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第10話

 河の流れが涼しげな風を運ぶ。季節は夏であったが、辺りには水田が広がり、幾人かの農作業をしている人たちが見受けられた。その川と水田の間を通るかのように続いている道があった。その道は永瀬の街に向かっている。そこを、ゆっくりと進んでいる馬車があった。


「ほら、もうすぐ永瀬に着くぞ。起きるんだ」


 彰一(しょういち)が寝ている真衣(まい)涼子(りょうこ)に声をかけて起こす。愛娘の愛理(あいり)については宿に着くまで寝かせておくつもりであった。寝る子は育つ、である。

 しかし、真衣と涼子の二人については、これからこの世界で生きていくためにも社会勉強をしてもらわねばならなかった。そのために、彰一は手始めに街に入る時の手続きやどんな人々がいるかを教えていこうと思い、起こしたのである。

 風鳴(かぜな)りとの会話の時に二人の面倒を見ることを風の神より依頼され、安易に承諾してしまった彰一は腹を括っていた。


(もう、こうなったらとことんまで面倒を見てやるさ。それに、ここで放り出して路頭に迷われた揚句、身売りとかをされても寝覚めが悪いからな。仕方ない仕方ない)


 脳裏にはボロボロの服を着た真衣がその日の食事代を稼ごうと身売りをして、見ず知らずの男と寝ている光景が浮かびあがる。彰一はつい手をギュッと握りこんでいた。手綱がその握力にギリギリと悲鳴を上げるが彰一は気付かない。


『彰一、綱が切れるぞ』


 風鳴りがぼそりと呟く。その言葉にハッとなって頭を振り、すぐにその情景を消し去った。そこに、起き出してきた真衣から声がかけられる。


「あの、おはようございます」

「! あ、ああ。おはよう」


 時刻は既に夕方になりかけていて、おはようという時間ではなかったが誰もそのことに突っ込むことはなかった。

 それよりも、口に出すのも憚られることを妄想していた彰一は、当の本人から挨拶されたことで少しどぎまぎしてしまっていた。遠慮気味に挨拶をした真衣のほうはその様子に少し首を傾げる。しかし、すぐに彰一が体裁を取り繕って挨拶を返されたので言及することはなかった。その代わりに頭を下げた。


「あの、ごめんなさい。街まで送ってもらっているのに、すぐに寝てしまいまして」

「いや、別に構わない。それより愛理と一緒に寝てくれて助かった。一人で寝るのが嫌でいつも御者席で寝ているから危なかったんだ」

「あ、いえ、そんな。気にしないでください」


 彰一ににっこりと微笑まれた真衣は顔を赤くしてわたわたと両手を振る。そして、真衣はただ微笑まれただけなのに赤くなっていることを自覚し、恥ずかしさのあまり俯いてしまう。

 彰一は真衣の顔の赤さが気になり、つい下から覗き込んでいた。


「大丈夫か? 少し顔が赤いようだが?」

「だだだ、大丈夫です、ほんとに大丈夫ですから!」

「いや、しかし……もしかして森にあった植物でかぶれたとか」

「あの、ほんとに大丈夫ですから。それと、か……」

「か?」

「……顔が近いです」

 

 蚊の鳴くような声で言われ、彰一は初めて自分が真衣に迫っていることに気付いた。すぐにばっと離れ、距離を取る。彰一はばつの悪さから髪をガシガシと掻いて前に向き直り、真衣は顔を真っ赤にしながらも彰一の方をちらちらと見ていた。二人の間に微妙な雰囲気が流れ出したその時、そこにもう一人から彰一に声がかかる。


「おっはようございまーす!」


 元気のよい挨拶は涼子のものであった。馬車に乗るまでは、逃げ疲れたからかずっと疲れた様子であった。しかし、短時間でもぐっすりと寝てすっきりしたのか、元気溌剌としていた。その元気娘はすぐに真衣の様子がおかしいことに気付いた。


「あれ? 弥生おねーちゃん、どしたの? 顔真っ赤だよ?」

「な、なんでもないよ」

「ふーん。まぁいいや。それより」


 涼子は彰一の隣まで行くと、そのままその席に腰かけた。そしてきらきらした目で彰一を見上げた。


「彰一さん」

「ん、なんだ?」


 ちらりと横目で涼子を見る。もうすぐ永瀬の城門に辿り着く頃合いで、自分達の先には幾つかの馬車が列になって進んでいた。それに当たらないよう注意しながら応じる。


「彰一さんて、愛理ちゃんと二人で旅をしているんですよね?」

「あぁ、そうだ。ちょっと理由ありでね。一つの所にずっといる事が出来ないんだよ」

「そうなんですか。じゃあじゃあ、奥さんはどうしたんですか?」


 ずばりと真正面からの質問に、彰一は少し驚いた表情を見せる。彰一の後ろでは真衣がムンクの叫びのように両手を頬に当てて顔を真っ青にしている。そして、真衣が涼子を叱る前に、彰一は遠い目をしながらポツリと呟きを返した。


「三年前に亡くなった。まだ愛理が二歳の頃だ」


 そう語る顔には深い後悔が刻まれていた。涼子は想定していた以上に深刻な問題がありそうなことに一瞬(ひる)みかけた。が、すぐに気を取り直して再度尋ねかける。


「ということは今はフリーなんですよね?」

「フリー? どういう意味だ?」

「あちゃー。えっと、今は一人身なんですか?」


 フリーという言葉に聞き覚えがない彰一が聞き返すと、真衣は自分の額をぺちっと叩いて下を出す。そして改めて直球を投げかけた。

 その遠慮のない質問に真衣は、急いで涼子の口を塞いで幌の中に戻りたくなった。しかし、真衣自身何故かは分からなかったが足が動かず、そのまま彰一の後ろで佇んでいるだけだった。ちゃっかり聞き耳をたてている自覚なしに。

 彰一のほうは涼子のぶしつけな質問に怒ることなく、苦笑を浮かべて問い返した。


「一人身か……。今は愛理がいるしな、その表現は当てはまらないんじゃないか?」

「あうう。それじゃあ……えっと……あの……」


 言葉を探すように中空に指で文字を書き連ねていく。必死に言葉を探すその様子に彰一は後ろを振り返り、真衣に小さな声で問いかけた。


「この子はいつもこんな感じなのか?」


 突然話を振られ少し吃驚したように肩を揺らす。そして、すこしあたふたしながらも言葉を返した。


「え、あ、はい。涼ちゃんは結構一人の世界に入ったりします」

「なるほどな。色々苦労しているんじゃないか?」

「あは、あははは」


 彰一の問いかけに乾いた笑みを返す。

 涼子は普段は元気に接客し、神社内の説明などもそつなくこなしているが、時折今のように考えごとに熱中し過ぎて相手をほったらかしにすることがあった。真衣もその場面に居合わせ、客を相手にフォローさせられたことが何度かあった。初めての時はバイトしだして間もない頃で、知識も碌になくて四苦八苦していた。その時の苦い記憶が脳裏をよぎっていた。

 彰一が真衣に何か言おうとした時、袖が引っ張られる。そちらを向くと涼子が不満げな顔をしていた。


「彰一さん、ちゃんと聞いてください」

「ああ、すまない。で、結局何だったんだ?」


 彰一が相手をするとにっこりと微笑んで、上機嫌で口を開いた。


「じゃあ、ずばり今恋人はいますか?」

「いない」


 彰一が間髪いれずに否定すると、涼子はもとより真衣も目を丸くする。そして、真衣は彰一に恋人が、伴侶が現在いないことに少しだけほっとし、小さな笑みを浮かべる。


(よかった。今はいないんだ……ってなんで私はそんなことで喜んでいるのよ)


 真衣が自分自身に突っ込みを入れている横で、涼子が驚きのままに感想を口にする。


「ええ!? ほんとですか? 彰一さん、もてると思ったんですけど」

「愛理がいるし、旅もしているからな。さすがにこんな男に付いて来てくれるなんてモノ好きはいないさ」


 ははは、と乾いた笑いを浮かべる彰一。涼子はその言葉に反発した。


「ええー。愛理ちゃんだって素直で可愛いですし、旅をしているって言ったって何処かに住むつもりなんでしょ? だったら別にいいと思うんだけどなー」


 涼子が口にした言葉に、真衣は心の中で同意を示す。しかし涼子が彰一にずずいっと詰め寄った後に言った言葉には仰天する羽目になった。


「じゃあ、その、恋人に私が立候補してもいいですか!?」

「えっ?」


 思わぬ言葉に今度は彰一の目が点になる。後ろにいた真衣は驚きのあまり口を手で押さえていた。そんな二人の反応を余所に、涼子は言葉を続けた。


「だってだって、彰一さんかっこいいし、頼りがいあるし、助けてくれたし。それにこんな世界に飛ばれて弥生おねーちゃんはいるけど知り合いなんて全然いないし」 

「しかしだな、会って間もないし、年の差だってあるんだぞ?」


 彰一が涼子の勢いにたじろぎながらも反論する。後ろにいた真衣もうんうんと頷いていた。しかし、涼子は止まらなかった。


「大丈夫です! 愛の力の前に年齢差なんて関係ありません!!」


 力強く断言する様子に真衣は胸の内にもやもやしたものが湧き出ていた。自分でもその正体が分からないもやもやに突き動かされて、ついと二人から目を背ける。そんな真衣に気付くことなく、彰一は大きな声で笑い出した。


「あっはっはっは。なるほど、確かに愛の前に年齢差はないな」


 その言葉に真衣は更にもやもやしてくる。しかし、彰一の次の言葉でそれは霧散していった。


「ただな、まだ会ったばっかであんなことがあったから不安がっているだけだ。とりあえずもうすぐ永瀬だ。そこで宿を取るから一晩ゆっくり寝るといいさ」


 そう言って指差した先には河に隣接するようにして出来上がっている街が見えて来ていた。

読んで下さりありがとうございます。

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