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授業と人生

作者: 飽き感

 僕は、どちらかというと落ちこぼれている人間である。中学三年生のときになまじ勉強が出来てしまい、背伸びして少し割の合わない高校へ入学したことがそもそも過ちだった。『十で神童十五で才子二十過ぎればただの人』という言葉があるが、それはもしかして僕をいじめるためだけに作られた言葉ではないかと被害妄想するくらいだ。まあ僕は齢十六にしてただの人となっているのだから、モデルとなった人物よりもしょぼい存在であることは言うまでもない。

 今日は別に僕のことについて話そうという気はない。それはなぜかと訊かれると、特に理由はない。いやはや、おかしなことを言っているとは思う。確かに僕は少し頭がおかしい人かもしれない。それは別に、喜ばしい意味で人と違うわけではなく。

 それはさておき、ならば僕が何を語るかについてまずは語ろうと思う。語るためにまずは説明を語り、説明をさらにわかりやすくするために語る。語り、さらに語って語って語って…………煩わしいので、本題のみを語ることにする。どうも僕は脱線や前置きが多くていけない。


 さて、僕は高校球児だ。他の生徒の模範であれという監督の信念の下、僕を含む野球部は活動している。活動はしているのだけれども、実質部員が他の生徒の模範であるかというのは定かでなかったりする。定かでないというのは、定かとしないことで結論から逃げていると取ってもらってまったく構わない。他の生徒の模範となっていない野球部員、すなわち僕だ。

 授業中は起きていなければならない。校風から考えてもそれが当たり前なのだが、僕は時々うつらうつらしてしまうのだ。もちろん起こされ、怒られる。起こしてくれるのは隣の優しい女子生徒だったりするのだが、怒るのは主に僕と同学年の野球部員だ。これはできれば改善していただきたい。怒るのも隣の優しい女子生徒(可愛ければなおよし)にしていただければ、俺は毎時間寝るだろう。……この結論が色々と間違っているのは僕自身も自覚しているので、深くツッコマないでほしい。


 実は以上こそが全て前置きだった、ということを明らかにしておこう。本題はこれからだ。千文字経たずして僕の主張が、中学校で習う立体図形のねじれ問題ほどに簡単に捻くれているのはこの際スルーしてほしい。

 前置きに関連するのだが、もちろん僕とて毎時間寝ているわけではない。あくまで現状の話であるが。もし怒ってくれるのが優しくて可愛い女子生徒だったら、これからどうなるか知ったことではないが。むしろ毎時間寝るのもやぶさかではないが。

 ともかくとして、僕は毎時間寝ているわけではない。ちゃんと色々なことを考えているのである。……正直に言うと、授業以外のことを考えていたりする。ここで僕は「先ほど僕は落ちぶれていると言ったじゃないか」と主張しておこう。だからなんだという話であるが、皆から向けられる冷たい視線は想定の範囲内さ。問題ない。

 で、僕は最近たまたまにして。以下のようなことを考えたのである。


 人生というものは、授業に似ている。ならば授業中に惰眠をむさぼる僕は人生をナメているのかという疑問が生じるが、やはりここもスルーしていただきたい。なんかここ数分で皆様のスルースキルが格段にアップしているような気がするが、気のせいに違いない。

 果たしていったいどこが似ているかというと、これは順を追って説明せねばなるまい。順を追わずして――物事をそう簡単にスルーして生きていけるほど、人生は甘くないのだ。

 まず始業。これは言うまでもなく生まれる瞬間だ。次に授業本分。これも言うまでもない、人生の経過だ。最後に終業。これまた言うまでにもあらず、死である。

 ここまで考えて「確かに深く掘り下げれば、人生とまったく似てないわけではないだろう」と僕は思った。しかしそれは逆に言うと「深く掘り下げなければ、人生とはほとんど似ていないのだ」ということに他ならない。さてここで、僕の考えていたことは無駄になったかのように思われる。授業の内容を聞かずして無駄を作ったのだから、損害さえ生じているように思われる。

 まあだけど、考えることこそが大切なのだ。歴史に登場するような人物(不名誉な出来事で登場した人はともかく)だって、何も考えずにぽんぽんと偉業を成し遂げたわけではないだろう。これは決して無駄にはならないのだ。僕は一つの答えを導き出したではないか。

 授業と人生はほとんど似ていない。

 …………まあ、損害はしっかりと生じている。それは今度あるテストが証明してくれるだろう。


 ここで締めるべきなのかもしれないが、ところで僕はこのようにも考える。

 始業や終業の挨拶こそ、人生なのではないだろうか。起立で生まれ、礼が中身。着席が死……というのはいささか違うような気もするけれど。

 だけど、礼は気持ちが大事だろう? すなわち人の中身が必要となる。それは間違いなく人生と同じだ。飛躍させれば挨拶こそ人生であると、僕には言えないこともないような気がするのだ。

 そして何より。挨拶が人生であると教えてくれるそれは、どうあっても授業の一環であるわけで。

 ここで初めて、授業は人生と似ているんじゃないかと思う。


 とまあ、こんな形で今回の戯言を綺麗にまとめようと思う。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「学ぶ」という点では同じかもしれませんね。 積極性が大事なことも。
2012/02/17 20:55 退会済み
管理
[良い点] おおい、授業に集中しなさいってw 言ってる事には一理あるのにw
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