第9話
『彰一』
「どうした、風鳴り?」
馬車の御者を務めている睦月彰一は御者席の横に安置されている刀に向かって問いかけた。その刀は貴重な"知性ある剣"の一つで、銘を『風鳴り』という。
この刀は馬車の幌の中で大事そうにタロを抱いて寝ている娘の愛理と一緒に雑魚寝している弥生真衣と如月涼子が傍にいた時は必要最低限しか喋らなかった。だから、彰一は寝ているとはいえ二人が傍にいるのに呼びかけてきたことにちょっとだけ吃驚していた。
『後ろの者達が寝ている間に先に話しておくことがある』
「……それは全然喋らなかったことの理由にもつながったりするのか?」
『つながる』
風鳴りの回答に彰一は暫く黙ったままじっと道だけを見ていた。ぱからぱから、と馬の足音、それと、ギシギシと馬車の軋む音がする。遠くからは鳥の声も聞こえてきていた。また水の流れる音も絶え間なく聞こえてきていた。
馬車は森を出た後、大きな川が流れる平野部へとたどり着いていた。道は川沿いに続いている。その川沿いの道を進んでいけば、後もう少しで永瀬という街に到着するところであった。
水がゆったりと流れる音を聞きながら前をじっと見つめていた彰一は、大きくため息を吐いた。
「はぁ。……厄介事じゃないだろうな。愛理を危険な目に合わせる訳にはいかないんだぞ」
『厄介事か……。そうとも言えるしそうではないとも言える』
風鳴りは判断に困るという声音で答える。一体彼女達について何を知っているのか。彰一は好奇心をくすぐられ、話を促した。
「まぁ、聞かないことには話が始まらないか。聞こうか」
『では、まず喋らなかった理由を話そう』
「あぁ」
『理由は簡単で、神との交信で忙しかったからだ』
「ぶふう」
突然神との交信と言われ、彰一は思わずふきだしていた。しかし、それが思った以上に大きな音であったために慌てて口を塞いだ。そして、後ろで寝ている者達が起きていないかを急いで確認する。
「くぅ~くぅ~、タロ~~まって~~~」
「むにゃ、おかーさーん、もう食べられないよ……」
「涼ちゃん。そこはさわったらだめー、んにゅ」
誰も起きていなかったことに胸を撫で下ろす彰一。そして、風鳴りにどういうことかを問い詰めた。
「神との交信と言ったが、そんなことが出来たのか? それにそんなに簡単に出来るものなのか?」
『……そうか、彰一は詳しいことは何も聞かされていないんだったな。話は逸れるが、少しだけ昔話をしよう』
風鳴りは懐かしむような響きを伴った声で語り始めた。
昔、今から400年以上もの昔、桜国の前身である王朝の時代。とある山奥に隠れ里があった。そこは王朝に支配される事なく、また侵略される事もなく安寧な暮らしが営まれていた。
「なぜ侵略されなかったんだ?」
『利が無かったからだと言われている。そこは農地として考えるとあまり適していなかった。かといって金や銀などの貴金属や鉱石といった物も採れなかった。それに攻めるにしても山奥にある故に行軍もままならず、全くもって攻めるに値しないところだった』
風鳴りの説明に首を捻る。そんな場所では生きていくだけでも大変だったのではないかと。
「じゃあなぜ、そんな場所に暮らしていたんだ。もっと条件の良い場所なんて沢山あったろうに」
『"隠れ"里といっただろう。つまりは表で暮らすには問題のある者達だったのだ』
「……犯罪者とか?」
『違う。前王朝の更に前の王朝の王族の系譜だ。当時の王朝も場所は確認していたが、自分たちに反旗を翻す訳でもなく、すでに滅び去ってから時間も経っていた。その里が確認された時点で攻め滅ぼすには既に機は逸していたし、先程も言ったように利がなかったから放置されたんだ』
「なるほどな」
『話を続けるぞ』
その隠れ里は長い間平和であった。細々と農作物を作り、偶に山に入っては山菜を採ったり、獣を仕留めたりして静かに暮らしていた。そこにある時、一匹の魔物が現れた。その魔物は瞬く間に里中の男たちを叩きのめすと、里を支配することを宣言した。
「たかが、魔物だろう? なのに里中の男が歯が立たなかったっておかしくないか?」
『その魔物は強大な力を誇っていた。特に魔力が物凄くてな、あれほどの力となるとまさに魔王とでも呼ぶべきくらいだった』
「そんな魔物が!」
彰一が風鳴りの言葉に驚いていても、風鳴りは気にすることなく話を続けていく。
魔物に支配された里であったが、暴虐の限りを尽くされた訳ではなかった。ただ、一週間に一回、女子供を一人要求されるようになった。それは魔物の食事であり、里を守る人身御供であった。そうして、魔物の支配は約2カ月にも及んでいった。里の者達は自分たちでは敵わないと判断し、人柱を立てることで時間を稼いでいる間に当時の王朝に助けを出した。当時の王は聡明で、その魔物の危険さを読み取り、すぐさま屈強な兵士達を送り込んだ。だが、全て返り討ちに遭ってしまい、魔物を退治するどころか逆に魔物の怒りを買うだけとなってしまった。そして、魔物は里だけではなく、王朝にまでその魔の手を伸ばそうとした。それに慌てふためいた王は里の巫女である天羽の娘を秘密裏に助け出させ、とある儀式を行わさせた。
「おい、なぜそこに天羽の名が出てくる」
険しい顔をした彰一に風鳴りは事も無げに答えた。
『天羽の名こそ前王朝の更に前の王の系譜の名だ。そして、神と交信できる一族でもある』
「なんだと! なら縁は」
『言いたいことは分かるが、今はもうそんなことには価値がないし、そんな力は残っていない。精々何かと意志疎通ができる程度だろう』
「確かに縁は動物達と会話できる力があると言っていたが……」
風鳴りの指摘に彰一は考え込み始める。風鳴りは淡々と話を続けた。
当時の巫女も力が足りず儀式の後に命を落としはしたが、一柱の神との交信を果たした。風を司り、世界の流れを見守るその神に巫女が願ったのは魔物を退治すること。その願いは聞き届けられ、ある武具が風の神より授けられた。そして、その武具は王朝で一番の武芸者に渡され、死闘の末に魔物を倒した。そうして里に、そして国に平和は取り戻されたのであった。
『その時の武具というのが私だ。故に神力を用いることができるし、こうして話すこともできる』
「なるほどな……。ちなみにその武芸者はどうなったんだ?」
『里の娘と結婚し、王朝に武芸者を派遣することを交換条件に領地として認可させて里の再建を果たした。ちなみに、その時出来たのが天羽流だ。つまり、彰一がたまたま訪れ、縁と結ばれたあの里が隠れ里だったということだ』
「はー……、ってそんな理由があるのに俺が持ってても構わないのか?」
『このことは今の天羽の血族には言い伝えられていない。故に私のことも珍しい"知性ある剣"としか見ていないだろうから構わないだろう』
「そうなのか。ん? なら俺に伝えたのはどういう風の吹きまわしだ?」
『単に許可が下りて、偶々機会があったからだけだ。それより話を戻すぞ』
大分長話をしていた事に気付いた風鳴りが本題へと話を戻す。彰一ももぞもぞと座り直し、背筋を伸ばし聞く姿勢を整えた。
『先程の話に出て来ていた風の神が緊急でこちらに呼びかけてきたのだ。勿論用件はあの二人についてだ』
「一体どんな事を聞いたんだ?」
『まず、あの二人は異世界人だ。それも少し特殊なところから来ている』
「異世界から来ているのは真衣から聞いて知っているが……、特殊なところとは?」
『神々の箱庭だ』
新たな言葉に彰一が戸惑っていると、風鳴りが説明を始める。
まず、神とは各世界において、人々を代表に生きとし生けるものを見守り、時には手を差し伸べて恵みを与え、時には試練を課す存在である。そうして、生命の流れをある程度操作し、管理運営していく。自分達が創造した世界が突然滅びたりしないようにしている。
しかし、真衣や涼子がいた世界は神々が実験的に作り上げた箱庭であり、そこでは神々による手助けは禁止されている。過去に幾度か神々の力が振るわれた形跡はあるが、現在は完全に手を出すことができなくなっている。そうして、生命がどこまで自分達の助けが必要なのかを見極める。その実験場が「神々の箱庭」である。
『と、いうことだ。さらに言えば、世界には魔素などなく、魔力を使える人間も極僅かだ』
「ふーむ、そんな世界があるのか……。しかし、その話を俺にして大丈夫なのか?」
『風の神が言うには別に構わないとのことだ。どうせ他人に言っても馬鹿にされるだけだからな』
「た、確かに」
『それで、ここからは風の神から彰一に対しての依頼になる』
「はっ?」
風の神からの依頼という言葉に思わず手綱を引っ張ってしまい、馬が大声で嘶く。それに慌てながらも何とか馬を落ち着かせて、そーっと後ろを見やった。
そこでは相変わらず夢の世界へと旅立っている三人と一匹が仲良く川の字で寝転んでいる。時折、寝言のような声も聞こえてきており、起きてくる気配はなかった。
彰一が安堵のため息をついていると、横から風鳴りが呆れているような調子で声を掛けた。
『もう少し落ち着け。そんなことでは風の神の依頼を果たすことができなくなる』
「……なんで俺に依頼が来たんだ?」
少しでも現実逃避をしようと、理由を尋ねる。手綱を持つ手は未だに震えていた。
『私も理由を尋ねたが、ある意味当たり前と言えば当たり前だった』
「だから早く――」
『彰一が私の所有者だからだ。付け加えて言うと二人を発見、保護したというのも大きい』
その理由を聞くと、彰一は脱力したかのように御者席にもたれかかった。そして、半分投げやりな調子で依頼内容を尋ねた。
「はいはい。分かりましたよ、分かりましたともさ。それで、風の神様は俺に何をさせようとしているんだ?」
『簡単なことだ。暫くの間あの二人を預かっておいてくれとのことだ』
強大な魔物の討伐や先の魔力波の原因を探れなど難しい依頼が来るとばかり思っていた彰一は、その依頼内容に肩すかしをくらう。そして、自分の財布の中身を思い出しながら風鳴りに安請け合いした。
「あぁ、それくらいなら構わないさ。丁度もうすぐ永瀬に着くところだし、そこで少し長めに宿を取れば――」
『彰一、神の時間間隔を人間のそれと同じにしてはいけない。神が暫くといったら大体人間における一生に値する。だが、もう遅いか……』
彰一は目を点にして風鳴りに振り返る。そして、おずおずと確認してきた。
「えっと、神様の『暫く』は人間の『一生』?」
『そうだ。そして、彰一は既に構わないと言っただろう。あれは神にも届いているからもう反故には出来ない。つまり、これからは彼女達二人もこの旅の同行者ということになる』
「そ、そんな……」
がっくりと項垂れた彰一に風鳴りはぼそりと呟く。
『あの、弥生真衣といったか。あの子のことは気になっているんだろ?』
彰一の背がぴくりと反応する。それを知ってか知らずか風鳴りは言葉を続けた。
『あの子を見た時は私も驚いた。なにせ、縁と瓜二つなのだからな』
「……」
『とにかく、風の神の依頼のこともある。今後の事を考えておいてくれ』
風鳴りはそう言うと、眠ったかのように静かになった。彰一も黙ったまま馬車の手綱を握った。
馬車はもうあと少しで永瀬に到着するところまで来ていた。
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