2.虚像の出会い
【玉木隼人の視点:表】
謎の少女が消え、手元に残された不気味なカードを見つめていた、その時だった。
――ガァァァァァッ!!
鼓膜を裂くような、獣の咆哮。
校門のすぐそば、路地裏から、ソレは姿を現した。
「……え?」
言葉を失う。
それは、人間だった。……あるいは、数分前までは人間だったモノだ。
制服を引き裂き、背中からは脈動する異形の肉塊が生え、顔半分は硬質の鱗に覆われている。
ニュースで見た『覚醒病』。……都市伝説じゃなかったのか。
怪物は、淀んだ瞳で僕を捉えると、アスファルトを削りながら突進してきた。
「う、うわぁぁぁっ!!」
逃げなきゃ。脚を動かせ。……なのに、恐怖ですくんで動かない。
怪物の鋭い爪が、僕の喉元へ振り下ろされる――。
――その瞬間。ポケットのカードが、焼けるような熱を放った。
『融合係数、正常値クリア。――プロトコル:レッドドラグーン、起動』
脳内に直接、無機質な声が響く。
次の瞬間、僕の意思とは無関係に、右手が勝手に動いた。
「が……はっ!?」
カードを怪物の爪に向けて突き出す。
すると、カードから爆発的な紅い光が放たれ、怪物の攻撃を弾き飛ばした。
「何だ……これ……?」
自分の手を見る。
僕の皮膚の下、血管が紅く発光し、全身にマグマのような熱が駆け巡っている。
痛い。骨がきしみ、筋肉が強制的に書き換えられていくような、凄まじい激痛。
『適合率45%。……実体化を開始します』
痛みが絶頂に達した瞬間、僕の背後に、巨大な影が現れた。
紅蓮の鱗、鋭い牙、空間を圧する圧倒的な威圧感。
「ドラ……ゴン……?」
それは、僕の想像を遥かに超えた、本物の『バケモノ』だった。
けれど、不思議と恐怖はない。
むしろ、この強大な力が、僕の身体と繋がっている――そんな全能感が、激痛を上書きしていく。
――『殺せ』。
脳裏に、誰かの命令が響く。……いや、これは僕自身の本能か?
僕は、怪物に向けて、無意識に右手を振り下ろした。
それに呼応し、背後のレッドドラグーンが、口から灼熱の業火を放つ。
――轟っ!!!
紅蓮の炎が、覚醒病の怪物を一瞬にして包み込んだ。
怪物は悲鳴を上げる暇もなく、灰へと姿を変え、冬の風に掻き消されていく。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
炎が消え、ドラゴンの姿も霧のように霧散した。
全身の力が抜け、僕はその場に膝をつく。
血管の発光は収まったが、身体はまだ、熱を帯びている。
手元に落ちたカードは、心なしか、さっきよりも不気味な輝きを増していた。
「……僕は、一体……」
これが、あの少女が言っていた『英雄』の力なのか。
人間を辞めることで手に入る、残酷な救済。
僕は、震える手で、そのカードをもう一度拾い上げた。
【次の日】
昨日の出来事は、夢だったんじゃないか。
そう何度も自分に言い聞かせた。けれど、制服のポケットに潜むカード――あの鈍い銀色の光沢と、指先に伝わるかすかな脈動が、それが紛れもない現実だと告げている。
「……あ、玉木! おはよ。顔色悪いよ、大丈夫?」
教室に入ると、いつも通りひよりが心配そうに顔を覗き込んできた。
「あ、ああ、大丈夫。ちょっと寝不足なだけだから」
「またまたぁ。玉木のことだから、昨日の変な美少女のことでも考えてたんじゃないの?」
前の席から孝太朗がニヤニヤしながら首を突っ込んでくる。……こいつ、どこまで知ってるんだ? 一瞬、心臓が跳ねた。
「……何のことだよ」
「え、校門のところにいた子だろ? 俺もチラッと見たぜ。すげー美人だったけど、なんか近寄りがたいオーラ出してたよな」
孝太朗がそこまで言いかけた時、担任の教師が教室に入ってきた。その後ろには、一人の少女が立っている。
教室の空気が、一瞬で凍りついた。
短い黒髪。どこか影のある、透き通るような肌。
昨日、僕にカードを渡し、あの怪物を焼き払うきっかけを作った、あの少女だった。
「……転校生の、小瀬栞さんだ。みんな、仲良くするように」
「……小瀬、栞です。……よろしくお願いします」
消え入りそうな声。
けれど、僕を見つめるその瞳は、昨日僕を圧倒したあの鋭さはなく、何かに怯えているように激しく震えていた。
【小瀬栞(現在)の視点:裏】
吐き気がする。
教室のドアを開ける直前、私は何度も深呼吸を繰り返した。けれど、掌の汗は止まらなかった。
(どうして……どうして私がこんなことをしなきゃいけないの?)
私の脳裏には、昨日『未来の私』から手渡された資料の内容が焼き付いている。
この教室の何人が、数ヶ月後に怪物になるか。
そして――。
私は、教室の中央で呆然と私を見ている少年、玉木隼人君を視界に入れた。
彼がどれほど凄惨な戦いに身を投じ、そして私の腕の中で死んでいくのか。未来の私が残したあの写真の光景が、フラッシュバックして視界を歪ませる。
「……小瀬、栞です」
なんとかそれだけを絞り出した。
本当は今すぐ叫んで逃げ出したかった。けれど、ポケットの中にあるCicadaの端末が、冷たく重く私を縛っている。
(私は、彼を守らなきゃいけない。……でも、私は彼のことを何も知らない。話したこともないのに……っ)
休み時間。案の定、彼が椅子を蹴るような勢いで立ち上がり、私の席までやってきた。
「あの……小瀬さん。昨日、会ったよね? 校門の前で、僕に……」
玉木君の声は、期待と混乱に満ちていた。
彼は私を、何か特別な事情を知っている『導き手』だと思っている。
けれど、私の中にあるのは、未来の自分への恐怖と、彼への申し訳なさだけだ。
「……いいえ。存じません。……人違い、じゃないでしょうか」
私は、震える声を必死に抑えて、冷たく突き放した。
未来の私が残したメールには、こう書いてあったから。
『彼に、悟られてはダメ。あなたはただの、内気な転校生を演じ続けなさい』
「え、でも、あんなにハッキリ……」
「……すみません、体調が悪いので」
私は彼から目を逸らし、逃げるように教室を出た。
廊下を走りながら、私は自分の卑怯さに泣きたくなった。彼は、私を信じようとしている。なのに私は、彼を騙して監視しているのだ。
【後藤孝太朗の視点:観測】
屋上へと繋がる階段の踊り場で、俺はスマホの画面をタップした。
画面には、教室に仕掛けた小型カメラの映像が映っている。玉木が小瀬栞に突き放され、困惑して立ち尽くす姿。
「……ククッ、演技派だねぇ、小瀬さん」
俺はいつもの『バカな親友』の仮面を脱ぎ捨て、冷徹な手付きでデータをCicadaの本部へ送信した。
「親父……龍馬さん。玉木隼人の融合係数、初戦後の数値が出ました。安定しています。……それと、小瀬栞との接触を確認。予定通り、『監視役』としての配置は成功したようです」
通信を切ると、俺はわざとらしく欠伸をして、またいつもの能天気な顔を作った。
「さてと……親友の悩み相談にでも乗ってやるか。……地獄に落ちるその日までな」
俺は、踊り場から玉木のいる教室へと、ゆっくりと歩き出した。




