戦いの前に(1)
「そうか…この管で体内と繋がってるんだな」
「そう。大体一週間に一回ぐらい、血液検査が自動で行われる。だからもしかしたらこの部分を使えば…雨塩を出せる、かもしれない」
朝食後の机では、テツがAGDを眺めている。
樹喜の言葉に、成る程、とテツが頷いた。凄いな、と呟く。先程船内を案内した時にも、何度もその言葉を繰り返した。厠から浴場の温泉霧、食事や衣類。何もかもが過去とは違うらしい。厠の使い方が全く分からなかったらしく、説明をしたときには酷く狼狽したようだった。
テツは眉根を寄せる。
「俺に医療の知識があればな。ちょっと腹んなか見せてもらって林檎石を取り出せるんだけど」
さらりと言った言葉に、舞花が顔を強ばらせる。
「冗談だよ。流石にそこまでは出来ない」
横で船に積んであった塩を水に溶かして注射器を作っていた恵琉が首を傾げた。
「でもそういうことよね。一度入れたんだもの。どうにかして出せば良いんだわ」
「ちなみに、どうやって林檎石を入れたんだ?開腹手術とかそういう?」
「かいふく…ああ、お腹を開けたってことね。いいえ、そんなことはしないわ。AGDに林檎石の素になる物質を入れて、体内で組み立てて…そこに雨塩を入れたと聞いている」
「…成る程。どうにかして出す方法はあるのか?」
「それこそお腹を開ければ良いのかもしれないけどね。でもどこにどうやって入ってるのかは…私にはさっぱり。まあ私が死ねば、好きにほじくって探して頂いて結構だけれど」
「姉様…!」
「恵琉様そんな――」
「勿論、死なないわよ。ものの例えよ。――そう。あなたにも言っておくわ。私達五人は絶対に死なないからね。悪いけれど犠牲になると言う選択肢はないから」
恵琉の言葉にテツは一瞬呆気にとられた顔をして、それからくつくつと笑った。
「――分かってるさ。俺だって誰かの犠牲の上に勝ちたいなんて思ってねえよ。それより、この…えーと、AGDで入れたんならAGDで出したりは出来ないのか?」
「AGDね。それがね、今これ…動かないのよね」
「動かない…?」
「月油というのが今の蒼球の燃料なのね。これが空気中に飛散していて…それで色んなものが動いているんだけれど。こちらにはないわよね?一応、船内に少しは積んであるんだけれど…」
「そういうのはないな。動かしてもらえるならそれに越したことはないけど…どんくらい使えるんだ?」
「どういう計算方法なのかは分からないけど、一応一年分。ただ私達はどうにかしてこの戦いが終わったら帰りたいと思っているの。――その帰りの燃料を考えると…出来れば僅かでも使いたくないわね」
恵琉の言葉にテツは頷いた。
「それは、月油でしか動かせないのか?」
「…どういうこと、ですか?」
問うたのは舞花で。テツは舞花に頷いてみせる。
「えーと、今翠球では電気っていうものが、ものを動かすエネルギー…えーと、原動力だ。電力を溜めた電池っていうものなら、俺も幾つか持ってる。後は…えーと、太陽光発電っていうのもある。この懐中電灯に付いてるんだけどな。んで、もしもその力でその、AGDを動かせるんならそっちの方がいいだろ。レムズを倒したけど帰れない、じゃ嫌だろうし」
樹喜は頷く。それはそうだ。蒼球には帰れないにしても、せめて帝星には行きたい。この荒廃した地で長く住めるとは思えない。
「これって解体出来んのか?」
樹喜はぎょっとして息をのむ。何て言うことを言うのだ、と思う。
「AGDの解体及び改造は禁止されていて――」
「誰に?」
そう問われて樹喜は首を横に傾げた。
「――…日本国に」
「蒼球の、だろ。ここで解体して中を確かめたからって警察がわざわざ来てくれるのか?」
「いや、でも――」
「むしろ来てくれた方が助かるけどな」
テツの言葉に樹喜は目を瞬かせる。彼のその思い切りの良さは、この環境がそうさせているのだろうか。
「工具は多少持ってきてる。といっても携帯用の小さい奴だけど」
彼はそう言うと、腰に下げた小さな鞄から幾つかの鉄製の道具を取り出した。どれもさほど大きくは無い。
「――これは…」
舞花がぐいっと乗り出してそれを見た。
「もう未来にはないのか。ネジなんか世界一の発明品とか言われてたんだけどな。こっちはドライバー。プラスとマイナスがある。これがネジと釘。それからこっちがペンチとピンセット」
「凄い…教本で見たのと一緒…」
舞花の言葉で樹喜も少し記憶を取り戻した。確かに昔の家や道具作りにこういったものを使ったと習った気がする。
「一緒にやる? えーと、舞花ちゃん」
親しげなテツに、舞花は一瞬ぴくんと身体を強ばらせ、それからこくんと頷いた。
こういうのが、好きなのか。と樹喜は舞花の真剣な横顔をちらりと見る。縫い物や紙細工などが好きなのは知っていたが、こういったどこか粗忽なものにまで興味を持っていたとは知らなかった。そこまで思って、ふと自分は何も知らないのだなと気づく。樹喜の中で彼女はいつも俯いていて、そして指先を細かく動かしているだけの存在だった。
色々と説明を受けながら手を動かす舞花を暫く見た後に、樹喜は顔を上げる。ふと、長椅子を見ると絢乃が一人で寝ていた。園美と、そしていつの間にか恵琉の姿も見えない。
「…?」
辺りを見回すと、寝室の方で何かが揺れる気配がした。そして、低く囁くような声も。
あぁ、と樹喜は安堵の息を吐く。二人は寝室にいるのか、と思った、その瞬間、だった。
パチン、と何か乾いた音が響いて、それから声が聞こえた。
「――次もしそんなことを言ったら…絶対に…っ…わたしは…!」
そして押し殺したような泣き声。舞花とテツも顔を上げて寝室の方を見ている。絢乃はまだ寝ていた。
「…園美姉様…?」
舞花の不安げな顔に、様子を見てきますといって樹喜は寝室へと向かう。
「――お嬢様、あの…」
のぞき込むと寝室の寝台の上で園美が泣き崩れているところだった。その横にいた恵琉は、何処か疲れた笑みを樹喜に向け、立ち上がる。左の頬が、少しだけ赤い。
「…後は頼むわね」
恵琉はそう言い残すと、寝室を出て行った。ばたん、と扉――恐らく操舵室――が閉まる音が、ややあって聞こえた。
樹喜は戸惑ったまま、寝台の上の園美を見つめる。視線を感じると、後ろの方で舞花が不安げな顔を向けているのが分かる。軽く頷くと、樹喜は寝室の入り口を隙間が空くように閉じた。たぶん、妹たちには見せない方が良いだろう。
「――園美様」
手で覆った顔の隙間から、園美は言葉を絞り出す。
「――…あの子が…言うの…。お父様は…このことを知ってたんじゃないかって…」
樹喜は眉をひそめる。
「…蒼球で…林檎核の爆発があるのと…こっちで…林檎石が必要って分かって…それが…同時なんて…おかしい、って…」
うう、と園美は何度か嗚咽を漏らす。
「そ…それに…、林檎石を持ってる、人なんて限られてるんだから…大々的にして…避難したって、なんの…問題もないのに…内密になんて…変だって…」
樹喜は息を詰める。確かに恵琉のいうことは一理ある。
「――ですが、晃一郎様がそれを知っていたというのは些か…」
「そうよね?ただの…ただの偶然よね?それか…そうよ、もしかしたらお父様も…誰かにだまされて…」
樹喜は頷いて見せたが、しかし騙されたというのは可能性は低いような気がした。晃一郎は酷く慎重な性質だと思う。万一林檎核の爆発の話があったとするのであれば、気が済むまで調べるであろう。信頼出来る機関や人間に依頼するなど、造作もない事なのだ。特に、娘達を溺愛しているとも言える彼が、彼女たちに関わることをじっくりと考慮しないというのもあり得ないだろう。とはいえ偶然で済ませられることだろうか。
そうよね、ともう一度言って園美は笑んだ。
「そうに決まってるわよね」
樹喜はただ、そして視界の端で僅かに笑う園美を、どこか空恐ろしい気持ちで見た。彼女の瞳は酷くぶれている。それが先程流した涙のせいなのかは、分からなかった。




