9.孝太朗の闇
【後藤孝太朗の視点:絶望の合理】
「……減らないな」
グラフの曲線は、どれだけ手を尽くしても変わらない。治療も抑制も、ただの「延命」であり、終わりを先延ばしにしているに過ぎない 。救っているつもりで、実際には誰も救えていないという事実が、孝太朗の心を摩耗させていた。
「君は戦ってる。命を懸けてる。それは認めるよ」
振り返った孝太朗の瞳には、昏い闇が宿っていました。
「でもね、玉木さん。あなたは希望っていう馬鹿みたいなものを、本気で信じてるんだろ?」
「必ず救える」「誰も犠牲にしない」「未来は変えられる」 。
そんな甘い綺麗事を吐き出す玉木に対し、孝太朗は嘲笑を浮かべる 。
「君が一人守る間に、何百人が壊れていく。君の正義は、誰かを見捨てて成り立ってるんだよ!」
その怒りは、救えない現実に対する、彼なりの悲痛な叫びでもあった。
【玉木隼人の視点:静かなる決意】
孝太朗の言葉は、ナイフのように玉木の胸を突き刺した。
映し出される死亡者数は、紛れもない現実。自分の手が届かない場所で、命が消えていくことも事実 。
「……違う」
玉木はゆっくりと、けれど力強く首を振った。
「俺は、見捨てる選択をしない」
全部は救えないかもしれない。けれど、「救おうとすること」をやめてしまったら、その瞬間に世界は本当に終わってしまう。 それが、織田先生から教わった「英雄」の、泥臭い答えだった。
「救おうとすることだけは、やめちゃいけないんだ」
「――だから君は、何も変えられない」
孝太朗はそう言い残し、プロトカードを取り出しました 。
「綺麗事で滅ぶくらいなら、俺は汚れてでも進む」 。その言葉と共に、彼はかつての絆を断ち切り、闇の中へと消えていった 。
降りしきる雨の中、孝太朗はプロトカードから溢れ出す黒い霧を纏い、無機質に「素材」の回収を続けていた。
彼にとって、目の前の光景はただの「効率的な処理」でしかなかった。
「……何の用だ。ここはもう、あんたが授業をするような平和な場所じゃないぜ」
背後から近づく足音に、孝太朗は振り返りもせず言い放った。そこに立っていたのは、泥にまみれながらも、鋭い眼光を向けてくる織田先生だった。
「孝太朗。……そのカードを置け。お前の親父が何をしてるか、全部聞いたぞ」
「……あぁ、そう。だったら話は早い。親父の邪魔をするなら、あんたも『素材』として回収するだけだ」
孝太朗はゆっくりと振り返る。その瞳は、かつて先生の冗談に笑い転げていた少年の面影はなく、深い闇に塗りつぶされている。
「無駄な時間を過ごすのはやめて、さっさと避難所にでも隠れてろ。……ゴミの分際で、俺の邪魔をするな」
織田は、咥えていた煙草を雨の中に吐き捨てた。
教え子の口から出た「ゴミ」という言葉。そして、完全に人間を「物」としてしか見ていないその態度。織田には、孝太朗が何か巨大な嘘に塗りつぶされているように見えていた。
「……ガキが、一丁前に悟ったような口きいてんじゃねえぞ」
織田は一歩、迷いなく孝太朗の懐へ踏み込んだ。
「覚醒病だか何だか知らねえがな、目の前で腐ってる教え子を放置できるほど、俺の肝は据わっちゃいねえんだわ!」
――ドゴォォッ!!
織田の拳が、孝太朗の頬を正面から捉えた。
プロトカードの防御膜を、気合だけで突き破るような一撃。孝太朗の身体が、濡れたアスファルトの上を転がった。
「が……はっ……!? あんた、正気か……? 俺のカードが、なんで……」
「カードが何だ! バケモノが何だ! 自分が特別にでもなったつもりか? お前はただの、道を踏み外した俺の生徒だ!」
織田は倒れた孝太朗の胸ぐらを掴み、力任せに引きずり起こした。
「いいか、後藤。親父が何と言おうがお前は人間だ。道具なんかじゃねえ。……立て、この馬鹿野郎。泣き言は、俺をぶっ倒してから言え!」
「……人間……?」
殴られた頬の熱さ。脳内に響く織田の声。
その瞬間、孝太朗の意識の奥底で、激しいノイズが走った。
(なんだ……この感覚。俺は、ずっとこうして、父さんの役に立つために……)
幼い頃、父とカードゲームで遊んでいた、断片的な記憶がフラッシュバックする。
けれど、その記憶の先にあるはずの「空白」――自分が一度死んだという事実には、強力なプロテクトがかかっていて届かない。
「……黙れ。あんたに、俺の何がわかる……っ!」
孝太朗は織田を突き飛ばし、狂ったようにプロトカードを起動させた。
自分が「死者」であることも、「蘇生された模造品」であることも知らぬまま、彼はただ、自分を縛る「正義」という名の闇を振り払おうと、さらに暴走していく。
【小瀬栞(現在)の視点:観測】
私は、離れた場所からその光景を震えながら見ていた。
未来の私が持っていたデータには、こんなシーンは存在しなかった。
『――警告。後藤孝太朗の精神状態に深刻なバグを確認。……彼は、自分自身の『死』というプログラム上の矛盾に直面しようとしています』
「……先生。……止めて。後藤君が、壊れちゃう前に……」
私は、未来の記録には存在しなかった「希望」と、それを上書きしようとする「残酷な真実」の間で、ただ立ち尽くしていた。




