第5話
「ふむ……森の中はえらい荒れようだな」
『それはそうだろう。あれだけ大量の魔物が逃げ出したんだ。それに合わせて普通の動物達も逃げているはずだから荒れるのは当たり前だろう』
森は木々がそこかしこで倒れ、倒れていない木であっても枝がぽっきりと折れていたり、穴が開いていたりしている。道にも折れた枝等が散乱し、砕けた岩の破片などもそこかしこに落ちていた。
馬車の御者席で馬の手綱を握る睦月彰一がそんな光景に独り言のようにぽつりと言う。すると、横に置かれていた風鳴りが呆れ声を返した。まるで馬鹿な子に教える教師のような物言いに彰一はむすっとするが、何も言い返すことはなかった。
そんな二人の後ろ、馬車の中では彰一の愛娘である愛理と、拾った魔物のタロが嬌声を上げている。その楽しげな様子に彰一はほっと胸を撫で下ろしていた。
『やはり気にしていたのか?』
そんな彰一の胸の内を読みとったかのように風鳴りが問う。彰一は暫く黙ったままであったが、ぼそりと誰に言うでもなく喋り出した。
「あの子は、愛理はまだたったの5歳だからな。俺が5歳の頃なんて近所のガキ達と一緒になって遊びまくっていたさ。なのにあの子は何も文句も言わずに付いて来てくれているんだ。本当ならあの子だって友達と遊びたいだろうに……」
『……』
ぎしりと奥歯を噛み締めながら言う彰一に風鳴りは何も言わなかった。
この時風鳴りはあの魔物が愛理を襲っていないことに安堵していると考え、確認を取ったのであった。しかし、彰一が考えていたのは全く別のことだったのに驚き、無言になっていたのである。
そうしてお互いが黙り込んだことで暫しの間、馬の足音や車体がきしむ音、馬車の中からの愛理とタロの嬌声だけが森に木霊する。
代わり映えのしない景色の中、彰一が徐に口を開く。
「森の調査と言っていたが、この分だと愛理達も連れていかないと危険な気がするんだが、どう思う?」
『私としては反対だが、どうも森にはまだ幾匹か魔物が残っているようだ。単純に逃げられなかったのかもしれないし、敢えて逃げなかったのかもしれないが、とにかく残っている。それを考えると連れて行くしかあるまい』
「……俺は危険だと思ったらすぐに引き返すぞ」
『構わん。私が興味を抱いたに過ぎんのだからな』
そんなことを言い合いながらも、森の合間に敷かれた道を道なりに進んでいく。そして、とあるところで風鳴りが彰一を呼びとめた。
『待て』
彰一はその言葉に反応し、馬を止める。それに従い馬がゆっくりと止まると、愛理達の嬌声も止まり、辺りに生えている草木のざわめきのみが場を支配する。馬車が動いていた時には気付けなかったが、普通なら聞こえるはずの虫の音や動物の鳴き声等は一切聞こえてこなかった。彰一はそんな森の様子に不気味さを感じながら風鳴りに理由を問いかけた。
「一体どうしたというんだ。ここには何もないだろう」
『今まで魔力波の流れを追っていたが、どうもここが発生源に一番近そうだ。ここから先の道は離れていく方向になっている』
今馬車が進んでいる道は風鳴りが逆探知した魔力波の源とは離れていくようにして続いていた。故に風鳴りは一番近くに来ているであろう場所で止めていた。
彰一はその言葉に腕を組んで少しの間考えたが、仕方ないと溜め息を一つ吐いてから後ろを振り向く。
「愛理、ここで一旦お父さんは森に入る。ここに残っていると危ないかもしれないから付いて来なさい」
「ふみ? お父しゃま、森に入るの?」
「そうだよ、そこにいるタロが何で森から逃げだしたのかを調べないといけないからね」
父親がそう言うと、愛理は不安げな顔でタロを見つめる。
「もし、タロが戻りたそうにしていたら、森に返す約束だよ。それが守れないなら……」
この場で切り捨てるという言葉は飲み込んだが、タロは彰一から発せられる気迫に怯え、愛理を盾に隠れてしまう。その様子に愛理は父親を睨みつけるが、彰一は表情を変えずに再度準備するよう伝える。
「ほら、早くしなさい。どうも今の森は不安定だからね。なるべく早く終わらせないと……」
優しく愛理の頭を撫でてから風鳴りを佩いて地面に降りる。愛理はその背中をまだ睨みつけていたが突然足元がくすぐったくなる。足元を見やるとタロが足を舐めていた。愛理はしゃがみ込みタロを抱き上げる。
「タロ、いっしょにいようね」
「くぅ~~~ん」
抱きあげられたことでほっぺをぺろぺろと舐めるタロ。それをくすぐったそうに受けていると、父親の急かす声が再度飛んでくる。
「ほら、愛理、早くしなさい。それとも馬車でお留守番をしているかい?」
お留守番と言われて、タロを見つめる。タロが何処にも行かないならそれもいいかなという思いが掠める。しかし、すぐに父親の再度呼びかけた声でその子供らしい考えはもろくも崩れ去る。
「タロは愛理が来ても来なくても連れて行っちゃうよ。早くしないと、愛理一人でお留守番になるよ」
その声にはっとした愛理は、急いで準備して馬車の後ろから降りる。ふわりと子供用の着物の袖が舞う。続くようにしてタロも馬車から降り、二人一緒になって父親の元に向かった。
「お、お父しゃま、おまたせ」
「きゃんきゃん」
愛理はどこか不安げな様子で、タロは愛理を守るかのように勇敢に吠える。それを困った顔で見ていた彰一は黙ったまましゃがみ込み、それぞれポンポンと頭を撫でる。すると腰に佩いてある風鳴りがこっそり教えるように囁いた。
『愛理』
風鳴りに呼ばれ、思わず父親の腰元を見やる。腰に佩いてある風鳴りの柄に埋め込まれている宝石が何度か瞬く。
『彰一もタロがいなくなるのは寂しいんだ。だからこそ早く森を離れてタロと一緒にいたいと思っている。だからあまり駄々をこねないでやってくれ。それに、こう見えて睨まれたことをかなり気にして──』
その言葉の途中で顔を赤くした彰一が風鳴りを二度叩く。そして、愛理に恥ずかしそうに出発を告げる。
「ほら、愛理、タロ。行くぞ」
立ち上がると、そのまま大股に歩いて森に入っていく。愛理は風鳴りの言う事に呆けていたが、すぐに嬉しそうな顔を見せ、大きな声で返事する。
「うん!」
そして、父親の後を急いで付いていくのであった。
同じ頃、森の中では二人の少女が頭を悩ませていた。
「ううーーん、この森って神社の裏手とかじゃないよね?」
「うん、違うと思うんだけど……」
一人は如月涼子。如月神社を神主である如月冬治の一人娘である。日本の公立中学校に通う三年生で、今年受験を控えていた。小さな顔立ちにぱっちりとした目、さらには小さな唇で、体型も小柄でありながらスレンダーというよりはグラマーな感じで男好きのするものであった。そんな涼子はクラス、いや学校でも有数の美少女で、告白された回数も何度もあった。まだ恋愛をしたことが無い涼子はそれらを全て断っているが、根っからの明るさと元気さで友達付き合いに陰りは生じていなかった。今はその腰まで伸びた髪をポニーテールにして結んでいる。
もう一人は弥生真衣。如月神社の近くに住む女子大生で、まだ入学したばかりの一回生である。真衣も涼子に負けず劣らずの美少女であるが、体型の方はというと、涼子よりは背が高いがスレンダーな感じで胸の盛り上がりは中学生の涼子に負けていた。髪型は肩にかかるくらいで切り揃えられており、活発な印象を与えるものであった。真衣の方は持ち前の明るさと親密さが不利に働き告白されたことはなかった。また本人も恋愛をした覚えがなく、自分には恋愛事は無縁であると思い込んでいた。
「とにかく、あの光に吸い込まれてここに来ちゃったけど、戻れるのかな」
「弥生おねーちゃん。怖いこと言わないでよう」
真衣が不安げな声音で呟くと、涼子が心細さから真衣に抱きついて文句を言う。真衣は涼子の頭を撫でながら森を見渡した。
神社の裏手にある林からはよく虫や動物の鳴き声が聞こえていて、更には木々のざわめきもあり、初めて入った時はその騒がしさに吃驚したほどである。しかし、今自分たちがいる森は木々のざわめきこそあるものの、虫や動物、特に鳥達の鳴き声が全くなくて不気味なほどに森閑としていた。
森の中特有の薄暗さもあり、真衣も見通しが立たない恐ろしさから涼子をギュッと抱きしめる。涼子も泣き出しそうなのを堪えて、ぎゅっと真衣を抱きしめ返す。その時、遠くからガサガサとした音が聞こえ、次いで男たちの声が幽かに聞こえてきた。
「なぁ、頭。本当にこっちであってるのか?」
「お前たちも見ただろ。あの魔物達の逃げようを。方向を考えたら絶対こっちに何かあるって」
「もしかしたら俺たち、もの凄いものを発見したりしてな」
「ははは。もしそうなったらもうこんな生活ともおさらば出来るな」
ワイワイと喋りながら真衣達に近寄って来ていたのは四人の男たちであった。程度の差こそあれ、全員が全員、みすぼらしい恰好をしていた。顎髭、口髭はもとより、髪はぼさぼさで、長い間洗っていないことを示すように油脂でテカっていた。顔の垢もすごく、一見するとこじきのように見える。しかし、男たちの手にはきちんと整備されてはいないが手斧が握られており、こじきでないのは明らかであった。彼らは手斧を乱雑に振るい藪を切り開いていた。
少女達二人は自分達に近付いてくる人の声にびくりとし、互いに顔を見合わせる。もしからしたら、これで助かるかもしれない。そんな思いが二人の間に芽生える。が、しかしこんな森の中に人がいるという事自体に涼子は恐怖を感じていた。それ故にさらにきつく真衣を抱き付いたことで、真衣も険しい顔になっていた。
そうして逃げるかどうか迷っている内に男たちは彼女たちのいる所までやって来た。そこで、男たちは怪訝な顔を見せた。
「なんだぁ、お嬢ちゃんたち。こんな所で何をしているんだ?」
先頭を歩いていた頭が尋ねると、真衣と涼子は顔を見合わせる。そして、おずおずと真衣が答えた。
「あの、あたし達ここらへんで迷ってしまいまして。森の外までの道御存じないですか?」
頭はピクリと眉を動かして、二人をじろじろと無遠慮に眺める。特に胸をじろじろと舐めまわすように見つめる。その後ろにいた男たちはにたにたと笑っていたが、目は頭同様に二人の全身をくまなく舐め上げるように動いていた。
真衣と涼子、二人にとって居心地の悪い時間が流れる。と、突然頭がにこりと笑顔を見せた。
「ああ、知っているとも。二人とも俺らに付いてくればいい」
「そうそ、俺らはここらへんじゃ有名な狩人だからな」
「ほんとほんと。今ならそれ以外も教えてやるぜ。ぎゃははは」
「おいおい、二人が怯えちゃうじゃないか。ま、俺も教えられるけどよ。げははは」
頭が言うと、後ろの男たちもげらげら笑いながら好き勝手に喋り出す。その時、真衣は男たちの一部が妙に肥大化し服を盛り上げているのに気がついた。
(あれって……。確か雑誌とかでああいう男性の写真を見たことあるわ。ということは!)
男たちに悟られないように真衣は涼子に耳打ちする。
「逃げるわよ」
涼子も真衣の真意は分からなかったが、突然の囁きに驚きながらも声を潜めて聞き返す。
「な、なんで? 連れていってくれるんでしょ?」
「あの男たちは私達を慰み者にするつもりよ。それとも涼ちゃんはそれでも構わないの?」
真衣の言葉にぞぞっと背中に悪寒が走る。涼子は思いっきり首を振りたくなったが、すんでのところで思い留まる。
男たちは二人の様子に気付かずにげらげらと笑い合っている。既に頭の中は桃色になっていそうな卑猥な笑いであった。
その隙を突いて真衣と涼子は一緒になって少しずつ後ずさっていった。しかし、その行動は頭にすぐに見咎められることとなった。
「おいおい、逃げようとしてないだろうな。人様にものを頼んでおいて、逃げるとは失礼だろ」
その言葉にげらげら笑っていた男たちが静かになり、獲物を見つめる目を見せ、舌なめずりする。その様子に自分の考えが正しいことを察しながら、真衣は気丈にも男たちに断りの返事を入れた。
「あの、私達大丈夫なので……」
「あぁん?!」
頭の凄みにひ、という悲鳴が涼子の口から洩れる。その声に頭の後ろにいる男たちが再度好色そうな笑みを浮かべた。それを見て、真衣はここまでと覚悟を決めて涼子に耳打ちする。
「いちにのさん、で逃げるわよ。怖いのは分かるけれど、走れなかったら捕まっちゃう。大丈夫?」
「う、うん。涼子、頑張る」
「おいおい、何を喋っているんだ? さぁ、こっちにこいよ」
近付きながら手を伸ばしてくる頭を尻目に、真衣がカウントダウンを始める。
「いち、にの、さん!」
そして二人は振り返ると一目散に走り出した。森の中で走りづらくはあったが、追いつかれたら終わりであることが二人を奮起させる。そして、突然のことに男たちが呆然としてしまった隙に、見事に振りきってしまうのであった。
頭は伸ばしていた手を引き戻し、プルプルと震わせながら手下に命令する。
「虚仮にしやがって! 追いかけるぞ!!」
「へい!!」
捕まえた時のことを考えて、嬉しそうな声で返事をする男たち。そして、森の中に逃げ込んだ二人を男たち四人は追いかけだすのであった。
読んで下さりありがとうございます。