10.大人の義務
【後藤龍馬の視点:合理的支配】
降りしきる雨の中、後藤龍馬は傘も差さずに教え子を抱える織田の前に立った。
「久しぶりだな、織田先生。……授業参観も、三者面談も一度も行けず、すまなかったな」
その声には、謝罪の響きなど微塵もなかった。織田は孝太朗を庇うように立ち塞がり、龍馬を睨みつける。
「今更どの面下げて来やがった。……お前の息子は今、泣き出しそうな顔してんだぞ。親なら、まずその顔見てやれよ」
「泣き顔? ……それはプログラムのバグだ。織田先生、君が信じている『義務教育』や『学校』……それは、政府が使い勝手の良い家畜を育てるために作った、洗脳装置に過ぎない。純粋な子供から個性を奪い、均一な労働力として型に嵌める。そんな場所に、私の最高傑作を預ける価値など最初からなかったのだよ」
織田は鼻で笑い、龍馬の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄った。
「洗脳、ね。……理屈っぽくて反吐が出るぜ、エリートさんよ。確かにな、学校なんて不自由で、窮屈な場所かもしれねえ。俺だってそう思う時はある」
織田は、雨に濡れて震える孝太朗の肩に、熱い手を置いた。
「だがな! 子供たちがそこで過ごす時間、バカみたいに笑い合う青春、ぶつかり合う友達……それは、お前が計算機で弾き出す数値よりも、遥かに尊い『宝物』なんだよ! 我々大人の義務ってのはな! その輝きを曇らせず、彼らが自分の足で立てるまで、泥にまみれて育て上げることだ! そのための教育だ、この分からず屋が!」
「……感情論だな。無価値だ」
龍馬は冷たく切り捨て、織田の手を振り払うように孝太朗を注視した。
「織田先生。君がこれほど熱弁を振るう相手は、もうここにはいないんだ」
「……あ?」
「孝太朗。お前がその男の言葉に心を揺らしているのは、単なる未練だ。……思い出してみろ。10年前のあの雨の日。私と一緒にカードゲームを買いに行く途中で、トラックが突っ込んできたあの日を」
孝太朗の脳内に、真っ白なノイズが走る。
冷たいアスファルト。血の匂い。遠のいていく父の叫び声。
「お前はあの日、死んだんだ。……今のお前は、プロトカード『アンデッド・ヒューマン』によって再現された、精巧な模造品に過ぎない。織田先生、君が教育だ、青春だと語りかけているのは、肉体ではない。……死者の残留思念を固定した、コードの塊だ」
【後藤孝太朗の視点:崩壊】
世界が、反転した。
織田先生に殴られた頬の熱さが、急激に冷えていく。
(俺は……死んでいる……?)
自分の手を見る。
雨に濡れたその皮膚の質感さえも、今はただの「透過するデータ」に見えてしまう。
父さんと笑い合った記憶。先生に叱られた記憶。玉木と一緒に過ごした放課後。
それらすべてが、死者の見る夢、プログラムのシミュレーションに過ぎなかったのか。
「……あ、あ、あああああああああああああッ!!」
孝太朗の胸の奥から、言葉にならない咆哮が漏れた。
プロトカードが、主の絶望に呼応して真っ黒な閃光を放つ。
「……分かったよ、父さん。……教育も、友達も、全部……『死んでいる俺』には、必要ないものだったんだね」
立ち上がった孝太朗の瞳からは、光が完全に消失していた。
彼は織田先生を見向きもせず、空を見上げた。
そこには、まだ見ぬ脅威を迎え撃つための、虚無の力が渦巻いていた。
【小瀬栞(現在)の視点:沈黙】
私は、離れた場所でその光景を記録し続けていた。
織田先生の必死の叫びが、龍馬の「真実」という冷徹な暴力に握りつぶされる瞬間を。
『――警告。後藤孝太朗の個体識別名が変更されました。……人間:後藤孝太朗を削除。……兵器:アンデッド・アビスを登録』
「……嘘。……そんなの、あんまりだよ……」




