第6話
「はぁはぁ、おね、ちゃん。もう、だめ」
「はぁはぁ、もう少し、もう少し逃げないと」
二人の少女が森の中を駆け抜けていく。弥生真衣と如月涼子である。二人は現在男たちに追われている最中であった。不意を突いて、その場から逃げることは出来たが、未だに自分たちを追いかけて来ているのははっきりしていた。自分たちの背後からずっと藪や茂みをかき分ける音が聞こえていたのである。また時折呼び止める声も聞こえていた事から追いかけて来ているのは想像に難くなかった。
二人が未だに逃げ続けられていたのには幾つかの理由があった。一つは倉庫整理のために動きやすい服装をしていた事。特に靴がサンダルとかではなく、きちんとした運動靴であったのは僥倖以外の何物でもなかった。
また、男たちのほうもすぐに捕まえられるだろうと余裕をもって追いかけていた。そして、彼女たちに恐怖を植え付けて、逃げられたことへの意趣返しを狙っていたのである。
そういった諸々の事情から全力で走り続けられた真衣と涼子であったが、涼子の方はもう限界であった。そして、ついに涼子はその場に立ち止まり、膝に手を付いて俯いてしまう。
「はぁはぁ、ほんとに、もう、だ、め」
苦しげに呼吸をする涼子を見て真衣はここまでか、と腹を括る。そして涼子の肩を抱いて自分たちが進んでいた道無き道の横にある藪に連れていく。
「ほら、ここに隠れて休んでいて。ただし、絶対に物音を立てちゃ駄目よ、わかった?」
「はぁ、はぁ、弥生、おねーちゃんは? 一緒に、いてくれないの?」
藪の中で三角座りをして息を整えていた涼子は不安を露わに問いかけた。その問いに真衣はこくりと頷いた。
「二人とも隠れちゃったらあいつらはおかしいと思って探しちゃうわ。だからあたしはこのまま逃げてみるわ」
疲れを隠してにっこりと笑う真衣。涼子は真衣が囮になるということに気付き、涙する。
「ほらほら、あたしなら大丈夫だから。絶対に物音を立てちゃ駄目よ。……またあとで会いましょう」
そう言うと真衣は涼子が止める間もなく走り出す。そのときにわざと藪に手を突っ込んだり、枝を弾いたりして物音を立てていた。
がさがさという音がどんどん遠ざかっていく中で涼子は藪の中で膝を抱えたまま、声を圧し殺して泣き出していた。そして、どうか真衣が無事であるようにと祈るばかりであった。
「くそ、まだ追い付かねぇか。意外に足が早いな」
「頭、あっちのほうから盛大に音が聞こえてきますぜ」
男たちのうち一人が真衣が逃げていっているほうを指差す。その男が聞いた音は当然頭も聞いていた。そこで疑問が生じる。
(あいつらは今まで極力音を立てないように逃げていたはずだ。勿論それは俺らには無意味だったが、なぜ今になって派手に音を出す? まるで見つけてくれと言わんばかりに……。もしかして)
頭が急に立ち止まって考え事をしだしたことに手下の男たちは怪訝な思いと焦れったさを感じていた。そして、我慢ならずに駆け出そうとした時、頭が口を開いた。
「おい、三平。お前はここに残って隠れていないかどうか探せ。四作と五郎はこのまま俺についてこい」
いの一番に駆け出そうとしていた三平は頭の命令に口を尖らして不満を露にする。
「頭ぁ、そんなことを言って俺だけ仲間外れですかい?」
もしそうなら頭と言えども容赦しない、とばかりに睨み付ける。しかし、頭はその睨みにニヤリとした笑みを返した。
「俺の予想なら一人ここら辺りに隠れているはずだ。もし見つけたなら先に楽しんで構わねぇからよ」
すると、それを聞いた三平はげへ、と野卑な笑みを見せる。
「頭、それは本当ですかい?」
「勿論だ。その代わり、俺らは俺らで見つけたほうと先に楽しませてもらうぞ」
「どうぞどうぞ。ぐへへ、楽しみだなぁ」
三平は既に捕まえたときのことを思い、浮かれていた。そんな三平に頭が釘をさした。
「だがな、もし二人ともこっちにいたとしても恨むなよ」
「へい、そん時は急いで交ざりに行きますよ」
頭はその言葉を聞くと、残っていた二人に行くぞ、と声を掛けて真衣の方へと走り出した。三平を除く二人は少しだけ羨ましそうに三平を見たあと急いで頭の後を追いだす。それを見送った後に三平は舌舐めずりをして、辺りに隠れていないか探しだした。
「ほらほら、子猫ちゃ~ん。今なら優しくしてあげるから早く出てきなよ~」
斧を振り回して藪や枝を切り払っていく。すぐに見つけることはなかったが、それで癇癪を起こすことはなかった。自分が探しているということが相手の恐怖を煽っていることに快感を得ていたからである。
「ほ~~ら、早く出てこないと痛い目にあっちゃうよ」
斧を振り回しどんどん隠れられそうな藪や茂みを潰していく。そうして、10分ほど探し続けているととある藪で、きゃ、というか細い悲鳴が上がる。
「ここかぁ。ほらほら、早く出ないとこの斧でぶすりといっちゃうよ~」
そう言いながら斧を振り回す。その度に小さな女性の悲鳴が上がる。この時三平は相手の悲鳴から場所を割り出しており、この蛮行は相手の恐怖を最大限に引き伸ばしていただけであった。故に相手に当たらないように慎重に狙いを定めて振り回し、少女にとって最後の砦であろう藪を削り取っていった。
そうして、正面の藪を全て切り払い、涼子との対面を果たす。
「見つけた~」
「あ、ああ、う、あう、うう」
涼子は真衣に言われた通り三角座りをしたまま、ずっと必死になって声を圧し殺し恐怖に耐えていた。三平に見つかった今も恐怖のあまり逃げ出すこともできずに涙をポロポロと溢しながら座っていた。
「ヒュ~~。これはこれは、俺はついてる。こんな上玉とヤれるなんてな」
三平が涼子に向かって手を伸ばす。そして、涼子の手を掴むとそのままグイッと引っ張り上げる。
「ひ、いや。離して」
「いやいや言っているけど据え膳食わねば男じゃないってな。頂きまーす!」
三平が涼子の服に手をかけ、いざ服を破り捨てようとした丁度その時、横合いから男の声が聞こえてきた。
「おいおい、嫌がっているのは据え膳と言わねぇぞ」
「へ? あぐぺ」
突然現れた男性は鞘を三平の頬に叩きつけてそのまま振り抜く。三平は振り抜かれた勢いそのままに1メートルほど吹き飛び、四肢を痙攣させながら気絶してしまうのであった。涼子は掴んでいた三平の手から解放されたことでその場にへたり込んでしまっていた。
「風鳴り、こいつを閉じ込める結界みたいなもの作れないか?」
『作れる。今やってみよう。術式構築』
ブン、という音を立てて中空に光の陣が浮かび上がる。その陣は1メートル程の円にで内部には幾何学的な模様が幾十と刻まれていた。
『展開』
その言葉と共に陣に刻まれた模様が輝き出す。あまりに非現実的な光景に涼子はへたり込んだまま魅入ってしまっていた。
『風牢発動』
最後の言葉が発せられ、眩いほどに輝く陣から強風が吹き出し、三平を包み上げる。風の中には木の葉や枝などもあったが、それらはすぐに細切れにされてしまい、破片の状態のまま流されていた。その破片があるお陰で風牢の大きさが見えていた
『これで大丈夫だろう。滅多なことでは破れないはずだ』
「おいおい、本当に大丈夫なんだろうな」
『こう見えて、無理矢理破るには神の力がいる。自然に消えもするが、大体3日は掛かるだろう』
「神の力とはまた大きく出たな……」
涼子は男性が一人で会話しているのに首を傾げた。一つは男性の声というのは分かるのだが、もう一人分が一体誰なのかが分からなかったのである。
その時、5歳くらいの小さな女の子が風牢へと指をそーっと突き出そうとしていた。すると、また何処からともなく声が響いてくる。
『指が千切れるから止めなさい。どうしてもやってみたいなら足元に落ちている長めの枝にしておきなさい』
びくりと指を引っ込める女の子。そして、言われた通り足元の枝を拾い上げるとそのまま無遠慮に突きだした。枝はそのまま風の結界を突き抜けるかと涼子は思ったが、意に反して枝は突き入れた部分だけ細切れにされていた。突きだしている女の子も目を丸くする。
「ふわわ。タロ、これしゅごいよ」
「きゃんきゃん!」
近くにいた犬と会話する少女を眺めていると、男性が涼子に話しかけてきた。
「あ~、その、大丈夫か?」
その言葉で涼子は自分が助かったことに漸く気付いた。そして、安堵感から自然に涙が溢れだし、大声で泣き始めるのであった。突然のことに男性は慌てふためき、少女は不思議そうな顔で涼子の頭を撫でるのであった。
そうして一分程泣き続けていた涼子であったが、なんとか我に返り泣き止んだ。そして、目を赤く腫らしたまま男性に向かって頭を下げて礼を述べる。
「あの、助かりました。ありがとうございます」
「いやなに、無事で何よりだ。動物を狩りだしているのかと思ったが、どうも嗜虐に満ちた声だったのでな。間に合って良かったよ。俺の名は睦月彰一と言うんだ。あっちにいる娘は俺の娘で愛理だ。とりあえず、よろしくな」
彰一と名乗った男性はそのまま手を差し出してきた。その意図を察した涼子は手をおずおずと掴みながら自分も自己紹介をする。
「あの、私は如月涼子です。その、助けてもらっておいてお願いがあるんですがいいですか?」
「うん、何だい?」
「その、あの風牢ですか? あの中にいる男の仲間が私の先輩を追いかけているんです。お願いです、助けてください」
必死になって懇願する涼子に彰一は厳しい顔を見せた。自分を助け、挨拶したあの優しげな顔とは全然違う険しさを備えた表情に涼子は無理であったかと諦めかけた。しかし、その直後、彰一の口からは全く逆のことが紡ぎだされた。
「ここからどっちに逃げていったか分かるかな? 流石に方向が分からないとどうしようもない」
言外に助けに行ってくれるという事を示した彰一に涼子は顔を明るくする。そして、すぐに真衣が逃げていった方向を指差した。
「あの! あっちです。あっちのほうに目立つように音を立てて走って行きました」
「目立つように音を立てて?」
怪訝な顔を見せる彰一に涼子は必死になって説明した。
「その、私がもう走れなくなっちゃって、それで私を逃がすために囮になって……」
また涙目になっていった涼子の頭を彰一が優しく撫でる。涼子ははっとして彰一の顔を見上げた。
「大丈夫だ。すぐに助けに行く。その間愛理を見ておいてくれ」
その厳しくも優しげな声に涼子は安心してこくりと頷く。その後すぐに彰一は愛理を呼び、涼子の言う事にきちんと従うよう言いつける。そして、風鳴りに二人を守るための結界が張れないか問いかけた。
「風鳴り、あの風牢という結界を少し大きめに張れないか?」
『出来る。すぐに張ろう。……愛理、タロ、そこのお姉さんに近寄りなさい』
「はーい!」
「きゃん!」
愛理と犬――タロは元気よく返事すると涼子の傍へと近寄った。それを見届けた風鳴りはすぐに詠唱に入った。
『術式構築』
その言葉と共にブゥンと音を立てて再度円い陣が中空に浮かび上がる。今度は三平を閉じ込めた物よりも遥かに大きく、直径は3メートルほどもあった。円い陣の内側には幾何学的な文様が幾つも浮かび上がっている。
『展開』
円い陣が輝きだす。あまりの眩しさに涼子や愛理は目をつぶってしまう。彰一も手をかざして眩しそうにしていた。
『風界発動』
発動という言葉と共に、円い陣が更に輝きだし、陣の中心から風が吹き荒れた。陣から出た風は半球状の結界を構築して、涼子と愛理を纏めて包み込んだ。やがて、陣が消え視界が戻った頃には二人の目には三平を包む風牢同様に枝や木の葉の破片をグルグルと流している風の結界しか見えていなかった。
『あの男を包んだのと同じ物だが、一応二人には危害が加わらないようにしてある。だが、一旦外に出るとその効果はなくなり中には戻れなくなるから絶対に出ないように』
「はーい!」
「え、あ、あの、わ、分かりました」
結界の外からの風鳴りの声に愛理は元気よく、涼子は戸惑いながら返事をしていた。それを聞き届けた彰一は二人に挨拶を投げる。
「では、行ってくる。期待して待っていてくれ」
そう言うと、彰一は走り出すのであった。
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