第8話
突然泣き出した見知らぬ男に対して真衣は戸惑いを隠せなかった。
(ちょ、ちょっと。人を殺した人がなんで泣いてるのよ。それに"ゆかり"って誰のことを言ってるの?)
そのまま混乱して何を言えばいいのか分からず言葉に詰まっていると、急に彰一は頭を振って、まだ頬に涙の筋を残したまま謝罪する。
「いや、すまない。君が知人に似ていたのでな」
知人に似ているだけで泣くのか、と真衣は心の中で突っ込みを入れた。同時に、何か深い事情がありそうな様子に少し興味が惹かれた。しかし、今はまだ赤の他人である男に尋ねることは出来なかった。
そんな真衣の葛藤を余所に、彰一は袖で涙を拭いとって真面目な顔を作る。そして、真衣に確認するような口調で話しかけた。
「ところで、君が弥生真衣で間違いないかな?」
「あ、はい。そうですけど、あれ? 名前、教えましたっけ?」
自分の名前を知っているのに驚き、ついつい相手を凝視してしまう。その視線に彰一は苦笑し、知っていた理由を話しだした。
「そんな不審者を見る目を向けないでくれ。君のことは如月涼子という子から聞いたんだ」
「あ、なんだ、そうだったんですか」
その言葉で真衣は安堵し、そして、一瞬の後に慌てた様子で声を張り上げた。
「そうだ! 涼ちゃんは、如月涼子は――」
「無事だ。今は俺の娘と一緒に待っている。だから慌てなくても大丈夫だ。落ち着け」
森の方を不安げな様子で見つめだした真衣を安心させるように、無事であることを伝えられる。それを聞いて再びほっとし、胸を撫で下ろした。そこに突然彰一とは別の声が聞こえてきた。
『彰一、そろそろ戻ったらどうだ? 愛理達も心配しているだろう。それに先程から強大な魔力が感じられる。もしかしたらこの川の主が来ているのかもしれん』
自分と変な男の二人しかいない所に全く別の声が聞こえてきたことで、真衣は男たちの仲間がまだいるのかと辺りを見回した。しかし、男は全く気にせずに落ち着いた声を返した。
「そうか、なら早めに離れたほうがいいな。えーっと、弥生さん、立てるか?」
男が手を差し伸べてくる。真衣は混乱しながらもその手を取り、立ち上がった。
「え、あ、はい。あの、それよりさっきの声は――」
「じゃあ、すぐに移動するから。俺に付いて来てくれ」
弥生の言葉を途中で遮り、男はそのまま真衣の手を引っ張って森に向かって歩き出した。と、数歩歩いたところで、男は突然振り返った。
「ああ、忘れてた。俺の名前は睦月彰一というんだ。よろしくな」
自己紹介を済ませると、ニカっと笑ってからまた森に向かって歩き出した。真衣はその笑顔に急にドキドキしてしまい、顔を赤くしながら男に手を引かれて森に戻るのであった。
「えっと。それじゃあここは日本ではないんですか?」
「ああ、そんな国は聞いたこともない。それに、君が持っているその、なんだ」
「スマホ、ですか?」
「そうそう、そのスマホというものなんか初めて見たよ。本当に一体どんな魔法を使っているのやら」
「そう、ですか……」
彰一と真衣は森にいる愛理と涼子の所に戻る途中、いつの間にか話に花を咲かせていた。切っ掛けは真衣が無言に耐えられず彰一に質問をしだしたことで、そこからまず自己紹介が始まった。
あなたの名前をもう一度教えてください。出身国はどこですか。今はどこに住んでいますか。仕事は何ですか。
姓は睦月、名は彰一。桜国生まれの桜国育ち。今は街を転々と渡り歩いている。今は冒険者稼業で飯を食っている。
彰一が一通り答えると、今度が逆に質問を返した。
君の生まれは。住所は何処か。今は何をしているのか。
日本の東京出身です。今はS県に引っ越してS大学に通っています。
そうしてお互いに自分のことを話したところでお互いに違和感に気付いた。桜国と日本、冒険者と大学生。それぞれが耳慣れない言葉に首を傾げた。
そして、まずは真衣のほうから詳しく話していった。大学のこと、日本の政治のこと、インターネットのこと。それらを彰一は興味深げに聞いていた。また、真衣はポケットにスマホが入っているのをふと思い出して取り出してみた。電波こそ入ってなかったものの、アプリ起動などは普通に行う事が出来た。それを見せると彰一は目を丸くしていた。さらにタッチパネルに触らせてみると、自分が触ってもきちんと動いていることにより驚き、感動していた。
次は彰一が教える番であった。桜国のこと、冒険者のこと、魔物のこと。特に魔物のくだりでは、彰一は真剣に説明し、真衣に警戒するよう促していた。
お互いにあらかた伝えあった時に、真衣は先の会話にあるようにここが日本かどうかを尋ねた。それは薄々感づいていた事ではあったが、嘘であって欲しかったことであった。その後、彰一から返された言葉に自分たちが異世界に来ていることは事実であると確信を抱き、同時に、その事実に愕然としてしまい、顔色も悪くなってしまっていた。
「大丈夫か?」
その顔色の悪化に気付いた彰一が声をかける。心から案じている様子に、思った以上に親身になってくれていることを感じとり、彰一に対して感謝の念を抱く。そして、心配を掛けまいと気丈に笑みを浮かべて答えた。
「はい、心配をお掛けしてすいません」
「もう森の中を歩いて大分経つ。そろそろ着くと思うからもう少しだけ頑張ってくれ」
真衣は自身の言葉に続いて出てきた彰一の言葉から、心配されている内容が違っているのに気付いた。だが、それでも気遣いには感謝し、問題ないことを示した。
「大丈夫ですよ。こう見えて昔から体力だけはありましたから」
力瘤を作り元気であることを見せる。ただ、それが空元気であることはその腕の震えや顔色から明らかであった。
そんな真衣の様子を見て彰一はフッと寂しげな笑みを浮かべる。まるで懐かしいものを、もう二度と手に入らないものを見たときのように。
「あ、うぅ……」
真衣はその儚い笑みにドキリとしてしまう。会ったときに流していた涙も相まって、何故かとても気になってしまっていた。知りたい、尋ねたい、そのような気持ちが真衣を支配する。だが、まだ出会ったばかりの自分では聞くこともできず、悶々としてしまう。
この時点で真衣は異世界に来たことについては頭から抜け落ちていた。そして、悪くなっていた顔色もまた別の色に染まり、それはそれで彰一から心配されるのであった。
そうして、二人が暫くの間、森に新しく出来た小道を歩いていると、目的の場所へと到達した。そこは森の中にあって、ほんの少しだけ広まっているところであった。そのちょっとした広場にあるものを見て、真衣は素っ頓狂な声を上げる。
「はえ? 何これ……」
そこにあったのは半球状に構築された風の結界。木の葉や枝が千切れた物が沢山風に流され舞っていた。初めはそれらが結構な速さで流されていた事もあって、何であるか分からなかったが、じっと目を凝らしている内にその正体が分かった。さらに、その結界の中に人影があることにも気付いた。一体誰がいるのか、知りたくてじーっと見つめていたが、それ以上のことは全く分からなかった。そこで、何か知っているのかもと、彰一に聞こうとしたその時、当の彰一の口から真衣に向けてではない声が出される。
「よし、じゃあ解除してくれ」
『分かった。結界に入っている破片などは外に散らすから少し離れてくれ』
その声に応えるように何処からともなく声が紡がれる。その声は男たちに助けられた時の声と同じものだった。それに気付いた真衣が首を傾げていると、ぐいっと手を引っ張られた。
「ほら、少し下がるぞ。」
突然引っ張られたことに少し驚いたが、引っ張った相手が彰一であると分かると途端に顔を赤くしてしまう。恥ずかしさから黙り込んだまま彰一と共に下がった。
『では、解除する』
また何処からともなく声が響いてくる。真衣は一体どこからと辺りを入念に見回すが、見つからなかった。そうしてきょろきょろしている内に風の結界の解除は進められていく。
『術式読込……解読……』
声は依然として聞こえてくるが場所は分からない。真衣はこれが終わった後に絶対に知っているはずの彰一をとっちめようと心に決める。そう決めた次の瞬間に、結界が解除される。
『……解除!』
その声と共に風の結界は風船のように膨らみ、そしてはじけ飛んだ。その時、風の結界に巻き込まれていた木の葉や枝なども一緒に吹き飛ぶ。それが勢いよく自分に向かって飛んで来た時、真衣は思わず目をきつく瞑って悲鳴を上げてしまった。
「きゃあ」
しかし、その破片が真衣に当たることはなかった。いつまで経っても、破片が当たらないことに気付いた真衣が恐る恐る顔を上げると、自分の前に彰一が立っていた。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます」
「いやいや。まさかここまで飛んでくるとは思わなかったからな。申し訳ない」
また守られたことに胸がドキドキし、礼を言うとすぐに顔を伏せてしまう。彰一の顔がまともに見られない。彰一はその行動から自分が嫌われたと判断し、再度謝った。
「いや、ほんとにすまない。まぁ森を出るまでだから我慢してくれ」
その声は悲痛に満ちていた。それに気付いた真衣が顔を上げると、既に彰一は真衣に背を向け、風の結界があったほうに顔を向けていた。真衣は彰一に勘違いされていると気付きその間違いを正そうとしたが、何と言えばいいのか分からずに声を掛けられないでいた。
真衣がウジウジと悩んでいると、小さな女の子の声と真衣が良く知る声、さらには犬の吠え声が耳に届いた。
「おとーーーちゃまーーーー」
「弥生おねーーーーちゃーーーーん」
「きゃんきゃん」
その声にはっとなって風の結界があったところをみると、声の通り小さな女の子と如月涼子、それと女の子の足元に子犬がいるのが見えた。真衣は涼子の姿を確認すると同時に駆けだしていた。そして近寄って来ていた涼子に抱き付いた。
「涼ちゃん、無事でよかった」
「弥生おねーちゃんも……良かったよう」
二人は人目にはばかることなく涙し、互いの無事を喜び合った。その横では小さな女の子――愛理が父である彰一に飛びついていた。
「お父ちゃま。あいり、いい子で待ってたよ」
「そうかそうか、あのお姉さんの言うとことはちゃんと守れたのか?」
「うん!」
彰一は愛理を抱き上げて頭を撫でる。その足元では子犬――タロが吠えていた。
「きゃんきゃん!!」
「おお、タロも二人をきちんと守ってくれてたんだな。ありがとう」
愛理を降ろし、腰をかがめてその頭を撫でると、タロは気持ちよさそうに目を細めていた。それを見て、愛理はもう一度撫でてと言いたげに彰一袖を引っ張り、彰一は苦笑しながらもその頭を撫でていた。
その時、声が響き渡った。
『彰一、そろそろ馬車に戻って出発しよう。これ以上時間を掛けると今日中に永瀬に着けなくなるぞ』
「む、そうか……。それじゃあ戻るか」
彰一は愛理に行くよ、と言ってから真衣と涼子のほうに声をかけた。
「二人とも、とりあえず次の街まで一緒にいかないか? これからのことはそこに着いてから考えてもいいだろう」
その呼びかけに真衣は恥ずかしげにこくりと頷き、涼子は真衣の様子に首を傾げながらもはーい、と元気よく返事を返した。
そうして、四人と一匹は馬車に戻り、再び永瀬に向かって出発するのであった。
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