船にて(2)
「あらあら」
園美の声は、何処か笑いを含んでいたようだった。食料庫の方は酷い有様だったが、居住室の方は余り揺れによる被害はなかったらしい。
「ねえ、何で樹喜がいるの?ねえ、何で?」
はしゃいだように何度も同じ言葉を繰り返す絢乃に、樹喜はただ謝罪の言葉を口にする。恵琉は腕を組んだまま、ため息をついた。
「――謝らなくていいから。理由を聞かせてくれないかしら」
樹喜は躊躇ってから、口を開く。
「あの…夕べ…皆様が、離れに行くのを庭で拝見しまして――すみません。気づけば…あの、乗り込んでしまっておりました」
「気づけばって…でも、どうして乗り込めたの?一体いつ?」
「あの――AGDから、針のようなものが出まして…それが船体に刺さったときに…あの、扉のように開きまして」
「――そんなことって…あり得るの?」
園美の問いに、恵琉は肩をすくめる。
「ねえ、樹喜遊ぼうよ!あのね、アヤ、小町ちゃんを持ってきたのよ!」
「…とりあえず、あなたの話は後だわ。ちょっと困ったことになっているの。頭脳は一つでも多い方が良いわ。こうなったら、協力してちょうだい」
恵琉に言われ、樹喜は頭を下げる。
「――絢乃にはまだ言っていなかったけれど…この宇宙船は今、帝星に向かっていたの」
「ええっ!帝星!ねえどうしてっ?」
「後で説明するから、ちょっと待っていて。――それで、向かっていたはずだったのだけれど…簡単に言うと、どうやら道から逸れたようなのよ」
「――逸れたと申しますと…」
「磁場が何らかの影響で狂ったのね。人為的なものなのか…若しくは故障なのか。何だか分からないけれど…この船は今、所謂遭難状態なの」
「…遭難」
「どうやら地球からも離れているようなのよ。…AGDがもう使えないでしょう?」
言われて操作すると、確かに何の反応も無い。
「操舵室にも行ってみたけれど…電波が届かないみたいで…交信出来ないのよ。あたりを確認したけれど…それらしい星も見えないし」
「えっ…じゃあアヤたちどうなっちゃうの…?」
「――どうにかしなくてはいけないの。手動操舵も出来るんだけれど…目的地もないしね。とりあえずは方向だけでも、定めないとなのだけれど」
恵琉はため息をつく。
「まあ、もう少しやってみるわ。まずあなたは、英気を養ってちょうだい。顔色が悪いわよ。――舞花、樹喜に食事を出してあげて」
「うん!」
「――いえそんな、私は自分で――」
「だ、大丈夫!真空缶出すだけだから!」
「待って!アヤも!」
舞花と絢乃がぱたぱたと奥の食料庫へ向かう。恵琉がちらりと樹喜を見た。囁くように問う。
「――舞花の為?」
「…いえ…あの――」
言い淀むと、恵琉は樹喜の目をじっと見る。その真っ直ぐな瞳に耐えきれず、樹喜は静かに頷いた。
「――恐れ多くも…そのつもりで参りました…。勿論…何の利益ももたらさないことは理解しておりますが…」
恵琉は、僅かに口角をあげる。そう、と静かに言い目を閉じる。そして、目を開けると何処か悲しげな微笑を浮かべた。それと同時に、舞花と絢乃が部屋へと戻ってきた。恵琉は入れ替わるようにしてその場を離れた。
もしかしたら自分は、舞花の幸せを阻む存在となってしまうのかもしれない。帝星へ行けば幸せになれると、恵琉が諭していた。――この船が何処へ行くのかは分からないけれど。
「あっ…あのっ、樹喜…えっと、お魚と…お肉の真空缶…どれがいい?」
樹喜は改めて、舞花のその顔を見る。頬が赤く染まっている。長い前髪の隙間から、覗く小さな額。ふ、と身体の力が抜ける。あの時と、同じ気持ちだった。夢でも良いと。ただ、この僅かな瞬間の幸福だけで、もう。
「――じゅ、樹喜?あの…大丈夫…?」
「樹喜!ちゃんと見てっ!アヤが選んだんだよ!このお魚とっても美味しかったの!」
あぁ、と樹喜は頷く。
「申し訳ありません、少しぼうっとしていて…あの、では魚の方を頂いても宜しいですか」
「う、うんっ。今、お箸を出すねっ」
「アヤ、飲み物準備する!」
「恐れ入ります」
樹喜は食事を取りながら改めて、部屋の中を見る。部屋は二十畳ほどの広さで、居間と食堂、そして台所のある造りだった。広い座面の柔らかそうな布張りの長椅子が壁沿いにあり、その中央に低い机がある。広い台所があり、その向かいにこちらは高い机と椅子があった。全て、淡い灰色で統一されている。長椅子の隅には絢乃の宝物である着せ替え人形が幾つかの着替えと共にあった。こちらの方は余り先程の揺れの影響を受けなかったようだった。家具はほぼ床に固定してあるし、幾つかある棚は全て硝子窓がはめ込まれているせいかもしれない。長椅子の方には扉があり、半開きの所から見ると、そこは寝所のようだった。床一面に高さ三十センチメイトルほどの分厚い敷物が敷き詰められていて、柔らかそうな布団がその上に舞っていた。ゆったりとした仕切りが天井から降りている。台所の奥にも硝子の透明な扉がある。そこは水回りが集約されているようだった。そうしてもう一カ所、寝所の横にも扉があり、そこからいつの間にか席を外していた恵琉が戻ってきた。
「めぐちゃん…どう?」
「どうやら、磁場道が壊れたわけでは無さそうなの」
「…どういうこと?」
「――もっと強い磁力で、どこからか引かれているようなの」
「何処か…」
うん、と恵琉は頷きそれから操舵室へと皆を促した。壁が幾つか外されており、そこには画面や何かの突起などが着いている。通常宇宙船は自動制御なので、普段はつるりとしたこの壁でこれらは覆われているのだろう。
画面には、何か線のようなものが描かれていた。三本の線がある。
「…私もきちんとしたことは知らないんだけれど…」
恵琉はそう前置きをした上で、その線の解説をする。
「この赤い線が…帝星への道から出ている磁力ね。この下にある青いのが…たぶん地球が持つ磁力だと思う。――で、ここに黄色いのがあるでしょう?これはね…ついさっきまでは無かったものなの。丁度揺れ始めた時間――ここ、十時から急に出ているでしょう。で、赤い線を越えて…この、線まで来ている。五十磁。通常、磁力道から発せられる磁力は二~三だから…ものすごい力だと言うことは分かるかしら」
樹喜は頷く。園美や舞花も頷いた。
「――それで、この黄色い線なのだけれど…今も見ての通り凄い力で発せられている。今、この宇宙船はこの磁力の出元に向かって引かれているって事」
「――その出元というのは…」
「それがね、まだ見えないの。方向的にはこちらだと思うんだけれど」
恵琉はそう言うと、壁の突起を幾つか押す。線が描かれていた画面が切り替わって、窓のようになる。そこには、確かに何も見えない。真っ暗闇だ。
「ただね、何処か近くに…熱源があるようなの」
「熱源?」
「うん。かなり熱い…何か。太陽じゃないかと思うのだけれど。ちょっとこの外部監視機の位置が悪いみたいで見つけられないんだけれど…」
「太陽系の中には居るって言うことね。だとしたら…きっとすぐ見つけてもらえるわ」
園美の声に、恵琉は小さく頷く。
「とりあえずは、どうしようもないことだし、この磁力に引かれていくしかないわ。一体何処に行くのか分からないけれど…どうにもならないもの」
「アヤたちは、助かるってこと?」
絢乃の言葉に、園美は笑う。
「今だって十分助かってるのよ。あんな酷い揺れがあったのに、誰一人怪我してないじゃない。それだけで、とても幸福なことなのよ。みんな無事で、そしてこうやって笑えているんですもの」
それより、と呟いたのは恵琉だった。
「AGDが使えないことの方が問題だわ」
樹喜はその言葉に目を見開く。
「――使えない?」
「気がつかなかった?月油が漂動していないの」
樹喜は自らのAGDを操作して、そうして本当だと呟いた。
「さっき磁場道を外れてから…使えなくなって居るみたい。直接月油を汲み上げる機械類は大丈夫そうだけど」
樹喜は頷く。現在の主力燃料の月油は、主に二種類の使い方をされる。固定することが多い機械については、地硝子の下を流れる月油を管で吸い取って利用される。AGDなど移動式のものについては管を繋げることが困難な為、空気中に飛散している月油の飛沫を取り込んでいる。明かりが消えていないところを見ると、恐らく船の中にある月油は生きているのだろう。
「…そんな」
「磁力と月油の漂動って、何か関係があるのかしら。困ったわね」
恵琉が呟いてため息をつく。あの、と声をあげたのは舞花だった。
「でも…あの、無いなら無いで…問題ないんじゃないかな…」
「――え?」
「だって、みんなこの船にいるわけだから、通話は必要無いし…」
舞花の言葉に、姉妹達は顔を見合わせる。樹喜は首を傾げた。――確かに。必要無いと言えば必要もない気もする。
「で…でも、体調管理とか――」
「でも…あの、医療機器もないし…」
「――それもそう、なのかしら」
成る程、と恵琉が言う。絢乃は不安げに自分のAGDを弄っていた。
「――まあでも大丈夫よ。きっと。磁場が戻ったら元に戻るかもしれないしね」
さあ、と園美は言葉を続ける。
「お昼ご飯にしましょうか」




