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始業式は退屈だった。狭い体育館にぎっちりと数百人が体育座りをしている光景は久々に見ると異様に感じた。私の前には江利が座っている。ろくに換気もしていないから、酸素が薄くぼんやりとした。
校長は志度の交通事故を話のネタにしている。
「残念ながら、わが校の生徒がこうした痛ましい交通事故に遭い、亡くなってしまってから、すでに1ヶ月が経とうとしています。そして、このショックな出来事は癒えることがありません。えー、残念ながら――」
残念ながらをすでに5回言っていた。何が残念ながらだ。ふざけるなと思った。お前はなんにも志度のこと知らない癖に何言っているんだ。こいつ。
ニュースのやり方と一緒だ。こんなの。センセーショナルに取り上げれば、何でも感傷的に物事を伝え、教訓にすることができる。そんなことで、志度を使わないでほしい。
――ものすごく腹が立つ。
お前が善人だと評価されるために志度は死んだわけじゃないんだ。こういう善人面したヤツがどんな組織でも簡単にトップになる。
――愛がないんだよ。愛が。
残念ながらと言っておけば、死者に祈りを捧げたことになるのか。もういいだろ。もう。私は校長の話が終わるまでイライラが収まらなかった。
目の前に座っている江利は退屈そうに時折、首を左右に伸ばしていた。
校長の話が終わり、部活の活動報告になった。スキー部がなにかの大会で優勝したらしい。部員が壇上で校長から、賞状を授与されている。
体育座りをしながら、私は何もやることがないなら、バイトするのもいいなと思った。江利のところで江利と一緒にだべりながらレジ番しているのも悪くないと思った。そして、5万くらい上手く稼げたら、好きなこと出来る幅も広がるなと思った。5万円――。
5万円出してタイムスリップしたんだった。5万円出して、本当に私の人生が変わってしまった。
もし、あのとき、志度が死なないでタイムスリップが終わっていたら、きっと、25歳の私の左指には結婚指輪がついていて、志度と幸せな日々が待っていたんだ。だけど、そう思えたのはタイムスリップして、ほんの10時間くらいだけだった。
私は右手で江利の肩をそっと叩いた。
「すみません。タイムスリップしたいです」私はそう言って、おばさんに5万円が入った封筒を差し出した。
「え、どうして」
おばさんは動揺しているように見えた。おばさんは占いブースの椅子に座ったままだった。別に悪いことじゃないのに、悪いことがバレたかのような、そんな怪訝な表情をしている。
「あなた、どうしてそのこと知ってるの?」
おばさんはそう言って、不審そうな顔で私を見た。
「私、実は10年後からタイムスリップしてきたのです。ここでタイムスリップしたけど、2日経っても戻れなかったんです」
「ふーん。そうなんだ」
おばさんはようやく話を聞いてくれそうな雰囲気になった。
「お嬢ちゃん、タイムスリップしてきたんだ。そしたら、私のところでタイムスリップしたってことだよね?」
「はい、そうです。私、このタイムスリップで同じ辛いこと2回も経験したんですけど、もう一度タイムスリップして、どうしても相手に伝えたいことがあるんです。だから、タイムスリップさせてください!」
私は早くタイムスリップがしたいと思った。
――早く、志度に会いたい。
「そう。わかったから、一回、お茶飲んで、落ち着こうね。お茶持ってくるからちょっと待ってて」
おばさんはそう言ったあと、立ち上がった。今日のサリーの色はオレンジだった。サリーのオレンジの裾がひらりと弧を描いた。おばさんは、前回来たときと同じように奥の部屋へ行った。私はその間、膝に乗せている両手を開いたり閉じたりを繰り返した。両手の平はしっとりと汗で滲んでいる。そうしているうちにおばさんはお盆にお茶を乗せて、こちらに戻ってきた。
「はいどうぞ」
おばさんはそう言って、私にお茶を差し出した。お茶からはタージリンの香りがした。
「ありがとうございます」
「思い出した。お嬢ちゃんさ、ちょっと前に来たよね。お茶を淹れているときにふっと思い出したわ」
「はい、一回来ました」
「そのとき、言ってたよね。前の世界には戻りたくありませんって」
私が頷くとおばさんは微笑んだ。そして、カップを手に取り、お茶を一口飲んだ。
「私がその時、言ったこと、覚えてるかしら」
「――運命には抗えない。自分で道を開いて」
「そう。その通り。運命には抗えないし、自分で人生の道を切り開いて行かないといけないの。どんな人でも」
おばさんはカップをテーブルに置き、じっと私を見つめてきた。おばさんの目に吸い込まれそうになるくらい、長い時間、おばさんと見つめ合った。
「――お嬢ちゃん、本当は何歳なの?」
「25歳です」
「そう。ならわかるでしょ。その年齢なら」
「わかってるつもりです」
「だけど、不思議ね。こんな人初めて見た。タイムスリップして戻らない人」
「自分でも信じられません」
「お嬢ちゃん、往生際が悪いのかもね」
おばさんはそう言って、笑った。いや、笑えないんだけど――。
私は出されたお茶を手に取り、一口飲んだ。
「そうだね。本人が一番信じられないよね。もしかして、元の未来に戻ろうと思ってる? 残念だけど、過去に戻ることは出来ても、未来に行くことはできないんだけど」
「いいえ、私はまた、過去に戻りたいんです」
「そう。過去に戻りたいんだ」
「はい。そうです」
「うーん。そしたら、タイムスリップして、そのままなのにどうしてまたタイムスリップしたいの?」
「私が付き合ってた彼が死んだからです。この世界でも」
「そうなんだ。それはお気の毒に」
おばさんは気持ちがこもっているのかどうかわからないような声でそう言った。私はそれにまた少しだけ、むっとしたけど、そのまま話を続けた。
「私、たぶんこの世界では、すでに死んでた人間だったかもしれないんです。――彼が私の身代わりになって死にました。本当は私が死ぬべきだったのに。――だから、今度は彼を救いたい。いや、元々、二人とも事故になんて遭わないようにしたいんです。彼も私も死なないようにしたい。ただ、それだけです」
「そう。よく考えた結果、そうしたいと強く思ったんだね」
「はい。だから、この1ヶ月、コンビニでバイトしてお金作りました」
「わかった。あなたには悪いと思うけど、私はどうなっても知らないからね。私はただ、いつもと同じようにタイムスリップを手伝う。それだけをするからね。それでいい?」
「――はい、お願いします」
おばさんは立ち上がり、椅子がある部屋の方を指さした。




