の感覚も戻ってくる。

「ただいま。テツは工場を見てくるって――…どうしたの?」

 戸惑ったような、恵琉の声が聞こえる。

「――何かあったの?」

 一瞬しんとした船内を、笑いで埋め尽くしたのは絢乃だった。

「ふふ…あははははははははははっっ」

「…絢乃…?」

「なあんにもないよ。ちょっと樹喜と遊んでただけ。ねえ、樹喜」

 樹喜は茫然と絢乃を見つめる。どう答えて良いか分からず、ただ彼女を見つめることしか、出来なかった。


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