そして、着陸(3)
テツは息を吐いて、そしてぽかんとした顔の姉妹達の前で話を続ける。
「“青の人”と“緑の人”というのがその子どもだ。青の人、というのが蒼球を作ったと言われている。創世主。とかそういう存在だな。そして少し…といっても二千年後だな。――その創世主の感覚では少しなんだろうな。で、少し遅れて緑の人は青の人と全く同じ星を作った。それが、翠球だ」
「…同じ星?」
「そう。蒼球と全く同じ動きをする星だ。二千年の時差はあるけど、同じように発展してきている。水の一滴、雲の一端。全てが、同じ風に動く」
「――雲の一端」
うん、とテツは頷く。
「命もそれは同じだ。全く同じように後を追ってる」
待って、と声を上げたのは恵琉だった。
「ええと…蒼球で二千年前に生きていた人が、今この翠球にいる。そういうことになるのかしら?」
「そうだ。人だけじゃない。動物、植物。全てが二千年の時差はあるものの蒼球と同じだ」
莫迦な、と樹喜が漏らすが、テツは首を横に振る。
「レムズさえ来なければ、二千年後のこの翠球に、あんた達も存在するはずだ」
「それを知っていた人は?」
「いない。蒼球はそれを知らないんだろうから。そもそも知っていたら、それは蒼球と同じと言うことにはならない。翠球に住む人々は、ここが唯一無二な存在である地球だと信じていた。まさか太陽の反対側に二千年後の未来が待っているだなんて考えずに」
「けれどあなたは知っている」
「そう。知っている。――でもそれはレムズが攻めてきたからだ。そうでなければ俺たちだってここが蒼球ではなかったなんて知りようがなかった。…蒼球の方には、レムズは来ていなかっただろ?」
樹喜は頷く。少なくとも文献には出ていない。レムズって?と問うた園美に、樹喜は先程の怪物のことを簡単に話して聞かせた。
絢乃が怯えて、泣き始めた。園美が慰めたが、それでも彼女の涙は止まらない。
「この星の話は大体分かってもらえたかな。次、レムズの話をもう少し詳しくしよう。ええと…一九九九年。恐怖の大王が降ってくる、とかいう予言は…そっちの世界ではもう忘れ去られているかな。蒼球には、それは来なかった。でも、翠球には来た」
「それが…えっと、レムズ?」
うん、とテツは頷く。
「それが、レムズの素って呼ばれてる。レムズの素は、何らかの手段で…今のレムズ達を生み出した。とはいえ奴らも最初は、もっと小さかったらしい。手のひらに乗るぐらいかな。さほど悪さをするわけでもなく、森の奥深くや海の底で静かに暮らしていた。――誰も気づかなかった。けれどいつの間にか奴らは、強大な力を持ち始めた。あいつらの繁栄は兎に角早い。一組のレムズを一緒にしておくと一日経つ頃には孫の代まで産まれているっていうぐらいだ。そうやってあいつらは発展してきた。どんどん大きくなりながらな。分類としてはほ乳類に近いと言われている。母の胎内から産まれるみたいだからな。昔は半日ぐらいで次世代を産んだみたいだけど、今はそんなんでもない。だいたい半年に一回子供を産むぐらい、だったかな。んで、子供が成長して成獣になるのに半年ぐらい。主食は主に肉。魚も動物も人間も、何でも食べるけど――好んで食べるのは人間だ。あまり木や葉なんかは食べない。力は強い。顎と歯が丈夫でコンクリートとかも食いちぎる。食べはしないけどな。さっき見たとおり、身体は長めの毛が覆ってる。皮膚はそんなに硬くはないみたいだ。えーと、それから…巣のようなものは殆ど作らない。子供を産むときぐらいかな。一ヶ月ぐらい一定の場所に留まってそこで食事やら破壊をして…一通り食べ尽くしたら移動する感じかな」
「――ちなみにどうやって戦うのかしら?何か武器で?」
テツは首を横に振る。
「爆撃が主な対応手段だった。――が、それが使えなくなった。あいつらの毛がやっかいなんだ。衝撃を受けると、固く鋭くなる。それこそ、ダイヤモンドみたいにな。爆弾やら銃やらを使っていたがそれはつかえなくなった。後は火も水も駄目だ。あの毛が守ってる」
ただし、とテツは言う。
「レムズは、塩に弱い。それが最近分かってきた」
「塩…?」
「そう。とはいえ表面からじゃ駄目だな。身体の中に入れるんだ。口やなんかの穴から体内に入れると…縮む」
先程の光景を思い出しながら、樹喜は頷いた。
「でも、海の底にいたって…」
「うん。毛が上手いことカバーしてるみたいだ。後は、あいつらは海に入るときに、木の皮で身体を覆う。それでも塩から身を守っているらしいな。――もっとも、それが分かったときには解析する機関も人間ももう少なくて…科学的な解明は結局されてないんだけどな」
「塩があればいいのね?」
園美が問い、テツは頷いて、上着の内側から何かを取り出した。それは奇妙な形をしたものだった。短い容器に鋭い針のようなものが着いている。
「知らない?そうか。これは注射器、っていう。皮膚に穴を開けて中の液体を注入するんだ。中には濃度の高い塩水を入れている。で、それを刺したってわけだ。元は銃とか吹き矢とか…色々使ってたんだけど、結局無駄打ちになることが多くてな。なんだかんだでこっちの方が効率がいい。ただ、危険だけど」
「塩でなくてはいけないの?」
テツは頷く。
「砂糖とかも試したけど、駄目だった。浸透圧がどうとかっていう奴も居たし、なんかこう…清める力があるとかっていう話もあったけど…それもどうなんだかな」
「塩なら、船にも少しは積んであるわ」
手を胸の前で園美が叩く。テツは少し困ったように笑った。
「使わせてもらえるなら有り難い。ただ、レムズ達はどんどんと身体を大きくして――進化している。もう、薄い塩水では効かないんだ。この先を見据えるならもっと強い塩水を注入する必要がある」
「もっと強い塩…」
呟いて、そうして樹喜は顔を上げる。
「雨塩…?」
ぽつりと樹喜は呟いた。千年ほど前から、蒼球に降る雨には僅かに塩気が混じる。これは大気圏付近で爆発した塩混隕石と呼ばれる隕石によるものだ。爆発した当初は濃度がかなり濃く、全世界で問題になったが今では殆ど落ち着いてきている。その雨に含まれる塩分のことを、雨塩と呼ぶ。地域によっては高級調味料ともてはやされているらしい。そして純度の高い雨塩は、毒癌の予防になるとの見解が出た。それを“予防接種”とさせたのだ。――もっとも、ある日突然それは廃止になったのだけれど。それを伝えると、テツは頷いた。
「雨塩っていうのか。それが…えーと、身体の中に入ってるんだな?」
「そう。林檎石の中に」
「…林檎石?」
樹喜は頷いた。また説明を続ける。林檎石というのはあくまで入れ物に過ぎない。赤くて丸い球体なので林檎石と呼ばれている。その中に雨塩が入っている。毒癌に冒されると、人の体内では癌菌と呼ばれるものが発生する。癌菌は林檎石を溶かす。その林檎石が溶けると、中に格納されていた雨塩が出てきて、その雨塩が癌菌を滅する。というのが仕組みだった。
「そうか…それが…そうなのか。それが、アオイの言っていた薬なのか?」
「…アオイ?」
樹喜は問うて、ちらりとろぼっとを見る。確かこれをアオイと呼んでいなかったか。
「さっきの予言だ。――二○二○年九月。救いの人間が、蒼地星球からやってくる。彼らは特殊な物質を持っており、それは侵入者を絶滅させるだろう――って感じだったかな」
待って、と言ったのは恵琉だった。
「――予言、というのは?」
テツは頷く。
「こいつが色々と予言をするんだ。予言者、と言われてる」
「…どういうこと?」
恵琉が問うと、テツは少し困ったように笑った。話が長くなるかもしれないけど、と前置きをしてから口を開く。
「こいつは、レムズが確認される少し前から急に話題になってたんだ。テレビやネット――えーと、メデイア…も駄目か。えっと、情報発信の場所、でいいかな。分かるか?――とにかくそこで、“予言をするロボット”として一気に有名になった。まあ実際は誰かが予言をしていてそれをアオイに言わせてる、っていうのが大半の見方だったけど。芸能人のゴシップや天災、スポーツの勝ち負けやスコア、事件や事故までを…大体…そうだな、八割方当ててた。一時はヤラセじゃないかって言われてたけど、それにしては海外まで含めて当てすぎてるぐらいだった。その頃から、アオイは例の――青の人とか緑の人とかの神話を話し始めてた。最初は童話とかファンタジーだと言われてたけど…レムズの存在が確認されて、レムズの出現範囲や数なんかを予言するようになると、それが真実だという見方がどんどん強まってきた」
樹喜はちらりと動かなくなってしまったロボットを見た。ふうん、とやや訝しげに恵琉が呟く。
「最終的には政府も含め、全世界でアオイのことを信じるようになってきた。アオイが予言を公表してたのは主に動画サイトだ。――ああ、分からないか。えーと、パソコンとかスマホとか…とにかく、そういう通信機器を持っていれば誰でも見ることの出来る場所だ。全世界の人間が見ることが出来る。そこでアオイは情報を発信し続けていた。日本語で予言をするんで、日本の何処かにいると言われてたけど…誰も真実は知らなかった。でもある日、アオイは現実世界に来た。一年前のことだ。――その頃には、メディアはほぼ全滅してた。何しろ電気の供給が止まってしまったからな」
そう言ってテツは、ぐるりと部屋を見渡した。船の中は明るい。暖かな蜂蜜柚子水をすすって、テツは言葉を続ける。
「その頃には幾つかの砦が町のそこかしこに作られてた。何しろ家も殆ど壊されてたから、瓦礫や残った地下室なんかをそうしてた。備蓄の食料はあっという間に底をついて、当初されていた配給もいつしか途絶えた。悲観して自害した人もいた。特に小さい子連れの家族の心中は幾つも見たな。どうやら人間ていうのは結びつきが強い相手が居ればいるほど、死を選ぶらしい。――…ああ、話が逸れた。アオイの話だったな」
テツは少し疲れたように口角をあげた。絢乃が目に涙を浮かべて園美の腕に抱きつく。
「俺は、ある砦にいた。ええと、恵琉ちゃんと舞花ちゃん、あと、執事さん。三人は見てるかな。あの工場の中にあったんだ。あの工場は元々製パン工場でね。大量の小麦粉や水があったから、とりあえず食うには困らなかった。海も近いから魚を釣ったりもしてね。そこには大体…そうだな、四十人ぐらいの人間がいた。小さい子もいた。五歳の双子の子とかね。そこに、アオイが来たんだ。突然すぎて、最初は何かの罠かと思ったよ。まあ何にもなかったんだけど。で、さっき言った予言を突然言った。――二○二○年九月。救いの人間が、蒼地星球からやってくる。彼らは特殊な物質を持っており、それは侵入者を絶滅させるだろう――っていうやつ」
園美が小さく頷いた。顔色は余り良くない。舞花も顔を強ばらせている。
「…とりあえず、話は以上だ。翠球と蒼球の話。レムズの話。アオイの話。――…うん、以上だ」
テツは呟き、姉妹達に向き直った。そして立ち上がると、地面に膝をついた。そして、額を床に付ける。樹喜達にはその行為が何を意味するのかは分からない。しかし、酷く真剣なのは分かる。
「どうか力を貸して欲しい。――助けて欲しい」
「――どうすればいいの?」
テツは顔を上げる。そして、そのまま座った格好になって息を吐いた。
「…正直やり方は…これから、考えるしかない…んだが」
「そもそも、レムズって凄く沢山居るんでしょう?そんなに沢山雨塩は――」
テツは首を横に振る。
「と、思うだろ。でも実はレムズはさほど数は居ないんだ。増減はしてるけど…三十ぐらい、と、アオイは言ってる。絶滅危惧種に認定されるぐらいの数だ。で、その全部で群れを作ってる。で、各地を回ってるんだ。ここ日本には、一週間ぐらい前に上陸してきた。たぶん、この辺り一帯を全て破壊したら…また別の地に去っていくんだと思う。その前に、あいつらを壊滅させる必要がある」
「別の地…というと、別の国ということかしら。まだこちらは鎖国もしていないし、硝子で覆われても居ないのよね」
「硝子?よく分からんけど、外国には海か空を使えば問題なく行ける。あいつらは海を使ってるな。んで、そうやって世界をぐるぐる回りながら成長している。レムズを認めてから、日本には過去二度来たことがあるが、その時はまだあんなに大きくなかった」
「今回が…三度目の来訪ということ?」
そう、とテツは頷いた。
「もしも四度目が来たら…もう完全に日本…つーか世界は終わりだ。そうしないためにも…ここで仕留める必要がある。他の国が頑張ってくれりゃいいんだけどなあ…」
それで、と樹喜は言葉を出す。
「――ここに僕らを呼んだのは一体だれなんだ?」
え、とテツは言葉に詰まる。そして、ちらりとアオイの方を見て彼は問う。
「…誰なんだ?」
不意に、ギギギ、とアオイがこちらに顔を向けた。きゃ、と絢乃が声を上げる。
「あナた達ヲ呼んだノは、緑の人デす」
僅かに甲高く、耳障りな声だった。逆にそれが不気味さを増させる。緑の人、と舞花が繰り返す。
「緑の人ハ、哀しんでイます。翠地星球ガ、蒼地星球ヲ追えナいことヲ。なのデ、あなたタちを呼びマしタ。レムずヲ倒し、翠地星球ヲ再び――…」
そこまで言って、ろぼっとは動きを停止した。ここまでだな、とテツが呟く。
「どうもバッテリー残量がヤバいみたいで。一回一回の起動時間が短いんだ」
樹喜は息を吐いた。
「レムズを倒せば…蒼球に戻れる?」
「必要ならば出来る限りの手助けをする…。といっても俺には何の知識も技術もないんだけど。たぶん緑の人がなんとかしてくれるんじゃないかな。それにレムズを倒した人だと分かればたぶん、諸外国からも援助を受けられると思う」
恵琉はじっとテツを見る。
「日本国の生き残りは…まだ居るのかしら?」
「――…この一週間の襲撃で、知る限り、最後の砦が破壊された」
つまり、と恵琉は言う。テツは頷いた。
「俺の知る限りは…少なくともこの東京には、もう誰もいない。俺で、最後だと思う」
園美が首を横に振って息を吐く。舞花はぎゅうと両手を握りしめた。
「――何とかしてあげたいけれど…でも…」
「何とかしてあげたいじゃないのよ、舞花」
そう言ったのは恵琉で。
「何とかするの。どちらにしても私達はここに流れ着いてしまった。このままだと私達だって危ないわ。原因や過去を突き止めたってどうにもならない。この先のことを考えましょ?」
「恵琉姉様…」
にっこりと笑って言葉を引き継いだのは、園美だった。
「まずはAGDよね。これがどうレムズに対抗できるのかを考えましょう。――その前に、朝ご飯にしましょうか。あなたも食べて行きなさい。もう、砦はないんでしょう?」
園美の言葉に、テツは頷いてもう一度頭を下げた。それから一筋だけ涙を零す。感謝する、とそう呟いた声は少しだけ震えを含んでいるように聞こえた。




