そして、着陸(2)
「――ここはもう一つの地球だ。正確に言えば、翠地星球。ちなみにあんた達の故郷は蒼地星球」
樹喜達は振り返る。丁度入り口の所に、男が一人座っていた。がっしりとした体つき。黒い髪は短く、瞳はじっと樹喜達を見つめている。
いつの間に後ろに来たのだろう。全く気づかなかった。樹喜は拳を固める。船の中には園美と絢乃が居る。男をそちらに行かせるわけには行かない。
ふうん、と男は呟く。
「擬態機能が付いてるんだな。良いねえ」
ちらりと船の方を見やりながら呟く。船の表面には薄い膜が張ってある。周りの風景や色を関知して、同化させる機能だ。今は船の上部は青い空が、下部には黒い瓦礫の模様がある。帝星にいる家畜を驚かせないための機能だと聞いたことがある。樹喜はじっと男を見る。
不意に、がちゃんがちゃんという音が聞こえて、樹喜はそちらに目をやる。そこには、筒状の何かがあった。樹喜は眉根を寄せる。その筒状の身体には、錆びた風合いの丸が幾つか、まるで顔のように着いている。底には小さな車輪があって、手のようなものが左右に着いている。昔絵本で読んだ旧式の「ろぼっと」に酷似していた。褪せた水色の身体のそれは、ぎりぎりとこちらを見ているように見える。
くつくつと男は笑う。年齢は恐らく二十歳前後だろうか。背は樹喜よりも少し低いぐらい。灼けた肌がいかにも健康そうに見える。
「俺はテツ。んで、こっちはアオイ。えーと、とりあえず自己紹介して貰おうか。あんたらと…それから、中に居る子達と」
あ、と声を出しかけた舞花を樹喜は手で制した。分からないことが多すぎる。目の前の男が敵なのか味方なのか。ここは何処なのか。
「そんな警戒されても困るなあ。そもそも、警戒したって何の意味も無いって。未来の人間なんて怖くない。遙か昔…原人から遡れば力だけでも何十分の一以下になってる。便利な世の中っていうのは人間を劣化させる。――思考能力も体力も全てが退化してる」
樹喜は男――テツをじっと見る。未来の人間、と彼は言った。逆に言えば、つまり彼は過去の人間であるということになる。
(だとすれば、やはり時間移動を)
あり得ない話だが、しかしつじつまを考えればそういうことになる。先程男が蒼地星球だのと言っていた。それは過去と未来ということなのだろうか。
しかし、それよりも。
(お嬢様達を、危険に晒すわけにはいかない)
恐らくこのまま向かっていったところで勝てないのは、火を見るより明らかだ。身長差では勝てるかも知れないが、体重は確実にあちらの方が重い。声を上げるまで気配にも気づかなかった。場慣れしているのは間違いない。しかしだからといって、無条件降伏をするほど愚かでもない。
不意にテツが声を漏らした。
「あぁ」
そして彼は立ち上がる。樹喜達の奥を見つめて、そして少し笑った。
「――来たな」
樹喜は顔と身体を動かさないまま、瞳だけで彼の視線の先を見る。そして、息をのむ。
数十メイトル先。そこには、薄桃色の巨体があった。毛が長い。二つ足で歩く生き物。三メイトルほどの高さがあるだろうか。毛の隙間から黒い大きな瞳が二つ覗いている。腕は短くて小さい。両足の隙間から太くて長い尾のようなものが見えた。
「何、あれ…」
舞花がぽつりと言葉を零した。テツは樹喜達の横を、ゆっくりと歩きながら言う。
「レムズだ」
レムズ、と樹喜は男の言葉を繰り返す。
「そいつ頼む!」
テツはそう言うと、その化け物の方に向かってかけだしていた。
「そいつ?」
「アオイ!」
それが、ろぼっとの名であるのに気づくのに、僅かな時間を要した。その間に、テツはその化け物の近くまであっという間に辿り着いていた。
彼はその大きな身体からは想像も付かないほど、軽やかに跳躍した。身長三メイトルはありそうなその化け物――レムズの背に蹴りを入れ、それを転倒させる。どずん、と低い音と共に地面にたたきつけられたレムズの上に乗ると、上着から手のひら程の大きさの何か細いものを取り出した。そして、レムズに思いっきりそれをぶつけたように見えた。ややあってレムズは低いうめき声をまき散らし、そして静かになった。と、思うとそれはぐにゃりと歪んだ。ばらりと身体を包んでいた毛が全て抜け落ちた。そして氷が溶けるように、輪郭が小さくなっていく。最終的には三十センチメイトルほどの塊になる。
テツはそれを抱え上げると、樹喜達に示した。
「――食う?意外と旨いかもよ?」
樹喜は眉をひそめて、そして首を横に振る。テツは低く笑って、それを床にたたきつけた。べちゃり、と気味の悪い音がしてそのままそれは地面に溶けた。
「――なんなの…?」
その時だった。ぷしゅん、という音がして宇宙船の扉が開く。
「みんな…あの、大丈夫…?あの…朝ご飯を…」
園美が顔を覗かせ、小首を傾げる。
「…お友達?」
「――何かしらね」
恵琉が答えて、肩をすくめる。
「ま、一旦戻りましょうか」
「恵琉様――」
「行きましょう。お腹も空いちゃったし」
「あぁ俺も」
テツはにっこり笑ってそう言うと、恵琉の後に続こうとする。樹喜は慌てて彼の後を追い、恵琉とテツの間に身体を滑り込ませた。そしてじっと彼を睨む。
「…あんたは駄目だ」
「何でだよ」
駄目だ、と樹喜は繰り返す。
「お嬢様達を危ない目に遭わせるわけにはいかない」
テツはじっと樹喜を見つめる。
「…樹喜?あの…その、人は?」
園美の問いに、樹喜は小さく首を横に振って答える。
やや厚い沈黙が、そこを包む。それを壊したのは、恵琉の声だった。
「――良いんじゃない?入ってもらったら?」
「恵琉様!」
「姉様…!」
「一応聞こうかしら。本名と…えーとそうね、年齢とかそのあたりを話して下さる?」
恵琉は樹喜の横をすり抜けて、階段を降りる。その言葉に、テツは表情を変えないまま応える。
「人に聞くときは自分から何か言うのが礼儀なんじゃねえのか?」
恵琉は肩をすくめる。面倒そうに後頭部を掻いた。
「石楠花恵琉。十七歳ね。日本国広京梓町に住んでいた。職業は硝子職人。所属は桂硝子小梅組空部。家族は父と、姉が一人に妹が二人。好きな飲み物は胡桃珈琲と蜜飴酒。最終学歴は日本国第一大学総合部卒業。身長は百五十九センチメイトル。体重は言いたくない。視力は三等。聴力七等。嗅力が六等。爪は丸爪。好きな作家は風花さなぎ。行ってみたい場所は、鎌倉。二度と行きたくない場所は空の博物館。好きな色は橙色。――後は何か聞きたいことはある?」
問うた恵琉に、テツは顔いっぱいに笑みを浮かべた。
「――俺は斎藤鉄平。みんなにテツって言われている。年齢は二十一歳。東京都北区出身。身長はたぶん百八十半ばぐらい。体重は最近量ってないから分かんねえ。たぶん八十以上百以下だと思う。目も耳も特に悪くない。――後なんだっけ。そうそう。本は読まない。行きたい場所は特になし。趣味は走ること。後酒飲むこと。子供の頃の夢はおまわりさん。好きなタイプはぽっちゃり系。こんなんでいいか?」
恵琉は頷いた。
「――中に入って貰いましょう。そこで話をした方がいいんでしょう?」
「恵琉様」
「大丈夫よ彼は。――私が保証するわ」
一体何を保証するのか、と言いかけた樹喜に恵琉はもう一度頷く。
「おなかが空いたわ。さっきのがまた来たら困るし。行きましょ」
そうして、恵琉は樹喜の横をすり抜けて船内へ滑り込む。茫然とする樹喜の横を、テツが飄々とした足取りで続き、アオイががしゃがしゃという音を立てながら続く。樹喜は舞花に戻るように促した後、あたりを見回す。荒廃した土地と、謎の生き物。学校で習ったことは、そこには無かった。歴史に刻まれていない場所。息を吐いてから、姉妹と男、そしてろぼっとの後に続く。ぷしゅん、という音と共に扉が閉まった。
室内に入り、へえ、と声をあげたのはテツだった。 きょろきょろと居室を見渡す。そしてそふぁだろ、てえぶるだろ、と何かを呟いた。
樹喜はじっと彼を見つめている。彼が味方だという保証など何処にもない。もしもここで暴れ出したら、自分は彼を止められるだろうか。
「…めぐちゃん、えーと、この…方は?」
園美はやや怯えている顔でテツを見た。絢乃は園美の後ろに隠れて、彼女にしがみついている。今の日本国ではこんなに筋肉を持つ人間はごく僅かだ。自動化が進んだ結果、むしろ筋肉のない細いからだがもてはやされるようになっているのだ。
「テツだって」
「…え?テツ…え?」
「どうも。斎藤鉄平です。テツと呼んで下さい」
ぺこりとテツは頭を下げ、屈託無い笑みを浮かべた。
「え?…あ…どうも…。石楠花、園美です…」
「食事の前に先に聞いて良いかしら。私達のことをさっき、未来の人間と言ったわね。ここはどこ?」
恵琉の言葉に、テツは頷いた。
「どこから話せばいいかな。…うん、まずはこの世界のことから話そうか。――ここは、翠地星球、と言う。あんた達の住んでいた場所は蒼地星球。両方とも略すと地球だな…。分かりやすくそっちが蒼球。こっちを翠球と呼ぼうか。翠球は丁度蒼球から見て、太陽の裏側に位置している」
「裏側?」
「そう。太陽からの距離は同じだな。だから、同じような発展が出来た。まあ簡単に言えば翠球は、いわば蒼球のスペアみたいなもんかな」
すぺあ、と樹喜は繰り返す。舞花はぱちぱちと瞬きをしていた。
「予備っていう意味だな。――…あんま英語とか使わないのか?」
「日本は…鎖国をしてるから…」
言うとテツは目を丸くする。江戸時代かよ、と呟いてそして咳払いをした。
「非現実的な話をするぞ。たぶんそっちの世界じゃおとぎ話みたく聞こえるかもしれないけど勘弁な。――太陽には子供がいた。というところから話は始まる。…分かってるさ。俺だって百パーセント信じてる訳じゃない。とにかくでもこの話をしないと始まらないんだ」
 




