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店を出て、海側へ坂を下っていった。外は時折吹く海風が冷たく、ブルブルと震えるくらい凍えた。10分歩いたところで、小樽運河にたどり着いた。
観光客はまばらで、それほど人はいなかった。交差点を渡ったあと、運河の遊歩道につながる階段を降りた。そして、手を繋いだまま、ゆっくりと運河を見ながら歩くことにした。
運河の対岸には石造りの古い倉庫やレンガで出来た倉庫が立ち並んでいた。外壁がレトロな雰囲気を作っていた。それらの建物の屋根には雪が積もっている。運河は波がなく、建物を鏡のように水面に映し出していた。遊歩道と運河の間にあるガス灯は等間隔に置かれ、夜になると、オレンジ色になって綺麗な光景になるはずだ。
「ねえ、志度はどんな25歳だったの?」
「俺も日奈子と同じような感じだと思うよ」
「仕事は何してたの?」
「札幌で就職して、営業職やってた」
「へえ、営業やってたんだ」
「うん。札幌のそこそこの大学行って、卒業して、適当に就職した。やる気もなかったから、適当にやってたよ。だけど、職場の人達がそれなりにいい人達だったから、楽しかったな。飲みに行くのもそんなに嫌じゃなかった」
「そっか」
「だけど、何をやっても満たされなかったな。――なぜかずっと寂しいんだよ。何やってても身が入らない感覚が高校生のときからずっとあって、それは変わらなかった。日奈子が死んでから、俺のすべてが変わっちゃった」
「――そうなんだ」
「あぁ。俺、生きてる意味ないなって感じだったな。恋人がいるわけでもないし、友達もみんな就職して忙しくなってあまり遊べなくなったから、せっかく稼いだ給料も最低限の生活費、家賃とか、光熱費とか、そういうの払うこと以外、使わなかったな。だって、一人で旨い店に行ってもつまらないし、一人で旅行する気持ちにもならなかった」
「――私もだよ」
「えっ」
志度は間の抜けたような声でそう返した。
「私もずっと志度のこと考えてた。――私ね、付き合ってた男の人にプロポーズされたの」
「――そうなんだ」
「ショックでしょ」と私はそう言いながら笑った。
「バカ。からかうなよ」
志度は苦笑いをして、右手で頭をかいていた。
「私ね、その男の人からプロポーズされて嬉しかったの。ちゃんとした婚約指輪もらってさ、こんな私のことちゃんと好きになってくれて、結婚しようって言われて。だけど、すっごいモヤモヤしたの」
「なんでだよ」
志度は無神経にそんなこと言うから、私はムカついた。
「バカじゃないの。――志度のほうが良かったからに決まってるじゃん!」
私の声が辺りに響いた。志度は急に立ち止まり、私をじっと見ている。
「ずっと、苦しかったの。こんなに私のこと、わかってくれている志度が突然いなくなって苦しかった。私だって、この10年ずっと寂しくて何やっても身が入らなかったの。志度とこうやってバカみたいなやり取りして、心から安心できる関係になりたかったの。ずっと」
「――悪かった。俺だけじゃなかったんだな。そんな気持ちでいたのは」
「当たり前でしょ! 私は志度のことが大好きなの。だから、一緒に人生歩んでいきたいって思ってるの」
私はそう言ったあと、運河に面している手すりの方を向き、暗くてぼんやりとしている運河を眺めた。志度は私の横に立ち、一緒になって運河を眺め始めた。
「なあ、日奈子」
「なに」
「マジで結婚しような」
「うん」
「俺、日奈子がいないと内気になるし、すごい寂しいし、人生やってられないんだよ」
「――私もだよ」
「あーあ。だから、結局さ、日奈子がいないと楽しくないんだよ。あの時を境に俺は心の底から楽しむことができなくなったんだと思う。――だから、当たるって噂の占いの店、行ったんだよね」
「やっぱり、そうなんだ」
「うん。俺もさ、実はタイムスリップ2回目なんだよね」
「え、そうなの?」
「うん。あ、だけど、日奈子とは違うよ。俺はちゃんと一回25歳に戻ったんだよ。その時、タイムスリップした先は付き合い始めの頃だったよ。さっきの喫茶店行ったときにタイムスリップしたんだ」
「だから、クリームソーダのこと覚えてたんだ」
「まあな。――だけど、タイムスリップする前から日奈子がクリームソーダ好きなことはずっと覚えてたよ。その日は小樽観光して、次の日は公園で水風船して、日奈子と遊んで、終わった」
私はふと、10年前の夏のことを思い出した。――あの落ち着いた志度の様子や口ぶり、志度が言ったこと。
「あっ。私、25歳の志度に会ってたんだ」
「えっ」
「そうだよ。きっと。だってあの日、愛してるって言われた。水風船し終わって、べちゃべちゃになったあとで」
志度を見ると驚いた表情をしていた。そして、志度は立ち止まった。
「――日奈子。お前、マジかよ」
「――うん。一生、一緒にいたいし、ものすごく志度のことが好き。――愛してる」
「俺がこないだ言ったこと、そのまんまじゃん」
「10年越しのお返しだよ」
そう言ったあと、私は微笑んだ。冷たくなってて、頬の筋肉は固くなっていた。志度も私に微笑み返してきた。
「日奈子って最高だな」
「志度もね」
「なあ、日奈子。17歳の日奈子に言われてはっとした言葉があるんだけど、覚えてる?」
私は覚えていなかった。だから、首を振ると志度はふっと弱く笑ったあと、こう話を続けた。
「明日、俺が死ぬことがわかってたらどうする? って聞いたんだよ。あのとき。そしたら、日奈子は『知ってたら、助ける』って言ったんだよ」
私ははっとした。もしかして――。
「だから、昨日、私に俺が死んだらどうするって聞いたの?」
志度を見ると志度はニヤニヤしていた。だから、私は繋いでいた手を離して、志度の背中をポンと弱く叩いた。
「こっから、マジな話で、あのとき、17歳の日奈子に知ってたら、助けるなんて言われて、俺、ものすごく衝撃的だったんだよ。助けるって考えがなかったから。ほら、あの占いのおばさん言ってただろ。タイムスリップはツアーだって。だから、俺もツアーだと思って楽しんだんだよ」
「そうだよね。私も最初は志度に会えるだけでいいと思ってた」
私はまた、左手で志度の手を握り直した。志度の手は冷たくなっていた。
「あぁ。俺も日奈子に会えるだけでいいと思ってて、そのまま、1回目のタイムスリップが終わったんだ」
「そうなんだ」
「だけど、戻ってからも心の穴は塞がらない感覚がずっと残ってて、しばらくの間、モヤモヤしてた」
志度はまたゆっくりと歩き始めた。私も志度に合わせてまた歩き始めた。降り積もったばかりの雪を踏むと、キュッと音がした。
「それで、25歳に戻って、気がついたんだよ。――過去が変わっていることに。占いのおばさんは変わらないって言ってたけど、変わってたんだよ。日奈子の命日が」
「え、死んだ日が違ったの?」
過去が変わってる――。私が死んだ日も変わったんだ。
「あぁ。だって、命日なんて絶対覚え違いするわけないじゃん。時間まで覚えてたんだから。なのに1日違ったんだよ」
「もしかして、元々の命日って今日だったの?」
「そう、そういうこと。――俺さ、毎年、日奈子の命日に墓参りに行ってったんだ。それで、いつもみたいに軽く雪かきして、墓石、拭いてたらさ、墓石に刻まれてる命日が違ったのさ。え、と思って、墓参りから帰ってから、昔の手帳取り出して、日奈子が死んだ日を確認したら、やっぱり手帳も命日が違ったんだよね。――それで気づいたのさ。1日ずれてることに」
「そうだったんだ」
「あぁ。だから、タイムスリップして戻ったら、日奈子の命日は明日になってた。それで、俺わかったんだ。もしかしたら、日奈子救えるかもしれないって。だって、命日が変わるなら、死なないことにすることもできる可能性あるよなって思ったんだ。それで、またおばさんに5万円払ってタイムスリップさせてもらったんだ」
「――未来、変えられるかもしれないね。私達」
「あぁ。日奈子もそう思って、もう一回、タイムスリップしたんだろ。絶対、二人で生きよう」
冷たい風がブワッと吹いた。風で遊歩道に積もっていた雪が舞い上がった。そして、あっという間に雪煙になり、白い空間が出来上がった。風が強くて、思わず、私は立ち止まってしまった。私が歩みを止めたから、志度も一緒に立ち止まった。立ち込めた雪煙で遠くの景色は見えない。そして、瞬く間に空の青さがかすかに見えたと思ったら、もう雪煙は消えていた。
何もかも消えてしまって、志度もこのまま消えてしまうんじゃないかと思った。横を振り向くとしっかりと志度が隣にいた。




