第4話
パッカパッカと馬が歩く音が空に木霊する。それに合わせて、ごとごとと馬車の軋む音も続いていた。道はきちんと整備されておらず、たまに少し大きめの石を踏みつけ馬車がゴトンと大きな音を立てていた。
旅仕様に幌が張られている馬車が進んでいる所は平野部で見晴らしの良い場所であった。だが、今通っている道は前方に広がっている森へと続いており、そこから先は昼にもかかわらず薄暗く、見通しは悪かった。
森へとゆっくりと進む馬車からは時折会話が聞こえてきていた。
「お父ちゃま、次はどこいくの?」
「えーっと、どこだったかな? あの森を抜けた所の街で、名前は……確か永瀬だったかな」
御者席でのんびりと馬の手綱を握る25歳近くに見える男性に幼い5歳くらいの少女が目的地を尋ねる。既に何度も繰り返されているやり取りであったが、少女のほうは楽しげな調子の声音であった。
男性の名は睦月彰一、少女の名は睦月愛理。彰一は冒険者と呼ばれる特殊職業に就いており、その筋では有名であり実力も折り紙付きである。愛理はその彰一の実の娘であり、今までずっと父親と共に暮らしていた。
そんな彰一は出来る限り一つの場所に留まって愛理を養育したいと思っていた。しかし、彰一自身のある特殊な体質により、街を転々とする羽目となっていた。どの街や村に行っても初めは歓迎され、そして次第に疎まれていく。その繰り返しであった。それ故に自分に付き従う娘の愛理には申し訳ない思いを抱いていたが、愛娘がそれを苦にしている様子は見受けられなかった。
『彰一、妙な気配がする』
その時、馬車の中から声が届けられる。しかし、馬車の中には愛理以外には誰もおらず、声をかける存在はいないはずであった。にもかかわらず、彰一も愛理も驚くことはなく、至って平常であった。そして、彰一は少し警戒心を滲ませた声で頷く。
「む、気をつけておくに越したことはないか。いつもすまんな、風鳴り」
『構わん。契約に従ったまでのこと』
馬車の中、御者席のすぐ後ろに刀が置かれていて、声はそこから出ていた。刀の銘は『風鳴』といい、巷では"知性ある剣"と呼ばれる存在で彰一の相棒であった。豊富な知識を持っており、神力と呼ばれる魔力とはまた別の力を用いて様々な術式を使いこなす風鳴りは"知性ある剣"の中でも稀有な刀であった。
彰一と風鳴りの付き合いは既に5年となる。その歳月が二人の間に信頼関係を結ばせていた。
「それでもいつも感謝しているのは変わりないさ」
『……』
二人が話していると、突然前方に見える森の中で膨大な魔力を用いた術式が発動される。そして、それから派生した魔力の波をいち早く感知した風鳴りが警告する。
『彰一、魔力波だ! かなり大きいぞ』
魔力波は文字通り魔力が波のように押し寄せてくる現象である。魔法を用いた時に必ず発生するが、膨大な魔力が含まれる魔力波となると、魔力に耐性のない者を魔物へと変えてしまうほどである。
それ故に風鳴りが珍しく慌てた様子で指摘すると、彰一は咄嗟に馬車内に入り愛理を抱き上げる。そうしてすぐに訪れた魔力波に数秒間晒される。やがて、魔力波が通り過ぎた時に残留した魔力は徐々に薄れていき、平時と変わらない程度になっていった。彰一には魔力を感知する力はないために、それを風鳴りが教える。
『もう、大丈夫だろう』
相棒からの安全宣言を聞いた彰一は愛理を降ろす。愛理自身は何が起きたのか分からなかったが、父に抱き上げられたことは嬉しかったために再度要求する。
「お父ちゃま、もういちど、もういちどおねがい」
愛娘に甘い彰一は抱き上げの催促を受けるとすぐに高い高いをする要領で抱き上げる。
「きゃあ~~~~♪」
愛理は突然高くなった視界に喜びの声をあげ、手足をばたつかせた。
「む」
その反動は彰一が思っていたよりも大きく、腕に力を入れて堪える羽目になってしまう。しかし、そのせいで安定感が増してしまい、少女は余計に暴れて、歓喜の声を馬車内に響かせる。
その時、少女がふと馬車の外に目を向けると、何かが自分達に近付いてきているのが見えた。何だろうと首をかしげていると、父である彰一が尋ねてきた。
「外に何か見えるのか?」
少し険しい顔付きの彰一にこくりと頷く。すると、彰一は優しく愛理を下ろし、床に安置されていた風鳴りを拾い上げる。そして、優しい顔付きで愛理の頭を撫でながらあやすように言う。
「暫く馬車の中に隠れていなさい。決して顔をそこから出してはいけないぞ」
「はーい」
「ん、いい子だ。じゃあお父さんは外に出ているからもし何かあったら大声を上げるんだぞ」
最後にもう一撫でをして御者席に戻る。そして、自分達に近付く何かを確認する。それは遠目ではあったが魔物の群れであることが見てとれた。そこで彰一は首を捻る。
「風鳴り、俺の目にはあいつら、恐怖から逃げているようにしか見えないんだが……」
『彰一には分からなかったろうが、あの魔力波はそれこそ最上位級の魔法でも発生しない規模だった。普通の魔物なら裸足で逃げ出す位当たり前だろう』
彰一の問いかけに風鳴りは何を言っているとばかりに呆れの成分を多分に含んで教える。それに彰一はムッとした表情で反論する。
「仕方ないだろう。お前だって俺の体質のことは──」
『む、そろそろ来るぞ。多分素通りしていくだろうが警戒を怠るな』
しかしその反論の途中で風鳴りが警告を発する。彰一は口をパクパクさせていたが、やがて諦めたように肩を落とす。そして、溜め息を一つ吐くと気持ちを切り替えて馬の前に出、風鳴りを抜刀し正眼に構える。
その頃には既に先頭を走る魔物との距離は10メートルを切っていた。普段であれば相手も自分を警戒して立ち止まる距離だったが、今回は例に反してそのまま素通りしていく。あたかもただただ森から離れることしか頭にないように。一匹、また一匹とそばを駆け抜けていく。その光景はまるで彰一達が中洲になっているかのようで、魔物の群れはそこだけ二手に別れ、馬車の後ろで合流するとそのまま逃げていく。
やがて大小合わせて数十の魔物全てが脇をすり抜けていくと、彰一はようやく構えを解いた。そして気になったことを風鳴りに問いかける。
「お前の言う通りだったが、普通なら俺達を吹き飛ばして進んでいったんじゃないのか?」
『普通ならばそうだ。しかし、今回はこの馬車の前にお前がいたからな。無意識にだろうが避けて通ったんだ』
忌み嫌っている自身の体質が自分と愛娘の命を救ったという事に憮然とした表情を見せる。その時、馬車の中から自分を呼ぶ声が聞こえてきた。間違いなく愛理である。
「……ま、戻るか」
風鳴りを納刀し、腰に佩いてから馬車の中に戻る。そこには彰一が予想していなかった光景があった。
「あ、あい、あい」
「ふみゅ? おさるさん? この子、おさるさんなの?」
あまりの驚きから愛理の名前を呼ぼうとして何度も噛んでしまう。それを愛理は猿のモノマネと取らえ可愛らしく首を傾げて尋ねる。そこで、ようやっとのことで彰一は落ち着きを取り戻し、愛理に尋ね返す。
「あ、愛理。その……愛理の足元にいる魔物はなんだい?」
愛理の足元には子犬くらいの大きさの魔物がきゃんきゃん吠えながら座っていた。犬型の魔物で特に見た目で変異している部分はなかったが、時折吐息に炎が混じっていた。愛理はその魔物の頭や顎、腹などをきゃっきゃ言いながら撫で回している。魔物のほうも愛理にされるがままで、気持ち良さそうな顔をしていた。
「えーっとね。ワンちゃん!」
一瞬考えた末に出た、清々しいまでに見当違いの答えに彰一はその場にがっくりと崩れ落ちる。それを見た魔物はたたたっと彰一に走り寄り、そのまま腰の所から登り始める。彰一はそれに気付いていながらも全く動かないでいると、魔物は頭まで登りきり、その上で高らかに勝利の雄叫びを上げた。
「きゃんきゃん!」
「わー♪」
ぱちぱちと手を叩く愛娘を怒ることも出来ず、彰一は黙ったまま魔物を両手で掴んで頭からそのまま床へ降ろす。その間魔物は身じろぎ一つせずにじーっと彰一のことを見つめていた。それに彰一も見つめ返し、愛理は二人の見つめ合いを黙って見守った。そうして、不思議な三者三様の状態で暫し無言の時間が流れる。
と、唐突に彰一が愛理を呼ぶ。
「はぁ、愛理」
「お父ちゃま、なに?」
「この魔物をどうするつもりだい?」
「うーんとね」
愛理は魔物を見つめ、うーんうーんと唸りながら考える。しゃがみ込んで唸っているその様は愛らしいの形容がぴったりであった。そうして、考えに考えて出した結論を父親に伝える。
「あのね、ワンちゃんもいっしょに行ったらだめ?」
目をうるうるさせ、胸の前で手を組んでお願いの姿勢を取る。その光景を腰から見ていた風鳴りは「落ちたなこれは」と呟いた。その呟きはごく小さなものであったために二人と一匹に気付かれる事はなかった。果たして、風鳴りの言葉通り、彰一は諦めの笑みで許可を出す。
「……いいよ」
「ほんと! ありがとう、お父ちゃま大好き」
あまりの嬉しさにしゃがんでいる父親に抱き付きそのまま頬を擦り合わせる。魔物のほうもきゃんきゃんと彰一の周りを走り回っていた。そんな喜んでいる二人に彰一は抱きつかれた時のでれっとしていた表情を引き締めて、条件を言い渡す。
「ただし! 世話は愛理がすること。もし森に行った時に離れる素振りを見せたらきちんとお別れをすること。いいね?」
「うん。ワンちゃんよろしくね」
「きゃんきゃん」
まるで愛理の言う事が理解出来ているかのように尻尾を振り、吠える魔物。その様子から彰一の脳裏にある考えが浮かび上がる。
(まさか縁と同じ力が? いや、そんなことはありえないだろう……。それに縁の場合は動物が相手だったしな。とにかくこの魔物が愛理や他の人を襲うようであれば恨まれてでも始末しないとな)
が、すぐに頭を振ってその考えを破棄。念のための覚悟も決める。そして、頭を切り替えて愛理に大切なことを尋ねる。
「愛理、その魔物の名前はどうするつもりだい?」
「あ、うーーん。どうしよっか?」
父親の尋ねにまたもや頭を悩ませるがすぐに当人に相談し始める。しかし、魔物はきゃんきゃん吠えながら彰一の周りを走り回るだけであった。
「ううーーん、そうだ! タロちゃん。タロちゃんにする」
「きゃんきゃん♪」
名前を大声で決めると魔物は尻尾を千切れそうなほどに振って喜びを露わにする。
その時、彰一の腰元から愛理達に気付かれないほどに小さく問いかける声があった。
『いいのか?』
「構わないさ……。この子にはいつも寂しい思いをさせているからな。それに大きくなって人を襲うようになったら俺が討伐すればいい」
後半の台詞は風鳴りにしか聞こえないよう声を潜めたものであった。風鳴りはまだ言いたいことはあったが、飛ばした思念は別のことについてだった。
『それより、あの魔力波の調査をしたい。どうせ目的地への道の傍にあるんだ。寄ってもらいたい』
「分かった。それについては俺も気になっていたからな。とりあえず本格的な調査は出来なくてもある程度のことは分かるだろう」
彰一はそう言うと、じゃれ合っている愛理とタロの頭を一撫でしてから御者席へ戻り馬車を出発させるのであった。
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