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「私、不眠症なんだよね」
「――マジで?」
「そう。結構前から」
「それって、もしかして俺が死んでからのこと?」
「うん。そうだよ。志度が死んでから上手く寝ることができなくなったの。私。睡眠剤飲んでだましだまし寝てたな。25歳のとき。」
「仕事とか、きつかったんじゃない?」
「うん、すごいしんどかったよ。酷い時、睡眠時間1時間くらいで仕事行ったこともあったな。今となっては遠い過去だけどね」
「――そうだったんだ」
「うん。私の人生ね、全然上手くいかないんだ。毎日、ふらふらだったな。だけどね、1回目タイムスリップしたとき、久々にゆっくり寝ることができたんだ。どうしてかわかる?」
「どうして?」
「志度が生きていたからだよ。志度が生きてたから眠れたんだよ。あの日だけ。それで、次の日に志度が死んだでしょ。そのあとから、またすぐに不眠症になったの。眠剤飲まないと寝れなかったの」
「俺が生きていたら、日奈子は不眠症にもならなかったんだろうな」
「うん。私もそう思う」
「ホント、どうしてこうなったんだろうな。なんで、片方が死ななくちゃならなかったんだろうな。――生きていたら、そんなことにならなかったのにな」
「ホントね。私達、経験しなくてもいい経験をしてるのかもって、思っちゃう。――私ね、志度が死んだこと、本当に深い傷になってたんだと思うんだ。その傷がずっと癒えなかったから、志度が死んだ10年、私の人生歩むことができなくなったのかもしれないね」
「日奈子、もう、そんな思いさせないから。これからの10年、絶対、お互いに楽しくなるよ。日奈子が経験した25歳とも違うし、俺が経験した25歳とも違う結果になってるよ。きっと。だから、夢で終わらせないようにしよう」
「うん。だから、今日はさ、私が眠らないように監視して」
「いいよ。俺のことも監視しろよ」志度は笑いながらそう言った。
「うん。絶対に寝かせないから」と私はそう言って、笑った。
「こういうとき、酒欲しくなるよな」
「うん。飲もうよ。ねぇ、一杯おごって」
「なに飲む?」
「ハイボール」
「やるな」
志度はそう言って、呼び出しボタンを押した。
ハイボールが入ったグラスが出された。店員は私と志度が未成年であることを疑いもせず、そのまま酒を出した。お金さえ払えば、大体のことは多目に見てくれる。そういう暗黙のルールで社会は回っている。目の前にグラスがもうあるんだから、すでに私達の責任ではないと思った。
志度とグラスを合せた。グラス同士がゆるく触れた音がした。志度は慣れたようにハイボールを飲み始めた。私もハイボールを口に含んだ。安いウイスキーの苦味と炭酸を口の中で感じた。ハイボールを飲み込むと食道がアルコールで熱くなるのを感じた。
「さすがにファミレスだから、酒なさすぎだよな」
「飲むところじゃないからね」
「安いワインか、ビールか、ハイボールだったら、やっぱハイボールだよな」
「そうだね。私もそう思った」
「お酒、一緒に飲むの初めてだな」
志度はそう言ったあと、もう一口ハイボールを飲んだ。
「そうだね。志度と飲みたかった」
「俺もだよ」
志度のグラスはもう残りわずかになっていた。
「ピッチ早くない?」
「こんなもんでしょ」
志度はグラスを飲み干して、呼び出しボタンを押した。
「なんかさ、早く酔いたくなった。むしゃくしゃして」
「ちょっと、一人で飲んでるわけじゃないんだからさ、先に勝手に酔わないでよ」と私はそう言って、笑った。
「俺、結構強いから、最初から飛ばさないと酔わないのさ。だから許して」
「いいよ。信じるよ」
「ありがとう。いい子ちゃんじゃないから、どんどん飲むわ」
志度がそう言ったとき、店員が来た。志度はまたハイボールを頼んだ。
「なあ」
「なに?」
「楽しかったな。今日」
「うん、楽しかったね」
「こんな気持ちになれてよかったよ」
「うん、私も」
「これからもずっと、一緒にいよう」
「もう、当たり前でしょ。――結婚してくれるんでしょ?」
「うん。本当は今日、区役所に行って、婚姻届出したいくらいしたいよ」
「まだ出来ないのにね」
「俺が18になってないからな」
志度がそう言ったあと、おかわりのハイボールを店員が運んできた。
「ねえ」
「なに?」
「お酒飲んで、おでこ痛くないの?」
「うん、痛いよ。今。縫ったところズキズキする」
「そうだよね。そう思った」
私はそう言って、笑った。
「いや、笑い事じゃないからね。痛いもん」
志度はそう言って、笑った。
「なあ、日奈子。俺がもし、あの時、死んでたらどうなってたんだろうな」
志度はそう言って、ハイボールを口づけた。
「――もう一回、タイムスリップしたかも。今度は小樽になんか行かないで、安全なところで二人でいい子になって閉じこもるの」
「冬眠するクマみたいだね」
「うん。危険な日は冬眠するんだよ。そして、そっと災難がすぎるのを待つ。――そういうことしてたかもしれないね。だけど、次、タイムスリップしても、25歳の今の志度には会えないかもしれないね」
「そっか。25歳の俺が死ぬわけだからね」
「そう。そういうこと。結局、タイムスリップしても頭の中、ぐるぐるするだけだったかもね」
私はそう言ったあと、ハイボールをごくごくと喉に流しこんだ。食道が一気に熱くなるのを感じた。
「だから、今日、志度が死ななくて本当によかった」
「あぁ。俺もそう思ってるよ。このくらいの怪我で済んでよかったわ」
「痛そうだったけどね。――あの時、私を守ってくれてありがとう」
「ううん」
「志度が死ななくてよかった。死なれたら困るよ、私。また、何も面白くない人生を過ごすことになるんだから」
私は泣きそうになるのをごまかすためにハイボールをまた一口飲んだ。
「なあ、日奈子」
「――なに」
私がそう言うと志度は両手で私の左手を握った。
「いいか、よく聞けよ。ずっと一緒にいよう。どんなアクシデントも今日みたいに乗り越えよう。そして、二人で幸せを掴もう。思いのままに」
志度の目が少し潤んでいるのがわかった。私は残された右手で志度の手をさらに握った。我慢できなくなった涙が一粒流れ出した。そして次々と涙が溢れ、頬を伝った。
「ごめん。泣いてばかりだね」
私は感情の波がおだやかになってからそう言った。
「泣いてもいいよ」
「あ、ズルい。自分は我慢して泣かないくせに」
私は笑ってそう言った。口角を上げたとき、まぶたが腫れぼったくなっているの感じた。
「俺は絶対、泣かないから。日奈子のハイボール、もう氷溶けて薄まってるよ」
志度はそう言ったあと、ハイボールを一口飲んだ。
「私ね。ずっとこうしたかったの」
頭がカクンと下がった。そして、一瞬寝そうになっていたことに気づいた。
「――日奈子?」
「志度と。ずっと、こうして――話したり、一緒にいたかった」
意識が朦朧とする。頭の中が空っぽになっていく感覚が襲ってきた。
「俺もだよ」
「ずっとね。――もう、戻りたくないよ。――志度。離さないって言って」
「離さないよ。日奈子」
志度はそっとした声でそう言った。私はそれを聞いたあとテーブルに突っ伏した。セーターの袖はすぐに涙で滲みた。吸い込まれそうな腕の中の暗黒は、私の意識が現実なのか仮想なのかわからない心地よさを誘った。
「おい、日奈子。寝るなよ」
志度の声が聞こえる。私の意識は穏やかに闇に向かっている。
「おいって。――起きろよ。日奈子。寝るな。――マジかよ」
志度は、何度も私を揺さぶってきている。だけど、全然、体勢を起き上がることも出来なかったし、どんどん志度の声が遠くなっていくのを感じた。
「日奈子。――ありがとう。――ずっと、大好きだよ」
志度の声が泣き声になっていた。
――泣かないって言ってたのに。
嘘つき。




